第20話 忘れえぬ日々
その日の夕食後。
フィンたちは明日から本格的に村の改革に取り掛かるため、領主邸の居間で話し合っていた。
「それじゃあ、明日から始める内容をおさらいするね」
フィンがテーブルに手帳を広げる。
先ほどまでの話し合いの結果をまとめたものが、簡潔に記されている。
「事業は3つ。まず1つ目が食糧の増産と品質管理。責任者はメリルとスノウさん」
「うん、任せてよ! 高品質な野菜をばんばん作ってあげるから!」
自信ありげに、メリルが胸を張る。
名目上、メリルが責任者で、スノウがその補佐だ。
スノウが祝福で野菜を育て続け、メリルが収穫したものを片っ端から最高品質に変える。
それらは食糧庫に保管し、ある程度量が確保できたら、他領に話を持ち掛けて買い取ってもらうのだ。
「今植えられているダト芋でしたら、7日もしないうちに大量に収穫でき始めると思います。今のうちから、買い取り先を見繕っておいたほうがいいかと」
「えっ、そんなに採れる見込みなんですか?」
驚くフィンに、スノウがにっこりと微笑む。
「はい。たくさん肥料を用意してもらえたおかげで、今こうしている間にもどんどん大きくなっていますよ。貯蔵場所も新しく造らないと、すぐに収まりきらなくなると思います」
「そ、そんなにですか。わかりました、貯蔵場所の建築も行いましょう。これ、新しく領主邸を作ってる場合じゃないな……」
「フィン様、大丈夫ですよ! 少し狭いですけど、何とか全員寝泊まりできるくらいの広さはあるんですから!」
ハミュンが明るく言い放つ。
だが、この村にはいろいろな祝福を持つ下級貴族を大勢呼び寄せる予定なのだ。
「今は確かにそうなんだけどさ、これ以上人が増えたら住む場所がなくなっちゃうよ。遅かれ早かれ、家は建てないといけないんだよ」
「そ、そうですか……」
なにやら、しゅんと肩を落としているハミュン。
フィンは小首を傾げながらも、手帳に目を戻した。
「えっと、2つ目の事業は、この近隣の地図の作成。責任者は、僕とハミュンだね……ハミュン、聞いてる?」
「えっ? は、はい! 地図ですね!」
「うん。あちこち案内してもらうことになると思うけど、よろしくお願いするよ」
この地域は長年管理がおざなりになっていたせいで、困ったことに非常に古い地図しか存在していない。
数百年前に、エンゲリウム鉱石という非常に長い間燃え続ける鉱石が採掘されていた当時の地図があるにはあるが、あまりにも古すぎて現在の地形と差異が大きすぎるのだ。
そのうえ、エンゲリウム鉱石を採掘していた鉱山付近は比較的細かく記されているが、それ以外はほぼ空白である。
とりあえずは大まかな地図を作製し、他の地域との交易や資源探査に役立てるのが狙いだ。
本当ならば、オーランドに来てもらって資源探知の祝福を使ってもらうのが一番手っ取り早い。
だが、領地運営にいっぱいいっぱいの状態の彼に、何日も領地を離れてこの村に来るように頼むのはさすがに無理があるだろう。
とりあえずは自分たちでもできることを、1つずつこなしていくしかない。
「うん。別に詳細な地図を作ろうっていうわけじゃないけど、けっこう時間はかかると思うんだ。大変だと思うけど、頑張ろう」
「はい! 頑張ります!」
再びフィンが手帳に目を戻す。
「それで、3つ目の事業。サウナ風呂の建設だね。責任者は、フィブリナ姉さんとエヴァさん」
「はあ、やっとお風呂作りに取り掛かれるのね……。エヴァちゃん、頑張りましょうね」
「はい。お風呂は死活問題ですから、頑張ります!」
風呂については、ハミュンをはじめとした女性陣たっての希望であり、村の皆で使うことのできるサウナ風呂を早急に造ることになっていた。
風呂用の小屋の建設から始めないといけないので、多くの人員を割くことになっている。
倒壊しかかっている建物も解体し、使えそうな材料があれば流用する予定だ。
「よし、明日から皆で協力して頑張ろう。今はまだ春だからいろいろ作業も進められるけど、寒くなってきたらそうもいかなくなる。安心して冬を迎えられるように、今から大急ぎで事業を勧めないといけない」
「ハミュンちゃん、この辺って、冬場は雪はどれくらい降るの?」
メリルの問いに、ハミュンが思い出すように唇に指をあてる。
「んーと、雪は年に4、5回くらいしか降りませんね。たまにものすごく降ったなって思う時でも、足首の少し下くらいです」
「へえ、そうなんだ。山奥って、もっと雪が降るものだと思ってた」
「この辺りは盆地だからね。周囲を山に囲まれてるから、空気はわりと乾燥してるんだよ。雨もそんなに降らないでしょ?」
「はい、そのとおりです! さすがフィン様、なんでも知ってるんですね!」
嬉しそうに言うハミュン。
他の皆はそんな話は初耳らしく、感心した様子でフィンを見ていた。
「フィン、よくそんなこと知ってるね。学校じゃ、そんなこと習わなかったと思うけど」
「前世で話を聞いたことがあっただけだよ。山を越えた空気って、山を下るときに温まりながら乾いていくんだって。だから、盆地は雪も雨も少ないらしいよ」
ほう、と皆が感心して頷く。
