第一王子
私が少年を追い掛けた先に見えたのは、はっきり言うと、地獄画図だった。
犬の威嚇の声が耳に木霊する。真っ青な空が、真っ赤に染まった気分だ。
足がすくんで、冷や汗を嫌でもかいてしまう。
彼とは似ても似つかない真っ赤な、ただただ赤い切れ目。
漆黒のような黒で、それが数体立ち尽くしている。
まるで、今から街を襲うと言わんばかりに。
それだけだも充分私の恐怖を掻き立てられる。
今、彼はいない。追っていたはずなのに。周りに人さえもいない。何故ならこの恐怖の獣がいるからだ。
どこで見逃した?どこで迷った?
こんなことなら、大人しく待っていればよかった。
「グルルルルル」
「…………ひっ」
少しずつ、獣たちは近づいてくる。私を完全に拒んで。
言葉にならない恐怖心が、声に出る。
顔は真っ青に染まり、無意識のうちに自分がどれほど震えていたのか、私は知るよしさえもなかった。
何がいけなかったのだろう。
彼、少年と出会って、ここが異世界だって察して、
素敵な、理想郷のような世界に恋をして、
それで、彼とここまで笑ってきた。
日本に一緒にいこうって、指切りだってした。
視界が涙でぼやける。
私のブラウンの目は、潤いを張った。
頭が真っ白で、真っ青で……、助けなんて、誰にも言えなくて。
彼の顔が、笑顔が、脳裏に蘇ってきた。
サラサラとした黒い髪。真っ赤な輝いていた瞳。全てが彼の温情、優しさを引き立てる。
それは、笑ってた。少しだけ、悲しい表情を浮かべて。
(___私。この世界で何がしたかったのかな?)
少し、期待してた。
神様がきっと、私を心配してくれたんだって。
神様はきっと、私を見捨てていないんだって。
それさえも裏切られて、人生を終えるというの?
そんな悲しいこと、私は嫌だよ。
「ガウッ!!」
「きゃっ!……」
突然、獣は地面を蹴り、ジャンプをかまして勢いよく襲い掛かってくる。私は咄嗟の瞬発力で逃げ切れたが、もう一匹、二匹、三匹、……と、私を待ち構えるかのように襲い掛かってきた。
避ける。逃げる。右に。左に。上に。下に。
そこまで運動神経はよくない。けど、命の危機がかかっているのだ。私とて油断なんてしない。
だけど、ついには囲まれてしまっていた。
「ギャンギャン!!」
「や、やだっ……やだっ……」
周りの獣は、泣き出しそうな私を睨み付ける。
その姿は、まるで怒った犬だ。その叫ぶような鳴き声でわかる。
私が何をしたって言うの?異世界に来たのがいけないの?それとも、彼と、あの少年と出会わなければよかったの?
何が悪いの?どうしてそんなに怒っているの?どうして__
周りを震えながら見渡す。
皆、1歩ずつ私に距離をつめていく。私が食われるのも時間の問題だろう。
「ガウウウッ!!」
「…………っ!」
目の前に獣が迫ってくる。
その一瞬で、その瞬間で、私は死を悟った。
走馬灯が、人生の記憶が、頭に戻ってくる。
お婆ちゃんと、お婆ちゃんの犬のナツと、庭で駆け回ったこと。
いじめられて、感情さえ失うほど苦しんだこと。
お母さんには蔑んだ目と言葉で嫌われて、居場所なんてなかったこと。
それでも、一時期は助けてくれた私の初恋の男の子がいたこと。
その男の子を、失ってしまったこと。
社畜として社会に出て、上司からのパワハラにいつも疲れていたこと。
そんなとき、彼はいた。
見知らぬ私にさえも優しくしてくれて、笑ってくれて……。
彼といた時間は、凄く凄く楽しかった。
(最期に彼と笑えて、良かったなぁ__)
(来世も、彼と笑えたらいいなぁ____)
そして、現実に戻る。
私は目を閉じて、一粒の雫を溢す。それは倒れる勢いで揺らいで、散っていった。
心臓の音が、耳に届く。脳内を支配して、それしか聞こえない。
彼にさようなら、って言えなかったのが1番の心残り……かな。
(幸せに、なりたかったなぁ____)
そう感傷的に浸った、その時だった。
瞬時に、目の前の獣が横真っ二つに分かれる。
生々しい音をたてて、それは倒れた。
ドンッ!と、尻餅をついたまま、私は目を見開いた。
血に染まった地面。獣だったもの。
そして____
「大丈夫ですか!?」
「_____え?」
シャン!と、鉄音をならして剣をしまう。
黒色のローブは、分かりにくく血に染まっていた。
フードを外し、私の上に立ち尽くしている少年が心配そうにしゃがみこんでいた。
純白の真っ白な髪。それは左目を隠しており、唯一出ている目は真っ青な輝いた瞳をしていた。
髪に続き真っ白な肌につく血は、獣を殺したと言う証拠だと主張している。
(その顔立ち。背丈。まるで、まるで、……彼みたいな___)
「グルルルルル」
「……まだいるんだった。お姉さんはそこで待っててください」
私の思考は、獣の声によってかき乱された。
また私を囲っている獣だが、切れた目線は目の前の彼のもとに行き届いている。
彼は振り向き、獣の方を睨む。そして、また剣を取り出すとすぐに勢いよく攻めていった。
そして、彼はとにかく早かった。
見事にまでの剣捌き。次々に獣は血を吐き出し倒れていた。まるで、舞のよう。剣が輝いてる。そして、彼自信も、数滴の汗を垂らして真剣な目付きをしていた。
そんな今の状況を、簡単に受けいられるほど私の頭は追い付くのは早くなかった。
(この子は誰?なんであの子に似てるの?
あの子はしってる。けど、この子は知らない。)
「キャン!!」
まるで、犬の高い叫び声だ。
この獣は犬じゃないのに。
お婆ちゃんの犬、ナツを連想させてしまうのだ。
怖かったから、耳を塞いだ。
見たくなかったから、目を閉じた。
ポタ、ポタと雫のようなものが落ちる音が、嫌でも耳に木霊する。
私の恐怖心は、それだけで煽られた。
大丈夫だ、大丈夫だ、と言い聞かせながら、ただ震えて縮こまるだけ。そんなとき、声が聞こえた。
「___お姉さん、大丈夫ですか?」
「………あ、あなた、は、……」
コツ、と足音が聞こえると共に、その優しい声が聞こえる。
もう大丈夫かと思いつつ、手のひらで押さえ込むように閉じていた耳を解放し、目を開く。
目の前に立ち尽くしていたのは、先程の少年。
周りを見渡すと、痛々しいくらいに獣が倒れ込んでいた。それを見ないふりして、彼に視線を集中させる。
その少年はクスッと微笑み、右腕を前にだし、頭を下げ、こう告げた。
「初めまして。私はユーフォリア王国第一王子、レイス・デッド・ユーフォリアでございます。」
確かに、『第一王子、レイス・デッド・ユーフォリア』と。
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短くてすいません(´・ω・`)