第38話 ネズミをなんとかしろ!
「あの、ラーナさん、ちょっといいですか?」
フィンが恐る恐る話しかけると、ラーナは修羅のような形相でフィンに振り返った。
「ああ!? ダメに決まっているだろう! 第一、ちょっと見かけたらその十倍はいるというのがネズミどもの相場と決まって――」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
ちょっといいですか、を別の意味に捕らえてしまっているラーナを、フィンが窘める。
「ラーナさんの祝福って『動物との意思疎通』だとカーライルさんから聞いているのですが」
「ああ、そうだぞ。この祝福があるせいで、ネズミどもが近くにいると、奴らがこちらの様子を窺っている気配と感情が直接頭に入って来るんだ! さっさとネズミを何とかしてくれ!」
どうやら彼女の祝福は、自由にオンオフを切り替えることができないらしい。
近くに動物がいるだけでその意識が頭に流れ込んでくるとは、便利というよりも厄介な代物に感じる。
「そ、そういう理由があったんですね。えっとですね、大変申し訳ないのですが……」
フィンがごくりと唾を飲み込む。
怒るだろうな、というのがフィンの予想だ。
「ラーナさんの祝福を強化して、ネズミを何とかしてもらえないかなって」
「……は? 祝福を強化って……バ、バカを言うな! ダメに決まっているだろうが!!」
「うひっ!?」
すごい剣幕で怒鳴りつけるラーナに、フィンが首をすくめる。
「この祝福をA+なんかにしてみろ! ネズミどもの感情どころか、考えていることまで頭に入ってくるかもしれないじゃないかっ!」
「で、ですけど、もしかしたら動物と直接対話ができるようになるかもしれないじゃないですか。村のためにも、何とか一肌脱いでいただけないかなって」
「絶対に嫌――」
「ラーナちゃん、皆さんすごく困ってますし、やってあげてください」
レイニーが声をかけると、ラーナは「何を言ってるんですか?」といった表情でレイニーを見た。
そんなラーナに、レイニーはにこりと微笑む。
「それに、ラーナちゃんの祝福がA+になったら、どんな風になるのか見てみたいんです! Eの今だって動物たちとすぐに仲良しになれるんですから、A+になったら動物とおしゃべりができるようになるかもしれないですよ?」
「……レイニー様。私が大のネズミ嫌いだということは、何年も前にお話ししましたよね?」
ラーナが頬を引くつかせながらも、辛うじて笑顔でレイニーに問いかける。
「だからこそですよ。村の皆さんでどうにもできないのですから、このままだとラーナちゃんもネズミと一緒に村で生活をすることになりますよ?」
「うっ……」
「ネズミを何とかできるかもしれないのは、ラーナちゃんだけなんです! お願い! やってください!」
ぱちん、と手を合わせて可愛らしくお願いするレイニー。
彼女にそこまでされては断るわけにもいかず、ラーナは「はい……」と死人のような顔で頷いた。
「え、ええと……それじゃあ、祝福を強化しますね」
フィンがラーナに右手をかざす。
彼女の体が一瞬、青白く光り輝いた。
「終わりました。祝福を使ってみてください」
「いや、この祝福は使うも何もないんだが」
ラーナが困り顔でフィンに言う。
「そうなんですか?」
「ああ。大体2メートルくらいの範囲に動物がいると、そいつの意識が『なんとなく』頭に入り込んでくるんだ」
「なら、A+に強化した今なら、もっと広範囲の動物の意識が感じられるようになってたりしません?」
「いや、そんなことないな」
「ふむ……ハミュン、ピコを呼んでくれる?」
「はい!」
ハミュンが指を唇で噛み、ピィーッと指笛を吹いた。
すると、すぐにピコがトコトコと彼女の下へと走ってきた。
ハミュンがピコを抱っこして、フィンとラーナの下へ歩み寄る。
「はい、フィン様」
「ありがとう。ラーナさん、どうです?」
「……おかしいぞ。猫の意識が頭に入ってこない」
ラーナが怪訝な顔でピコを見るが、急に、「うわ!?」と声を上げて後ずさった。
「えっ? どうしたんです?」
「い、今、この猫しゃべったよな!?」
「え?」
フィンがピコを見る。
「いえ、しゃべってないですが……。だよね、ハミュン?」
「は、はい。いつもどおりのピコですよ?」
困惑顔で言うフィンとハミュンに、ラーナが焦り顔になる。
「いや、しゃべってるぞ! ほら、今も! 『ネズミを捕まえ損ねた』って言ってるじゃないか!」
「ラーナちゃん、それって、ラーナちゃんが祝福の力で猫の言葉が分かるようになってるんじゃないでしょうか?」
「……え?」
ラーナが唖然とした顔になる。
そしてもう一度、ピコに目を向けた。
ラーナとピコがじっと目を見つめ合い、時折互いに頷いている。
ラーナは数秒そうしたあと、レイニーに目を向けた。
「……猫と、頭の中で会話ができるようになりました」
「「「おおー!」」」
フィン、ハミュン、レイニーの声が重なる。
周囲にいるすべての者たちからも、大きなどよめきが起こった。
「頭の中で会話ができるって、人間と話しているみたいに猫と話せるってことですか?」
フィンの問いかけに、ラーナが頷く。
「ああ。私が意識を向けている動物と、頭の中で話すことができるようだ」
「その辺にいる鳥とかの声が聞こえてきたりはしないんですか?」
「ちょっと待て」
ラーナが、少し離れた家の屋根に止まっている数羽の小鳥に目を向ける。
ピーチクパーチクと、囀っている様子だ。
「……勝手には聞こえてこないが、意識を向ければ聞こえるぞ。あの鳥たちは私たちを見て『何やってるんだろうね?』と話している」
どうやら、祝福を強化したことによって、性質自体が変化したようだ。
今まではラーナ本人の意思に関係なく、周囲の動物の意識が雑多に頭に入ってきてしまっていた。
だが、祝福をA+に強化したことによって、対象を自在に選べるようになったようだ。
屋根の小鳥の声が聞こえたことからして、その効果範囲も広がっているようである。
「ラーナさん! ネズミ! ネズミを説得して、村から出ていかせてください!」
「お願いします! もう毎日毎日ネズミの運動会を見るのは嫌なんですぅ!」
メリルとエヴァが、ラーナに駆け寄る。
必死の形相で詰め寄る2人に、ラーナはたじろいだ。
「わ、わかった。何とかやってみるが……ネズミを探さなければ、話はできないぞ。お前、ネズミのいる場所は分かるか?」
ラーナがピコに言うと、ピコはハミュンの腕の中から地面に飛び降りた。
ちらりとラーナを振り返り、尻尾をゆらゆらと揺らしながら歩き始める。
どうやら、ラーナが直接声に出しても会話は成立するようだ。
「『ついてこい』と言っているぞ」
「あ、はい。皆、行こうか」
ピコの後に続いて、ぞろぞろと村の中を移動する。
しばらく歩き、フィンたちが暮らしている領主邸に到着した。
「ここが、村の中でネズミが一番多いらしい。家の天井と床下に、たくさん住んでいるそうだ」
「「え゛っ!?」
メリルとエヴァが引き攣った声を上げる。
「あらら……私たち、ネズミと一緒に何カ月も生活していたのね」
「お前たち、とんでもない環境で生活してたんだな……」
ガタガタと震えているメリルとエヴァの傍らで、フィブリナとオーランドは苦笑するのだった。




