宝貝の剣士
アンリは走った。暗い夜道をひたすらに。
バイロンはどこかにメルが待機していると言っていたが、中々会えない。
その不安とバイロンの安否が気になって、気持ちがバラバラになりそうだった。
「メルっ!どこにいるーっ」
森はやがて開けて明るくなった。シュバルツバルトの森を抜けたのだ。
だが、相変わらずメルの姿は見えない。
「メルっ、いるのか?メルっ」
「やはりあのお方の言った通りだ。お前は必ずここに来ると」
その時、森の陰からいくつもの人影が現れた。
中年太りの目立つ腹部のシルエット。それに農機具を武器代わりに構えた村人達の姿。
「村長さま……。どうし…て、ここに?」
思いもしない人々の登場に声が掠れた。全身を冷たい汗が伝っていく。
「全てはアーサー牧師から聞いたぞっ!黒き森の悪魔っ!お前は暁の吸血鬼と結託した、ドイツやローマに跨る連続殺人の犯人だってな」
「私はやっていないっ!ここから余所の国へなど出た事もないのに」
「嘘付けっ。この悪魔め。じゃあ何でレイナは死んだんだ?お前以外に考えられないじゃないか」
その言葉はアンリの胸に深く突き刺さった。
言った本人である村の青年も、それが分かったのか気まずそうに口を閉じた。
彼はこの間までアンリに気さくに話しかけていた。時間があれば一緒に聖書について話したし、共に夕飯だって食べた。
それがこんな行き違いで簡単に壊れてしまうなんて。
「ええい。ごちゃごちゃと話をしていても解決にはならん。皆、アンリを捕まえるんだ」
村長が苛立った声で口火を切った。
その声に皆が我に返り、それぞれ手にした武器を構える。
「皆………」
アンリはそっと瞼を閉じた。
胸にはバイロンから借り受けた剣を抱く。
だが、彼女には剣を使う意志は無かった。
誰かを傷つけてしまうよりも、自分が傷つく方を選んだのだ。
ザシュッ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
一瞬、目の前を風が通り過ぎた。
眼を開いたアンリの前に鮮血が飛沫を上げた。
そして、村の青年がゆっくりと倒れていった。
「バイロン?」
加勢するかのように目の前に立った長身の男を見て、アンリはつい期待の込められた瞳で見上げるが、それは裏切られた。
男は初めて見る顔だった。
極東にある島国で見るような裾の広がった独特な風合いの着物で、前を左右に合わせて、それをベルトのような布で締めている。そして一番眼を惹いたのが顔の半分には青い入れ墨だ。何かの呪いなのかもしれない。
青年はアンリを横目に見た。その目元は涼やかで隙がない。
「小娘、助太刀してやる」
「えっ?」
青年の服の裾が大きく膨らんだと思うと、彼の姿は一気に加速した。
向こう側が透けて見える不思議な空色の長い髪を靡かせ、青年の剣が村人達に迫る。
ザクッ……。
シュッ……。
その剣技は鮮やかで苛烈。それはバイロンの戦法とは全く異なっていた。
バイロンのようなパフォーマンスを意識した派手な動作は一切無く、余計な動きも隙もない、実に実践的な剣技だった。
だが、剣の構えや形状はこれまでアンリが見た事のないものだった。
青年はあっという間に大勢取り囲んでいた村人達をなぎ倒していった。
ある者は橋を飛び越えて川に落ち、ある者は空中高く剣圧で飛ばされ、樹木に引っかかっていた。
「こ……これはやり過ぎじゃ」
青年の鬼神の如き躍進に、アンリは引きつった顔で声をかける。
だが、青年は興味がないと言う風に視線を逸らせた。
「俺は「木刀」宝貝だ。よって殺傷能力は皆無だ」
「?」
青年の言っている言葉の意味が分からない。
しかし、青年はそれ以上説明する気はないようだ。表情の読めない顔でアンリの手首を掴んだ。
「行くぞ…」
「はい?」
青年はそのままアンリを引き寄せ、細い腰を掴むと思い切り高く飛び上がった。
「ひゃぁぁぁぁっ、な…何をするっ。それに貴方は何者なんだ」
「バイロン卿の元へ戻るぞ。それから俺の名はリャンだ」
必要事項を事務的に伝えて、リャンと名乗った青年は森を後にした。
「あ、お姉ちゃーん」
シュバルツバルトの森へ降り立ったアンリとリャンはメルが下で手を振っているのを発見すると、ゆっくり降下した。
「メル、無事で良かった」
「はいでし。メルは大丈夫でし。でもファーターが……」
そう言ったメルの顔は大きく歪んでいた。今にも泣きだしそうな顔だ。
「どうした。何があった?」
リャンが険しい顔で問い詰める。メルは零れそうな涙を堪えて今までの経緯を説明した。
「ファーターはアレクと交戦中でし。剣が一つしかなくて辛いのでし」
「……私が…私のせいでバイロン怪我していたのに」
「行くぞ。小娘」
アンリの後悔を振り払うようにリャンは立ち上がった。
「メルはどうしていればいいでしか?」
「お前はここで村人たちがこちらに入って来ぬよう、結界を張っておけ」
「はいでし!」
メルは勢いよく頷いた。
リャンはそれを見届けると、次にアンリの方を向いた。
「アンリエッタ。ここで転身しろ。もう今更温存もないだろう」
「分かりました」
アンリは大きく頷くと、緑色の瞳を持つフェンリルに転身した。
そしてふさふさの毛で覆われた背にリャンを乗せると、森の向こうにある古城…バイロンが交戦中の屋敷へと向かった。