表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/17

プロローグ

あらすじでは残虐描写やグロテスクな表現が多そうですが比較的ライトです。そしてラブ要素もほんの少し加味していますので、ホラーや殺人事件モノが苦手な方でも大丈夫かと思います。

「ふぅ、やっと着きましたか。しかし随分とまぁ寂れたといいますか、鄙びた町ですねぇ」

西ドイツの片田舎、マンハイムより降り立った一人の司教は、のんびりとした面持ちで深呼吸した。

広々とした蒼穹はどこまでも澄み切っていて限りがない。

司教が目指す町はここからかなり遠い。駅から周りをぐるりと見回してもこのホーム以外何もない。ただ広大な空と森が鬱蒼と茂っていた。

「やれやれ。一体村まで出るにはどこまで歩けばいいのやら。…確か迎えが来ると聞いていたんですがねぇ」

そう一人で呟いてみるが、この寂れたホームのどこにも迎えの人間らしい者の姿は見られない。

やがて司教一人を降ろした列車は大きな音を立てて発車した。後にはもうもうとした黒煙だけがその名残のように漂っている。

取りあえずいつまでも何もないこの場所に留まってはいられない。司教は重い大きなトランクを手に鬱蒼とした森の獣道を行くことにした。


「あーっ、お待ち下さい!そこの方」

すると歩き始めた司教の背後から声が掛かった。声の感じから変声期前の少年か少女かと思われる。

その声に司教は立ち止まる。

彼を追う靴音はどんどんと近付き、土煙すら立ち上る勢いだ。

やがてその靴音が司教の前で止まる。弾む息遣いがすぐ背後から聞こえた。

司教は実ににこやかな笑みを浮かべて振り返った。

「おや?貴方は」

「ぜーはーぜーはー。は…初めまして司教さま。わた…私っ、ぜー、はーっ」

そこには白い燕尾服で正装した少年…いや、少女が立っていた。しっかりと結ばれたリボンタイが今の全力疾走でやや乱れている。また、なぜ少女だと分かったかというと、その白いスーツを押し上げている膨らみは少年にはないものだったからだ。単に女装好きの少年という事もあり得るのだが。司教にはすぐに少女だとわかった。少女は美しい顔立ちをしていた。特に大振りの瞳が美しい。

「落ち着いて下さい。さぁ、はい。深呼吸」

司教は優しく少女に深呼吸を促す。

少女は素直にそれに従う。

「ぜー、はー。はい。ありがとうございます。司教さま。私はアンリ。村長さまにご案内役を仰せつかって参りました。遅くなって申し訳ありません」

「ああ。貴女でしたか。良かった可愛らしい方で。私はヴァチカンより派遣されましたバイロンです。事件のあらましは大方伺ってます」

こうして向かい合うとバイロンはアンリより頭二つ分程背が高い。アンリは彼を見上げるようにして話を聞いている。

「そうなんですか。それは良かった。あの…村までは結構かかります。早速で申し訳ないですがそろそろ参りましょう」

アンリの話し方を聞いていると、どうも敬語が苦手らしい。本来の口調はもっと砕けたものなのかもしれない。

「そうですね。では行きましょうか。案内宜しくお願いします」

「あ、司教さま。荷物お持ちしますよ」

そう言ってアンリはバイロンの重そうなトランクに手をかけた。

「いえ、女性には重いですから結構ですよ」

トランクの中の殆どは書物だ。そのどれもが嵩張るものばかりなので、かなり重い。バイロンが拒否するのも当然だ。だがアンリは微笑みを絶やす事なく楽々とそれを持ち上げた。


「あは…は…ははは。アンリさんは力持ちなんですね〜。私、ここまで運ぶのでも虫の息でしたのに…ははは……はぁ」

「そうですか?でもこれ結構軽いですよ。ほら、片手で十分」

バイロンを気遣っての発言だったらしいが、逆効果だったようだ。

「あははは…………ぐすっ」

……色々な意味で自信を失いつつある司教であった。


アンリの案内でくねくねとのたくった獣道を行く。

やがて獣道は道すらなくなり、暗い森が広がった。森は鬱蒼としており、昼だというのに夜のように暗い。

「あれがシュバルツバルト…黒き森です」

「ほぅ……黒き森ですか」

バイロンは含みのある笑みを浮かべ、白い手袋に包まれた手を顎にかける。

前方を歩くアンリの様子に別段変化は見られない。だがバイロンが気になったのは、森に入ってから急に口数が少なくなった事だった。

そんな疑念を胸に抱きつつも二人はしばらく無言のまま歩いた。


最初に沈黙を破ったのはバイロンだった。

彼は俯いたまま口を開く。


「村へはこの方向ではないのでは?」

「よくご存じですね。司教さま……」


アンリの小さな背中が小刻みに揺れている。まるで何かを堪えているかのように。

やがて森は二人をすっかり包み込み、真っ暗になった。あれほど蒸し暑いと感じた大気が今では寒くすら感じる。

踏みしめる地面はうっすらと濡れていて、じめじめしていた。


「司教さま。ここへは本当はどんな目的でいらしたんですか?」

アンリは低く暗い声で問いかける。

「村長さんからは何も伺ってませんか?私はここ数ヶ月頻発している連続殺人事件について調書を取りにヴァチカンより参りました。そして貴女の村で最初の犠牲者が出た事はご存じでしょう?」

