第5話 山道での誓い
「フィン! 早く馬車に乗って!」
「メ、メリル、手ぶらじゃ無理だよ! 街まで5日もかかるんだから!」
村に置いていかれた二頭引きの客室馬車に駆け寄るメリルを、フィンが慌てて止める。
その隣には、フィンたちの食料や身の回りの物などの荷物を運んできた幌付きの荷馬車も1台停めてあった。
「あっ、そうだね! 急いで準備しなきゃ!」
「だ、だから、そんなに慌てなくても……」
家へと駆けていくメリルの姿に、フィンが呆れたようにため息をつく。
そんなフィンの隣に、小走りで追いかけてきていたフィブリナが並んだ。
ハミュンや他の村人たちも、2人の下へと追いついた。
「きっと、嬉しくて仕方がないのよ。私だって同じ気持ちだもの」
「フィブリナ姉さん……」
「さてと。街に行くわけだけど、御者はいいにしても護衛の騎士がいないのよね。困ったわ」
このあたりの地域はあまりにも田舎なため、山賊や追いはぎが出たといった話はここ何年も耳にしていない。
しかし、山道を何日も移動するというのに、フィンたち3人だけというのはかなり危険だ。
野生の獣に襲われでもしたら、ひとたまりもない。
馬の扱いは貴族学校で習っているので馬車は操れるのだが、獣や山賊のような手合いを相手に戦うといったことは無理である。
「それなら、村の皆が一緒に行きます! ね、みんな?」
ハミュンの呼びかけに、村人たちからも同意の声が上がる。
彼女の隣にいるアドラスも頷いた。
「護衛の代わりになれるかは分かりませんが、若いのを何人か付き添わせてはいかがでしょうか。大勢の方が安全かと思います」
「ありがとうございます。お願いします」
「いいんですって! それに私、一度街に行ってみたいって思ってたんです。今まで一度も、村から出たことがなかったから」
まるで自分も付いていくといったふうに言うハミュンに、アドラスが慌てた顔になった。
「お、おいハミュン! お前が付いて行っても迷惑だろうが! 大人しく村で待っていなさい!」
「ええーっ!? 別にいいじゃない、おじいちゃんのケチ!」
「アドラスさん、大丈夫ですよ。それに、彼女がいてくれたほうが僕たちも楽しいですから」
「フィン様!」
フィンの言葉に、ハミュンの顔がぱっと明るくなった。
それを見て、アドラスも仕方がないとため息をつく。
「フィン様がそうおっしゃるのなら……ハミュン、ご迷惑をおかけするんじゃないぞ」
「大丈夫だって! 任せてよ!」
そうしていると、家の戸口からメリルが顔を出した。
「ちょっと! しゃべってないでフィンたちも用意手伝ってよ!」
「あ、ごめんごめん。今行くよ」
「もう! どうしてフィンより私のほうが喜んでるのよ。こんなの不公平だわ!」
「し、知らないよ……」
困ったように頭を掻くフィンに、フィブリナやハミュンたちの笑い声が響いた。
* * *
それから数時間後。
フィンたちは日の暮れかかった暗い山道を、馬車を先頭にしてぞろぞろと進んでいた。
村人たちは10人付いてきており、ハミュンも一緒だ。
皆、村で使っていたナタや手斧、狩猟用の弓などで武装している。
彼らは足腰がかなり丈夫なようで、整備されていない狭くてガタガタな道を歩いているというのに、疲れた顔一つ見せていない。
馬車に揺られているフィンたちのほうが、参ってしまっているくらいだ。
「フィン、そろそろ野営にしましょう。日が暮れてきたわ」
御者台で手綱を握るフィンに、背後の客室からフィブリナが声をかける。
「うん、そうだね。皆さん、今日の移動はここまでにしましょう! 野営準備にかかってください!」
フィンが馬車を止め、皆に呼びかける。
彼らは元気に返事をすると、ばたばたと荷馬車から荷物を降ろして食事の準備に取り掛かった。
フィンも馬車を降り、客室から降りるメリルとフィブリナに手を貸す。
「メリル、私たちも手伝いましょう」
「うん」
すると、ハミュンが芋を1つ手に、2人に駆け寄ってきた。
「あの、メリル様。フィン様の祝福で、メリル様の祝福を強化したらどうなるのでしょうか? このお芋とか、すぐに美味しくなっちゃうんでしょうか?」
「どうだろ? 試してみよっか」
「はい! フィン様、お願いします!」
「あ、うん……って、強化ってどうやるんだろ?」
フィンは今更ながら、祝福を意識してまだ使っていなかったことに気が付いた。
フィブリナの祝福を強化した時は、おそらく無意識のうちにそうしていたのだろう。
「念じればいいんじゃないかな? この人の祝福を強化したいって」
「うん、分かった。手もかざしてみようかな」
フィンがメリルの頭に手をかざす。
――メリルの祝福を強化してください。
誰に頼んでいるのか自分でも分からないが、そう願いを込めて念じる。
すると一瞬、メリルの体が青白く光った。
「わわっ!?」
「あ、今光ったね。これでいいのかな?」
「そ、そうなのかな……全然実感がないんだけど……」
「メリル様! はやくはやく!」
ハミュンが待ちきれないと言った様子で、メリルを急かす。
他の村人たちも、様子を見に集まってきた。
