第46話 年上の色気
ゴーガン一家が移住してきてから、20日後の夜。
村の端に作られた大量のレンガ窯の前にフィンは座り込み、子供たちが使っている教科書を読み返していた。
教科書はフィンたちが貴族学校で使っていたもので、幼年部から青年部まで一通りそろっている。
先日、オーランドから大量の紙が送られてきたので、ウィーロット兄妹がそれに教科書を複写し、今では児童全員分の教科書が揃っていた。
「フィン」
フィンが学生時代を懐かしみながら教科書を読んでいると、背後から声をかけられた。
着替えとタオルが入ったカゴを手にしたメリルが、フィンを真後ろから見下ろしていた。
「あれ、メリル。全然気付かなかったよ。これからお風呂?」
「うん。ちょっとフィンと話したいなって思って、寄り道しちゃった」
メリルがフィンの隣に腰を下ろす。
「教科書読んでるの?」
「うん。どんなこと勉強してたっけなって思ってさ」
今フィンが手にしている教科書は、この国における人々の暮らしがまとめられたものだ。
農業、商業、畜産業、建築業などの国内で行われている様々な業種とそれに関わる人々の生活について、分かりやすいイラスト付きで細かく説明されている。
「今更だけど、この国の教育ってすごいなって思ってさ」
フィンが教科書をぱらぱらと捲る。
「国内にある全部の業種について貴族全員が概要を叩き込まれるし、試験も合格しないと何度でも追試を受けさせられるしさ。祝福なんてすごい力を持ってれば、普通は貴族がもっと偉ぶったやりたい放題の世界になりそうなものなのに」
「んー。でも、貴族だけじゃ世界は回らないじゃない。平民の方が圧倒的に数は多いんだし、経済を回してるのは平民だよ?」
フィンの言うことにいまいちピンとこないのか、メリルが不思議そうに言う。
「偉そうにして反感を買うより、仲良く協力して生活していったほうが皆幸せだよ。第一、私たちの持ってる祝福だって、女神様から『人々の幸せのために』って与えられたものなんだからさ」
「そう、それだよ。そういう考え方を貴族全員に刷り込めてる時点で、この世界は本当にすごいと思う」
「そうかなぁ……。あ、でも、祝福の良し悪しで他の貴族を見下す風潮はダメだよね。貴族学校なんて、使い勝手の悪い祝福持ちってだけでバカにされるしさ」
「ああ、確かに。まあ、家の格付けも結局祝福の力に寄るものが大きいし、そうなっちゃうよね」
うんうんとフィンが頷いていると、メリルがくすっと笑った。
「ん? どうかした?」
「そういえばフィンって、人の悪口を言ったことがないなって思って。学校でドランたちにあんなに酷い目に遭わされてたのに、恨み節の1つも吐いたことないじゃない」
「あー……」
学生時代の辛い記憶を思い返し、フィンが苦笑する。
「なんか、悪口って嫌なんだよ。ただでさえ見下されてるのに、他所でぐちぐち悪口なんて言ってたら、自分がさらに惨めになるしさ」
「ふーん。私は我慢できなくて悪口言っちゃうなぁ」
「メリルが僕の代わりに悪口を山盛りで言ってくれるから、僕の言う分が残ってないっていうのもあるかな」
「ちょ……何よ、その言い方は! 今まで私がどんだけフィンのことを心配してたと思ってるのよ!」
「あはは、ごめんごめん。メリルには本当に感謝してるよ」
怒るメリルに、フィンが笑って言う。
「学生時代もずっと一緒にいてくれたし、村に来ることになった時もオーランド兄さんに啖呵を切ってまで守ってくれようとしてくれたし。いくら感謝してもし足りないよ」
「え? それは、その……フィンが怪我して記憶を失っちゃったのは私のせいだし。あれくらいのことをするのは当然よ」
メリルが少し悲しそうな顔になる。
「フィン、ごめんね。私があんな場所に連れ出したせいで、何年も辛い思いをさせちゃって」
「そんな、メリルのせいじゃないよ。僕の不注意で怪我したようなものだし」
「ううん。そんなことないよ。私が、あの時……っ」
メリルは言いかけ、不意に瞳からこぼれた涙に言葉を詰まらせる。
貴族学校時代、ことあるごとに一部の級友たちからバカにされ、何も言いかえせずに暗い顔で俯いていたフィンの姿がメリルの頭に過っていた。
そういう時、メリルはいつも彼らを追い払い、夜にフィンの部屋を訪れては、彼をバカにした級友たちへの毒を吐いてフィンにも説教をしていた。
だが、メリルは自室に戻ると、いつも1人で泣いていたのだ。
自分のせいで、フィンがこんな不遇な目に遭ってしまっている。
誰からも将来を期待されていた彼の未来を奪ってしまったのは自分だと、ずっとメリルは自身の行いを悔いていた。
そして、エンゲリウムホイスト村で起きたフィンの崖下への転落事件。
自分やフィブリナばかりが祝福の力で村人にちやほやされているのを見せつけるような結果になってしまい、フィンをまた傷つけ、今度は命まで奪うことになってしまうと、あの時メリルは心の底から絶望したのだ。
そういった過去の出来事と、今の頼もしいフィンの姿に、メリルは心が締め付けられるような感覚に襲われていた。
フィンへの懺悔の気持ちと、今の彼の姿への安心の気持ちがごっちゃになって、なぜだか涙が溢れてきてしまう。
急に泣き出してしまった彼女に、フィンが慌てた顔になった。