バイロンの言っている事は事実だった。最近ここ西ドイツ近郊で血液を大量に抜かれた死体が連続であがった。それは徐々に拡大し、ついにはイタリアはフィレンツェでも犠牲者が出た。それに伴っていよいよ教皇庁が動き出したという噂は広まりつつある。そして事の発端である最初の被害者が出た村は今二人が向かっている村、トール村だった。


だがアンリの質問の意図はそこではない。

この司教は別の目的があってここにやって来たに違いない。

穏やかに見える瞳の奥は血の色が混在していた。自分と同じだ。

「この森には守護者ガーディアンがいるという話を聞きました」

それは訥々な言葉だった。一瞬アンリの瞳に揺れが生じる。首筋に冷たい汗が伝った。


「それがどうかしましたか?」

「いえ。もしそれが本当だとしたら逢ってみたいとは思いませんか?」

もうアンリは怖くて後ろを振り返る事は出来なかった。

間違いない。彼の目的は自分だ。


「司教さま。貴方は運が悪い。どうせならもっと楽な方法で死ぬ事が出来たものを…」

その瞬間アンリの身体を取り巻く空気が変わった。

彼女の華奢な輪郭はぼやけ、背には猛禽類のような翼が現れる。

だが、バイロンは笑っていた。それは嘲笑などではない。歓喜の笑みだ。


「違いますね。アンリ。私は幸運なんですよ」

バイロンは背に手を回した。そしてゆっくりとその手を前に持ってくる。

するとその手には二振りの細剣が握られていた。それを顔の前でクロスさせる。

その頃にはアンリは恐ろしい異形に姿を変えていた。もうそこには先程の華奢で可憐な少女の面影はどこにもない。

その姿は地獄の番犬を思わせる残虐な魔物だ。大きく裂けた口からは酸の唾液が溢れ、大地を焼いた。

「ほぅ。これは想像以上に美しい………」

バイロンはそれを見て、恐れおののくどころか、うっとりとした目をしていた。

それを見たアンリの顔つきが険しいものに変わる。


「村には近付けさせないっ!教皇の犬めっ」

アンリが人間離れした高い跳躍でバイロンに襲いかかった。


「ふふふ。お行儀の悪いお嬢さん…いえ、守護者殿だ」

フワリとバイロンが長身を翻し、鮮やかに反転した。それと同時に激しい一撃を見舞う。


キィン!


アンリの長い爪が僅か切断され、周りの倒木や地面に突き刺さった。

しかしアンリは少しも怯まない。

軽やかなバックステップと共に体勢を整え、すぐに身体を反転。そしてバイロンの頭部目がけて空気の圧力を放った。

密度の高い圧は竜巻のように真っ直ぐにバイロンに向かうが、彼はそれを剣で軽く弾いた。


「ま…まさか。あれを弾くなんて。お前は一体何者……」

「バイロン・R・ダリスですよ。アンリ。貴女を救う者の名です。覚えておきなさい」

「なっ……」

アンリは言葉を失った。そんな彼女にバイロンは先程とは打って変わって冷たい表情を向け、アンリへ向けていた細剣を下げた。

「貴女は私と共に来るべきだ」

「な…何を言っているっ!私は村長と村の人たちを……」

だがバイロンは無情にも首を横に振る。

「貴女は利用されているに過ぎない。利用するだけ利用した後は切り捨てられる存在だ」

「違う!違う!違うっ!お前に私の何が分かるっ。何を知っているっ」

アンリは自らの両耳を塞いで首を振る。もう何も聞きたくないというように。だが耳を塞いだつもりでも、司教の声だけははっきりと聞こえた。

「私は貴女を知っている。貴女の運命も。だから手を差し伸べたいのです。どうしても私が信じられませんか?アンリ」

アンリはしゃがみ込んで赤子のように小さく丸まったまま何も答えない。


「いいでしょう。ならば貴女に時間を与えましょう」

「えっ、時間…?」

その言葉にどういう意味かとアンリは顔を上げる。

「ええ。そうです」

バイロンはそううなずく。もうその手に剣は消えていた。


「村に参りましょう」

そう言った司教の背中からは先程まで感じていた異常な殺気は感じられない。もとの穏やかなものに変わっていた。

「アンリ、早く転化を解きなさい。その姿で村に入る気ですか?」

「あ…あぁ」

まだ呆然とするアンリだったが、バイロンの呼びかけにやっと我に返った。


「お前、怖くないのか?」

「何がですか?」

森の外へ向けて、歩く速度を緩めずにアンリはそう問うた。バイロンはこちらを振り返る事なく端的に切り返してきた。

「だから…私の姿…怖いだろう?」

するとバイロンは急に立ち止まった。びくりとアンリも立ち止まる。

バイロンはゆっくりと振り返った。フレームの無い眼鏡の奥の瞳に優しげな色が滲んでいる。


「いいえ。怖いわけありません。貴女はとても美しい。私が今まで出会った生き物の中で一番美しい存在だと思います」


「!」


どうしてかアンリの胸が熱くなった。

熱くて堪えきれない高まりが涙となって零れ落ちそうになる。

今まで誰かにこんな言葉をかけてもらった事はなかった。だけど本当はずっと欲しかった言葉だ。

自分が怖くないと言っていれる存在。

どうしてさっき合ったばかりの得体の知れない男がこんな言葉をくれたのだろう。

アンリは必死でその高まりを堪えた。







            

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