「うん、分かった。何か、お昼の食べ残しとかあるかな?」
「食べ残しですか? この芋じゃダメなんですか?」
「芋じゃ、見た目で分からないじゃない。腐った食べ物とか、古くなったものだったら見た目ですぐに分かるからさ」
「なるほど! ちょっと探してきます!」
ハミュンが荷馬車に走り、荷物を漁る。
すると、今朝切ったアプリスが見つかった。
フィンの事件があったために、半分に切られたまま手を付けずに荷物に入れておいたのだ。
半日も時間が経ってしまっているため、切り口は変色したうえに乾燥してしわしわになっている。
「メリル様、これをお願いします!」
「おっ、これなら分かりやすいね!」
メリルがハミュンの持つアプリスに手をかざす。
その途端、食べ物が淡い光に包まれて、変色してしわしわになった切り口が急速に瑞々しさを取り戻し始めた。
ものの2秒ほどで、まるで今切ったばかりのような見た目にまで変化した。
「わっ!? い、一瞬で完了しちゃった……なんだか、すごく光ってたし」
「す、すごい……なんだこれ……」
祝福を使ったメリルだけでなく、それを強化したフィンも愕然とした声を漏らす。
見ていた他の者たちからも、おおー、と歓声が上がった。
「効果が強いと光るのかな?」
「あ、光はもともと出るよ。暗いところでやらないと分からないくらいの、弱い光だったけど。高品質化が完了すると、光が消えるの」
「そうだったんだ。知らなかったよ」
「あはは。私、フィンの前で祝福を使ったことなんてなかったもんね」
「あ、あのっ! 食べてみてもいいですかっ!?」
「うん、いいよ」
「で、では!」
メリルの許可を得て、ハミュンがアプリスにかぶりついた。
シャクッという瑞々しい音が、その口元から響く。
もぐもぐと咀嚼し、彼女は目を見開いた。
「す、すごく美味しいですよこれ! 村で食べた時よりも、段違いで美味しいです!!」
「えっ、本当!?」
「はい! 食べてみてください!」
食べかけのアプリスをメリルが受け取り、齧る。
「……んっ! 本当だ! すごく美味しい!!」
「ぼ、僕にも食べさせて!」
フィンがメリルの手からアプリスをひったくり、齧る。
そして、その豊潤な甘さと瑞々しさ、そして香りに目を見開いた。
今まで食べてきたどんな果物よりも、それは美味しかった。
生まれ変わる前にもいろいろと食べた記憶はあったが、間違いなくその中でも一番美味しいと言い切れる。
「美味しい……! すごいよメリル! この祝福があれば……って、どうしたの? 顔が赤いよ?」
「う、うるさいわね! 別にいいでしょ!」
「えっ、もしかして、間接キスとか考えてるの? それくらいのこ――」
「うううるさい、うるさい! 照れるに決まってるでしょこのバカ!!」
「ちょっ、た、叩かないでよ!? 子供じゃないんだから!」
ポカポカとメリルに叩かれながらも、フィンは笑っていた。
これほど心にゆとりがあるのは、記憶を失う前以来だ。
「でも、本当にこれはすごいよ。ここまで祝福が強化されるなら、もう怖いものなしだよ」
「怖いものなし? どうして?」
「僕の力を使えば、ろくな祝福じゃないって言われて底辺扱いされてた貴族でも、一気にエリートになれるんだよ?」
フィンの言葉に、フィブリナが頷く。
「そうね。そういった人たちにとって、フィンはまさに救世主よ。きっと、大事件になるわ」
「救世主……うん、確かにそうだね」
メリルはそこまで言って、「あ!」と声を上げた。
「な、なら、オーランド様に早くこのことを伝えないと! そうすればまた――」
「メリル!」
また街に戻れる、と言いかけたメリルをフィンが慌てて止める。
それで彼女も、周りにハミュンや村人たちがいることを思い出した。
彼女たちにとって、3人は村を発展させてくれる希望の光なのだ。
それに、フィンは村を離れるつもりはなかった。
村人たちの期待を裏切りたくないというのもあったが、いくばくかの野心もある。
今こそ、前世の記憶とこの力を使い、汚名を返上する時だ。
今まで馬鹿にしてきた連中を見返し、今まで自分を支えてくれたメリルとフィブリナたちにいいところを見せたい。
そして、彼女たちに恩返しをするのだ。
「兄さんたちには、教会に行った後ですぐにこのことを伝えるよ。そしたらすぐに、エンゲリウムホイストに戻ろう。皆きっと、僕たちの帰りを待ちわびてるはずだ」
「う、うん」
「フィン様がいれば、村は大発展間違いなしですね!」
弾んだ声で話すハミュンに、皆の視線が集まる。
「フィン様、皆で協力して、村をすっごく大きな街にしちゃいましょう! フィン様たちがいれば、きっとできます!」
「大きな街……うん、そうだね。エンゲリウムホイストを、大都会にしてみせるよ」
フィンが微笑んで答える。
「やった! 約束ですよ!?」
「うん、約束する。王都にも負けないくらいの、たくさんの人たちが集まる大都会にしてみせるよ」
「フィン……」
自信に満ちたフィンの姿に、メリルが少しぼうっとした声を漏らす。
いつも人の視線に怯え、鬱屈としていた彼は、もうどこにも存在していなかった。