「ちょ、ちょっと、どうしたのさ?」
「っ、ご、ごめん。なんか、いろいろ思い出しちゃって」
メリルが指先で涙を拭う。
「フィンが元気になってくれて……ううん。こうして生きていてくれて、本当によかった」
メリルが涙で濡れた瞳で、フィンににこりと笑う。
「メリル……」
レンガ窯の入口で燃える焚火の炎に照らされたメリルの顔は、フィンにはとても美しく見えた。
フィンはじっと彼女の瞳を見つめ、告白するのなら今ではないか、と口を開きかける。
「えっと、お邪魔かしら?」
「うひっ!?」
突然背後からかけられた声に、フィンはびくっと肩を跳ねさせた。
振り返ると、両手にコップを持ったフィブリナが立っていた。
「あ、ね、姉さん。どうしたの?」
「それはこっちの台詞よ。少しフィンと話そうと思って来てみたら……って、メリル、泣いてるの?」
メリルの目が濡れていることにフィブリナが気づき、小首を傾げる。
「うん。フィンと話してたら、今までのことをいろいろと思い出しちゃって」
「そう……今まで、いろんなことがあったものね」
フィブリナが微笑み、フィンの隣に座る。
そして、手に持っていたコップを2人に差し出した。
「はい、ハーブティーを淹れてきたの。2人とも飲む?」
「あ、私はいいよ。そろそろお風呂に行かないと、後がつかえちゃうし」
メリルが立ち上がり、はにかんだように笑う。
「少し話すだけのつもりだったのに、話し込んじゃった。姉さん、お風呂出たら呼びに来るね」
「ええ。ゆっくり浸かってらっしゃい」
メリルはそう言うと、風呂場へと小走りで去っていった。
風呂は新しくいくつか作ってあり、レイニーが雨を降らせて水を入れてくれるので、水汲みの重労働をしなくても簡単に風呂の水を張れるようになっていた。
エヴァの祝福で水を浄化できるため、大人数が繰り返し同じ湯を使ってもとても清潔だ。
燃料には、森で切り出した材木を薪として使っている。
また、先日ライサンドロスからオーランドが無償で石炭をいくらか送ってくれたので、燃料に関しての心配はしなくても済みそうだ。
エンゲリウム鉱石の採掘が始まれば、より便利な生活を送れるようになるだろう。
「メリル、最近明るくなったわね」
去って行くメリルの後姿を見送りながら、フィブリナが言う。
「えっ、そう? 前から明るかった気がするけど」
「それはフィンの前でだけよ。フィンの記憶が戻る前は、私と2人きりの時なんてほとんどしゃべらなかったんだから」
フィブリナが朗らかに笑う。
「ずっと、あなたの前では気を張っていたのでしょうね。元気になってくれて、ほっとしたわ」
「そうだったんだ……。ずっと、メリルにもフィブリナ姉さんにも苦労をかけてたんだね。今まで、本当にごめん」
「謝る必要なんてないわよ。今が幸せなんだから、それで十分。それに、これからはずっとフィンが私たちを守ってくれるんでしょう?」
フィブリナがにこりとフィンに微笑む。
その柔らかくも美しい笑顔に、フィンはどきりとしてしまった。
「う、うん。きっと、2人とも幸せにしてみせるよ」
「あら? それってプロポーズかしら?」
「ええっ!? そ、そういうわけじゃ……」
慌てるフィンに、フィブリナがくすくすと笑う。
「ふふ。メリルのこと、大事にしてあげてね。私のことは、まあ、おまけで幸せにしてくれたらいいから」
「いや、おまけだなんて……」
「あ、でも、フィンがレイニー様と仲良くなって結婚できたら、法律的には側室を持てるじゃない。私たち姉妹をまとめて面倒見てくれてもいいのよ?」
「ええ……フィブリナ姉さん、いきなりすごいこと言うね」
困ったような顔になるフィンに、フィブリナが再びくすくすと笑う。
「フィンならそれくらいの甲斐性はあると思うんだけどなぁ。どう? レイニー様を口説いてみたら?」
「レイニー様に手なんか出したら、家の取り潰しどころか僕は処刑されちゃうよ。甲斐性どうこうの話じゃないって」
「だったら、レイニー様から手を出したくなるくらい惚れさせちゃえばいいのよ。今のフィンなら、できると思うけど?」
「あのね……って、さっきからフィブリナ姉さん、すごい話してるよね」
「だって、私、フィンのこと好きだもん」
ストレートの言われてしまい、フィンが顔を赤くする。
「なんなら、メリルより先に私に手を出しちゃってもいいのよ? ほら、そこの草むらとか、誰も見てないし」
「え、ええっ!?」
擦り寄って来るフィブリナにフィンがタジタジになっていると、背後から駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「ごめん、着替えとタオルのカゴを置きっぱなしに……って、2人とも何をやってるのかな?」
やたらと密着しているフィンとフィブリナに気付いたメリルが、ジト目を向ける。
「ふふ。フィンともうちょっとだけ仲良くなろうかなって」
「ああ、もう! 姉さんも一緒にお風呂行くよ!」
「えー? 私は別に後でも――」
「行くったら行くの!」
メリルがフィブリナの手を取って無理やり立たせ、引きずるようにして風呂へと向かう。
フィンはバクバクと鳴る胸に手を当て、しばらく身悶えしていた。




