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原罪の烙印

それは長く、そしてとても短い夢だった。

自分の夢だというのに、まるで他人の夢を見ているような違和感を覚える。

それは活動映画を見ているような第三者的感覚。

でもそれでいてどこか懐かしい。

自分は以前、この光景を見た事があるのかもしれない。


「アンリ、アンリさーんっ………」


どこからか声が聞こえる。

続いて軽く頬を叩かれた。その刺激で段々と意識が明瞭になっていく。

「うっ……うぅっ」

「アンリ、良かった。気付いて」


……ガバッ


半覚醒状態のうちにアンリはバイロンの胸に抱かれていた。

それを感じた途端、アンリの顔が一気に紅くなり、即座に身を離した。

「しっ…司教さまっ。これは一体何ですか?朝から…」

「えっ、やだなぁ…。アンリさん、今はもう夕方ですよ」

バイロンはそう言って入口の大きな扉を指さす。

扉は開け放たれていて、外から夕暮れが射していた。


「本当だ……ってれれ?ここはどこです?」

慌てて自分の身を検めるが、衣服に乱れは無く、黒いタイもきっちりしている。

身体の方も特に何ともない。

ただここがどこかだけが分からない。

手に触れるのは柔らかな干し草の感触のみ。

そして簡素な板を貼り合わせただけの小屋のような建物。天井がやけに高い。

天辺には小窓があり、そこから金色の光が差し込んでいた。

多分、村からは出ていないと思うが不安はある。



「ここは農機具や飼料を保存しておく為の倉庫ですよ」

バイロンが後からそう教えてくれるが、アンリにはここへ入った時の記憶が全く無かった。

どうもバイロンと別れてからの記憶が曖昧だった。

先程から頭がぼんやりして、微かに痛む。

「大丈夫ですか?立てます?」

「ええ。大丈夫です。それより私には司教さまと別れてからの記憶がないんです。それってどういう事なんでしょうか」

言葉はそこで途切れた。

アンリの瞳がバイロンの足下に横たわる物体に縫い止められる。


「あの…、それって何ですか?」

一目見ればそれが何であるかは分かる。分かり切った事だった。

でも聞かずにはいられない。

喉がカラカラに乾いた。


「アンリ、事態は最も深刻な方向へと向かいました」

眼鏡を押し上げてバイロンは立ち上がる。

するとその物体が何であるかがはっきりと分かった。

それはまだ若い…それも子供の死体だった。

可愛らしいエプロンドレスを纏った少女というより幼女といった方がいい。

蜂蜜色の艶やかな髪は血を吸って、すっかり錆色に凝固し、その輝きは失せていた。

血の気のない顔は恐怖に彩られ、緑の瞳は見開かれたまま固まっていた。

その細く白い首筋には二つの吸血痕が残されていた。


「レイナ…。レイナじやないかっ!どうしてこの子がっ」

よろよろとアンリは少女の亡骸の前に跪く。

教会の日曜学校では誰よりも元気に賛美歌を歌っていた少女だった。

アーサー牧師が大好きで、いつも彼の後を付いて回っていた。

それが今はこんな無惨な姿でアンリの前に横たわっている。

「バイロン司教っ!誰がこんな事をっ!」

「落ち着いて、アンリ。ここは………」

バイロンが取り乱したアンリを落ち着かせようとするが、アンリはそれを聞き入れようとしない。ただ爛々と輝く瞳で肩を激しく上下していた。

「誰がやったんだ。こんな事っ!この子に何の罪があった…。何でこんな小さな子供がっ!」

干し草に覆われた地面をアンリは力任せに叩き付けた。

だけどそれはポフポフと頼りない音を発するのみだった。


「誰がとですかな?この惨劇を引き起こした張本人が何を言う」


「!」


今までだれも立っていなかった大きな扉の前にいつの間にか大勢の村人が詰めかけていた。

村長を筆頭にアーサー牧師の姿まである。


「村長さま?」

突然の事態に放心したようなアンリをバイロンが庇うように前に立った。

「アンリ、お前には失望したよ。「あんな事件」があってからも我々はお前の犯した罪を赦し、村の一員として迎えたというのに」

「一体、何の事ですか?」

アンリの顔は蒼白だった。

だが、そんなアンリを前に村長は尚も尊大な顔で詰め寄る。

「はっ。何のとは良く言えたものだ。それを見て分からぬとは言わせないぞ」

村長は視線で少女の亡骸を示す。


「そんなっ!私はやってません。信じて下さい」

「戯れ言を。この倉庫の持ち主のハンナが早朝、仕事の為にここを開けると血まみれのレイナと同じ、返り血を浴びたお前が倒れていたという」

「嘘だ…。私はそんな事しない」

アンリはすがるようにアーサー牧師を見た。

しかし牧師の表情は冴えない。

「アンリさん。その爪はどういう事かな?それでは僕も貴方を庇いきれないよ」

「牧師さ…ま?」

アンリは恐る恐る自分の爪を見てみる。


「!」


爪を見てびっくりした。

自分で出した覚えもないのにその爪は、悪魔に転化した時に現れるものに変わっていた。

そしてその鋭い切っ先には既に凝固した血液と、少女の衣服の切れ端が引っかかっていた。


「違うっ!違いますっ。牧師さま。私はこんな事しません。信じて下さい。お願いですから」

アンリは嫌々をするように首を振り、自分の頭を抱えて膝を折った。