「なるほどなぁ。フィン、その前世の知識ってやつさ、この先いろいろと役に立つことも多いと思うぞ。話を聞く限り、どうやらこの世界より技術はかなり進んでるみたいだしさ」
「そうね。知ってることで役に立ちそうなものがあったら、どんどん教えてくれると嬉しいわ」
ロッサとフィブリナの言い分に、フィンが苦笑する。
「いや、そうは言っても僕はただの一般人だったし、そこまで詳しく何でも知ってるわけじゃないよ」
「でも、私たちよりは知っていることは多いはずでしょう? なにしろ、人生を2回分経験しているわけなんだから。それも、別の世界で」
「確かにそうだね……。うん、わかった。何か気づいたら、すぐに皆に伝えることにするよ」
「ええ、ぜひそうしてちょうだい。あなたの知識は、きっと祝福以上にこの先役に立つことになるかもしれないんだから」
「しかし、他人の祝福をA+にするっていうだけでも反則的な力なのに、別の世界の記憶まで持ってるって、ちょっと欲張りすぎだよな。まったく、次兄の俺より末弟のほうが頭いいし祝福もすごいって、俺の立場も考えろよ」
ロッサがぐりぐりとフィンの頭をこねくり回す。
「し、知らないよ。文句なら女神様に言ってよ……」
「ふふ、でも本当にどうしてフィンにそんな祝福が宿ったのかしらね」
「だなぁ。頭打ったってだけで、まるで人が入れ替わったみたいに性格まで変わっちまったしよ。お前、本当にフィンなんだよな?」
「正真正銘、本物のフィンだよ。記憶だってちゃんと昔のも残ってるんだから……ちょ、いい加減頭をぐりぐりするのやめてよ!」
「ええい、この、羨ましいぞ弟よ! これから出世しても、兄ちゃんのこと大切にしてくれよな!」
「わ、わかったって! わかったからやめてよ!」
その後、皆でフィンに前世の世界について質問攻めにしながら、しばらく雑談を続けたのだった。
* * *
数時間後。
フィンは1人、家の外で夜空を見上げていた。
あの後、それぞれ別室で湯で体を拭いた後に就寝となったのだが、どうにも眠れずにこっそり起きてきたのだ。
「フィン」
ぼうっと星を眺めていると、ふと背後から声をかけられた。
「メリル、どうしたの?」
「えへへ、なんか眠れなくて」
メリルはフィンの隣に来て、一緒に空を見上げた。
「綺麗だね……。なんだか、王都にいた時よりも綺麗に見える気がする」
「この辺りは真っ暗だからね。王都は夜遅くまで街灯がついてるし、お店もいっぱい開いてるからさ。星の明かりが霞んじゃうんだよ」
真面目に答えるフィンに、メリルが苦笑する。
「どうかした?」
「ううん、フィンらしいなって思って。記憶が戻ってから、いろんなこと教えてくれるようになったよね」
「そうだね……ほんと、前の人生とのギャップが大きくて、僕も驚いてばかりだよ」
フィンが笑うと、メリルは心配げな目を彼に向けた。
「……フィンは、前のフィンと同じフィンだよね?」
「え?」
きょとんとした顔を向けるフィンに、メリルが少し陰のある笑顔を向ける。
「あはは。ごめんね、変なこと言って」
「……僕が、別の誰かに入れ替わったみたいに感じる?」
先ほどロッサに言われたことを、フィンが言う。
メリルは小さな声で「うん」とつぶやいた。
「フィン、頼もしくなったよね。すごく明るくなったし、祝福だってすごいのが身に付いちゃったし、いつも前向きだし。私の知ってるフィンじゃなくなっちゃったみたい」
「それは……確かにそうだね。でも、僕は僕だよ。小さい頃からメリルにずっと守ってもらってたフィンだ。記憶が戻って考えかたが変わったっていうだけで、僕は僕のままだよ」
「……うん、そうだよね。ごめんね、変なこと言って」
「変なことだなんて……」
お互い言葉を発さず、沈黙が流れる。
「……ねえ、覚えてる? 確か10歳の頃だったと思うけど」
何気なく星を眺めていると、不意にメリルがフィンに声をかけた。
「夏休みに帰省した時に、私がフィンのお父様が大切にしてた陶磁器の壺を割っちゃってさ」
「ああ、そんなこともあったね。僕がメリルを庇って自分がやったことにしようとしたら、オーランド兄さんに『それはメリルがやったんだろうが』ってばらされちゃったっけ」
「そうそう! あれ、本当に酷かったよね! せっかくフィンが庇ってくれたのに、結局2人してすっごく怒られちゃったしさ!」
メリルが楽しそうに答える。
少しだけほっとしているような、そんな雰囲気もフィンには感じられた。
「あはは、壺を割ったことより、嘘をついたことのほうで父上はすごく怒ってたよね。メリルも嘘つきの共犯みたいに言われちゃったし」
「ほんと、あれは理不尽だって子供心に思ったわ! 今にして思えば、あれからオーランド様のことが苦手になったような気もするし」
「それは逆恨みだよ。僕たちが悪かったんだしさ」
「わかってるけど納得がいかないの! だいたい、フィンが私のことを庇わなければあんなことにはならなかったんじゃない!」
「ええ……それこそ僕にとっては理不尽な言いがかりだよ……」
それからもしばらくの間、フィンとメリルは思い出話をしながら星空を眺めていたのだった。




