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紅い霧の向こう側

気付くと空はすっかり闇に堕ち、月明かりと星々のヴェールが村全体を包んでいた。


「司教さまは嘘をついている」


アンリには先程バイロンの口から語られた悲しい真実が理解出来なかった。

そんな彼と少しでもうち解けたと思っていた事が悔しかった。

バイロンの前を走り去った後、アンリは一人で村をあてどなく歩いていた。

水車のある川縁を歩いていると、いつしか村の大通りに出た。

夜も更けてきたとあって、人通りは全くない。閑散としたものだった。大体この村はこれが普通なのだ。


「あれ…。アンリさんじゃないか。どうしたの?こんなところで。バイロン卿はどうしたの?」

突然アンリの背中に声が掛けられた。

その声に胸が騒ぐ。


「アーサー牧師…」

それは昼間別れたアーサー牧師だった。

真の闇が人気のない広場を漆黒に染め上げ、橋の上から見る牧師は美しかった。

長い金髪が微風に煽られ、端正な面が月明かりに照らされる。

それはとても神秘的な事のように思えた。


アンリは知らず知らず、牧師の方まで歩いていく。

その下には紅い霧が立ちこめている事にも気付かずに……。


「本当にどうかした?ぼんやりと歩いてたからどうしたのかと思ってね。顔色悪いよ?」

牧師は優しげな微笑みを浮かべたままアンリの頬に触れた。

牧師の手はひんやりとしていた。


「あ、いえ。その…。何でもありません」

「本当に?」

「はい。あのっ……」

牧師は尚も心配そうに蒼い瞳で見つめ返してくるが、アンリにはそれがかえって居心地が悪い。だからといって下を向こうにも、まだ牧師の手はアンリの頬に添えられたままだった。


「ああ…。ごめんね。大丈夫?」

それに気付いた牧師はそっと頬から手を離す。

アンリはほっとしたように頷いた。

牧師の手の感触が離れた事は少し残念なような気もしたが。


「バイロン卿はどんな人だい?アンリさんに優しい?」

唐突に牧師がバイロンの事を口にした。

まさか牧師の口から尋ねられるとは思っていなかったアンリは戸惑いの表情を浮かべる。


「どんな人って…、ちょっと変わった人だと思います」

それはちょっとどころの範疇ではないのだが、取りあえずそこは飲み込む。

「ふぅん。そうなんだ。でも彼は僕から見ても面白いよね。弱さを必死に隠しているところなんかさ」


「え…、アーサー牧師はバイロン司教の事を知ってらっしゃるんですか?」

間髪入れずにアンリが牧師に聞き返すが、牧師はそれには答えない。


「知っているともいえるし、知らないともいえるよ。彼と僕は表裏一体なのさ」

意味深とも取れる謎の言葉を呟き、牧師は青みがかった月を仰ぐ。

その横顔は普段村の子供たちに見せるものとは違い、刃物の切っ先のような鋭さと冷たさを持っていた。


「それってどういう意味ですか?」

「さぁ、夜も更けた。君はもう帰りなさい」

「アーサー牧師っ!」


大切な事は何一つ話さずに牧師との会話は唐突に終わった。

こういうところはバイロンにそっくりだとアンリは思った。


「……いいね。アンリさん」

「はい。アーサー牧師」

仕方なくアンリは頷く。

「ごめんね。難しい事を言って。僕が言いたい事は君が心配なんだって事だよ。バイロン卿を信じたいならそうすればいい。だけど僕はいつも君を大切に思ってるから。それで君が傷つくのを見るのは悲しい。それは村の皆も同じだよ」

気付くと牧師の手はアンリの頭の上にあった。

くしゅくしゅと髪をかき混ぜられるうちに、自然とアンリの顔に笑みが浮かぶ。

「もう…、やめて下さいよ。アーサー牧師っ」

「ふふふ。元気になったようだね。もう大丈夫そうだ」

そう言うと牧師は手を引っ込めた。

「はい。ありがとうございます。それではお休みなさい」

「うん。お休み。アンリさん」

牧師はアンリの笑顔を見届けると、そっと踵を返した。


「心配してくれてるんだな。アーサー牧師は。うん。大丈夫だ。この村の人は絶対に私を裏切ったりしない」

そう思うと少しだけ心が軽くなった気がしてきた。



いつもならここで森に帰るところだが、やはり先程喧嘩別れのようになってしまったバイロンの事が気になった。

彼の真意も気になっている。

アンリはアーサー牧師と話した事で幾分落ち着きを取り戻し、彼の事も今なら許せるような気がしたので、彼の滞在する村長の屋敷の離れを訪ねる事にした。


「あれ……、司教さま。いない…」


一応ノックした部屋に入ってみたが、そこにバイロンの姿き無かった。

その上、彼の持ち込んだ荷物すらもない。

確認の為、寝台に触れてみたが、シーツには温もりもなく、使った形跡すらなかった。


「まさか司教さま、暁の吸血鬼に?」


そんな事はないと思ったが、あんな別れ方をすれば気になる。

アンリは離れを飛び出した。


「おや、アンリ。こんな夜更けにどこにいくんだい?」

バイロンが心配で、離れから飛び出して来たアンリに何者かの声が掛かった。

声からして中年から老年の男のようだ。

声は手にした油ランプの光と共に近付いていく。


「あ、村長さま」

「夜更けに外には出てはいけない。知っているだろう?暁の吸血鬼を。最初の犠牲者が出たのもこの村だ。まだまだこの村は安全ではないんだ。注意しないと…」

「すみません。村長さま」

でっぷりとした下腹部を革ベルトの上に乗せた体型の村長は、アンリを家の中へ入れようと無理矢理肩を抱く。その力は尋常ではなかった。

次の瞬間、アンリの身に熱い衝撃が走った。


「つっ!」


首から下にかけて熱い痛みが走る。

ぼやけていく視界の中、アンリは信じられない思いで村長を見た。

村長はそんな苦しみに耐えるアンリを見て嗤っていた。


「ふん。悪く思わないでくれよ。この悪魔め。これもこの村の為だ」


身体に力が入らない。

麻痺した身体はそのままずるずると村長の足下に崩れていった。

暗い眼をした村長は、足下に横たわるアンリを軽々と抱き上げ、灯りの灯らない家に引き返して行った。

辺りには一面、湿った紅い霧が立ちこめている。

その紅いヴェールが晴れた後、そこには先程まで真っ暗だった筈の窓に、明かりが灯った屋敷が浮かび上がった。

先程まであった無人の離れは夢か幻のようにかき消えている。


そして明かりの灯った離れの窓からは、アンリの身を案じるバイロンの姿があった。









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