牧師の素顔
バイロンが素早くアンリの前に立ち、剣を素早く顕現させてアーサーの攻撃を弾いた。
キィン…
「アンリ、下がって」
「でも、バイロン……」
漆黒の犬の形態を取っていたアンリは吠えるように反論する。
しかし、前方に出たバイロンの表情は厳しい。
「ふふふふ。バイロン、逃げても無駄だけど止めはしないよ。僕はアンリさん。君に用があるんだ」
牧師がヒラリと降り立ち、バイロンに蹴りを放つ。
バイロンはそれを紙一重で避けて、死角から打ち込む。
しかしアーサーはそれすらも避けてしまう。
「強い……」
「アンリ、ここは私が食い止めます。貴方はここから出来るだけ遠くへ逃げて下さい。メルが結界を張ったし場所があります。いいですね。メル」
バイロンの呼びかけにメルが力強くうなずく。
「はいでしっ!ファーター」
メルは頬を桃色に染めて、アンリの手を引く。
しかしそれを見逃すアーサーではなかった。
彼は懐から取り出したナイフを数本、陽動としてバイロンに向けると、真っ直ぐに金の髪を靡かせ、二人に向かった。
その手には、バイロンと同じ輝きを持った精神剣がある。
それがアンリとメルの喉元まで迫った。
アンリはメルを庇うように背を向けた。
ザシュッ…
その瞬間、もの凄い剣圧が身体にかかる。
アンリは自分が斬られたと錯覚した。
そしてじっと、やがて訪れる激しい痛みに身を固くするのだが、その痛みはやってこなかった。
メルを抱く腕を緩めつつ、アンリは瞼をゆっくり開けてみた。
「バイロン!」
自分の前方には剣を構えた自分たちを守るようにバイロンが立っていた。その手は血に染まっている。
ポタポタと腕から鮮血が溢れて伝う。
アンリはメルを壊れた窓の外へ押しやった。メルは姿を光に変えて飛び立った。
「早く逃げなさい」
苦しそうに息を乱し、バイロンはこちらを振り返らずに声を絞り出した。
「だけど、バイロン……」
「相変わらず献身的だね。君は。だけど君は今回も守れないよ」
仄かに赤く輝く剣を手に、アーサーは今まで見せていた穏やかな笑みを消して、憎悪に満ちた暗い笑みを見せていた。
その瞳の輝きは、暁の吸血鬼と呼ばれた魔物そのものだった。
「まさか、牧師さまが吸血鬼だったなんて…」
「驚いた?でも君と僕はそんなに変わらないんじゃないの?」
「何っ?」
「アンリ、彼の言葉を聞いてはなりませんっ!」
アーサーは剣をアンリに振り上げる。アンリはそれを爪を合わせる事で防御した。
キンッ
「あぁ、本当に煩いな。バイロン。今回君の出番はないよ。あの時と同じくそこで寝ていればいいんだよ」
牧師の攻撃からアンリを守るバイロンに、アーサーは秀麗な貌に渋面を刻み、剣を垂直に構えた。
「バイロンっ!」
アンリが叫ぶと同時にバイロンの身体が宙を舞った。
鮮やかな紅の軌跡を描いて。
ドサッ
朽ちた寝台の上に落下したバイロンにアンリは駆け寄る。
彼の口からは絶えず鮮血が溢れ出し、致命傷足りうる腹部の傷からも血が滲み出していた。
「……私は大丈夫。それよりアンリさん。貴方を彼に渡すわけにはいきません」
そう言って、バイロンは立ち上がる。
鮮血がその動きに合わせてポタポタと床の上に落ちる。
「無理だよ。バイロン。そんな傷で動ける筈ないっ」
「その通りだよ。無理は禁物さ。バイロン」
その時、いつの間に背後に立ったのか、アーサーが天使のような笑顔を浮かべ、剣を寝台に突き立てようとしていた。
バイロンは素早くアンリを抱え、すぐに身体を反転させて床に転がった。
その瞬間、先程までバイロンがいた寝台は真っ二つに寸断された。
「アンリ、こちらへっ!」
そしてバイロンは片手をアンリへ向けて伸ばした。アンリは躊躇う事なくその手を掴む。
そのアンリの手に何か小さな物を滑り込ませた。
「バイロン?」
「アンリ、よく聞いて下さい。この剣を貴方に託します。零式は唯一持ち手を選ばない特殊な精神剣です。きっと貴方にも扱える事でしょう。これを持ってあの窓からお逃げなさい。途中でメルと合流してより安全な場所へ行くのです」
そう言って、バイロンは剣だというのに何故か銀のロザリオを握らせた。
「これは?」
「それが零式です。必要に応じて自分に適した武器の形態に変化します。貴方の転化は大きなエネルギーを消費します。だから出来るだけ転化に頼らずにこれでしのいで下さい」
「でも、バイロンはどうするんですか」
「私にはこのアインスがあります」
バイロンは血まみれの手袋に包まれた手をそっと開く。蒼の光と共に花のように美しい剣が現れた。
その剣の刀身にはフィリアの名前が刻まれていた。
「分かりました。気をつけて…そして、死なないで」
「ええ。アンリもですよ」
バイロンが側に寄って、アンリの額と唇に軽く口づけた。
微かな血の味と一緒に温かな聖気が口中に広がる。
瞬間、二人は別方向へ飛んだ。
アンリは窓へ。
バイロンはアーサーに向けて。