しかしアーサーは憂いの表情のまま、アンリから顔を逸らしていた。


「さぁ、逃亡される前に市警に引き渡してしまいましょう」

最早、村人たちの誰にもそれを止める者はいなかった。

あるのは異形を見るような冷たい視線のみ。


「まぁ、待って下さい」

そんな時、妙に暢気な声を発したのは今まで聞き役に徹していたバイロンだった。

「何を司教さま。こいつは殺人を犯した重罪人ですよっ」

「まぁまぁ。落ち着いて。まだアンリがやったとは言い切れないでしょう?それに私はこの事件を調べに来たのです。全権をひとまず私に預けてはくれませんか?」

ニコニコと人の良い笑顔を浮かべて揉み手をするバイロンに、周りが気色ばむ。

「いいや。折角だが司教さま、これは我々の村での事。いくら司教さまでも…」

「ですがこれはアンリの仕業ではありませんよ?」

「何っ?」

やけにあっさりと、とんでもない発言をしたバイロンに、村人たちもアンリですら呆然としていた。

「どういう事ですかな。司教さま。現場にいて、しかも凶器まであって。これのどこが」

「まぁまぁまぁ…。ちょっと見て下さい」

そう言ってバイロンは少女の亡骸に十字を切ると、そっと手を掛ける。

「な…何をなされる。バイロン卿っ」

牧師が制止の声を放つ。だが彼はそれを聞き入れない。

彼は跪き、遺体を隅々まで調べ、最後に「やっぱりか…」と呟いて立ち上がった。


「見て下さい。彼女の死因はこの鉤爪状の傷からくるものではありません。出血が傷の割に少ない。生きていたらもっと出血が酷かったと思われます。ですからこの傷は少女が亡くなってから得たものでしょう」

「それが何の関係があるっ。レイナは現に死んでいるじゃないか。その傷が直接の原因でないにしてもだ!」

いきり立った村人が激昂する。

そして何人かがバイロンに詰め寄った。だが、バイロンは涼しい顔をしていた。


「いいや。違いますね。関係大ありです」

バイロンは村人たち全てをぐるりと見渡す。

そして口を開いた。


「アンリは「聖気」しか食さない。つまり、血液は吸いません」

そう言ってバイロンはアンリの手を取った。

しっかりと絡められる指と指。

「な…。こんな時に何をっ!」

アンリは慌てたが、絡められた指先から仄かに力が満ちていく。

次第にアンリの顔色に朱がさしていく。

「だからどうしたんだよ」

先程の男がまだ言いつのる。

「まだ分かりませんか?」

バイロンはやれやれと言ってアンリから身を離した。

そして再度跪き、遺体の首筋を露わにした。

「この少女の直接の死因は失血死。この首筋の吸血痕から致死量の血液を短時間のうちに奪われたのです」

「だからアンリがその吸血鬼の正体かもしれない」

ぶすっとした顔で、頑なに意見を曲げない男にバイロンは肩を竦める。

「アンリは吸血鬼ではありません。あんな下等な魔物と一緒にされたくないですね」

「どういう事だよ。俺は知ってるぞ。そいつは昔、この村を襲ったんだぞ!」


「!」


アンリの身体がびくっと強張る。

それはずっと封印したかった過去の罪。

それが今この場でまた晒されようとしている。

暴かれてしまう。

この最後まで自分を信じてくれようとしていた司教に知られてしまう。

これで自分の見方は誰もいなくなる。

次第にざわめく村人たち。

既に村では周知だったものの、確信に至るものではなかったのだが、それが事実と分かった途端村人たちはアンリから距離を取った。そして口々に恐ろしいだの化け物だのと囁いた。

アンリはぐっと涙が出ないように瞼を閉じる。


「醜い?恐ろしいですか?…ですがそういうお前たちはどうなんです?薄汚い皮袋に腐った臓物と欺瞞を詰め込んだ下劣な生き物だ。お前たちの方がずっと恐ろしく、醜くはありませんか?」

「な…あんた、何言って……」

ただならない司教の乱心に村人たちは冷水を浴びせかけられたように静まった。

その顔には恐怖が浮かんでいた。


「行きましょう。アンリ」

バイロンはアンリの肩を抱く。

今度は抵抗しなかった。

その遠ざかる二人の背に再び罵倒が飛ぶ。


「このままでいいと思うなよ!殺人鬼っ」

「化け物っ!」


「うぅっ…」

残酷な罵倒にアンリの足が止まりそうになる。

「大丈夫です。そのまま進みなさい」

アンリの全身を包むようにバイロンが背中を抱く。

「でもっ……」

「アンリ、転化しなさい」

「えっ……そんな」

「もう誤魔化す必要はありません。今はこの場を一刻も早く去る事が先決です」

確かに村の暴動は限界まで達していた。

これ以上は身の危険すら感じる。

アンリは弱々しく頷いた。


………バサッ


アンリの背に黒い猛禽類のような翼が現れ、バイロンを抱えて飛翔した。

金色の夕暮れに漆黒の翼がはためく。

地上では村人たちの罵倒の声が今も続いている。

「ちっ。逃がしたか」

それを舌打ちして悔しがる村長を見て、アーサー牧師が含み笑いを漏らす。


(ふふふ。中々良い芝居じゃないか。バイロン。だけど全てはシナリオ通りだよ)


(さぁ…バイロン。君はどう出る?)





















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