第17話 スノウとエヴァ
馬車が停まり扉が開くと、中から現れたスノウがフィンに気づき、にっこりと微笑んだ。
「フィン様、ご無沙汰しております」
「スノウさん、おひさしぶりです。エンゲリウムホイストへようこそ!」
フィンが差し出した手を取り、スノウが馬車を降りる。
「まだお誘いしてから10日しか経っていないのに、もう来てもらえるなんて思ってなくて驚きましたよ」
「ふふ、はやくお仕事に取り掛かりたくて、大急ぎで予定を整理して出てきてしまいました」
「そうだったんですか。もしかして、他にもお仕事の依頼が入っていたんですか?」
「はい。ただ、ほとんどは王都の大貴族の庭園関係のものでしたから、いいかなって思って断っちゃいました」
てへ、といったふうにスノウが笑う。
「えっ、大貴族の庭園って……断って大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。私がいなくても、優秀な庭師の方にお願いすれば、花は咲かなくても綺麗に整えることはできますから」
「そ、そうですか。まあ、僕としてはありがたいです。これから、よろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします」
フィンが答えた時、馬車の中から、苦しそうな呻き声とともに女性が顔を出した。
肩にかかるほどの青色の髪をした、見るからにおっとりとした雰囲気の女性だ。
年のころは20代前半といったところだろうか。
「うぅ、気持ち悪い……スノウちゃん、手を貸してください……」
「あらあら、大丈夫? もう少し馬車で休んでいたら?」
「そんな、領主様に挨拶しないわけにいかないでしょ……うぇ」
「えっと……彼女は?」
「フィリジット家の長姉のエヴァです。私が無理に誘って、連れてきてしまいました。エヴァちゃん、挨拶して」
「うっぷ……あっ、し、失礼しました! 私、エヴァ・フィリジットと申します!」
馬車を降り、慌てた様子で姿勢を正して挨拶するエヴァ。
かなり顔色が悪い。
「あ、はい。よろしくお願いします。あの、大丈夫ですか?」
「うう、すみません、馬車に酔っちゃって……」
「ほら、無理しないでその辺に座って、少し休んでて」
「うん……」
近場の草むらに座り込むエヴァ。
スノウは苦笑すると、フィンに顔を向けた。
「彼女の祝福は、『水質改善(E)』です。フィン様の祝福で強化してくだされば、きっとお役に立てますわ」
「水質改善ですか! それは素晴らしいですね!」
フィリジット家の者の祝福については、フィンもリストを見て把握している。
全員が水に作用する祝福を持っており、エヴァの持つ祝福をはじめとして、どれもが領地運営には役立つだろう。
先日、ライサンドロスに飛ばした伝書鳩に持たせた手紙にも、フィリジット家は登用候補として家族全員の名前が挙がっていた。
「ちょうど、近くに大きな池があるんです。エヴァさんには、ぜひその池の水に祝福をかけてもらいたいのですが」
「は、はい! 私なんかの祝福でよければいくらでも! あの、フィン様の祝福は、他人の祝福をA+にまで強化するものだとスノウちゃんから聞いているんですけど……」
「ええ、そうですよ。エヴァさんの祝福も、A+にまで強化できます。さっそくやってみます?」
「えっ、い、今ですか!?」
「はい……といっても、水のある場所に行かないと意味ないですよね。気分が良くなったら、池に行ってみましょうか」
その時、首からタオルをかけたロッサが、ガラガラと荷車を引いて2人の傍を通りかかった。
頬には土汚れが少し付いていて、髪はしっとりと濡れて額に張り付いており、いかにも「一生懸命働いています!」といったいで立ちだ。
「ロッサ様。おひさしぶりです」
ロッサに気付き、スノウがぺこりと頭を下げる。
「ん? あっ、スノウさん! 来てくれたんすか!」
額に流れる汗をタオルで拭い、ロッサが爽やかな笑顔を向ける。
先ほどまで、汗などこれっぽっちも掻いていなかったのだが。
「ひさしぶりっすね! 道中、大変だったでしょう?」
「ふふ、村でのお仕事が楽しみで、全然大変だなんて思いませんでしたよ」
スノウが柔らかく微笑む。
ロッサはそれでやられてしまったようで、早くも鼻の下が伸びていた。
「すごい汗ですね……あ、頬に泥がついてしまっています」
スノウがポケットからハンカチを取り出し、ロッサの頬を拭う。
「いやあ、村の皆と肥料を運んだり枯れ枝を集めたりしていたらこんなになっちゃって。いつもこんな感じなんすよ。はは」
「まあ、そんなことまで……私もお手伝いさせてください。作業はどちらで?」
「あ、それなら、スノウさんには肥料を与えておいた作物に祝福をかけてもらおうかな。俺が案内するんで。フィン、いいよな?」
「う、うん。そうだね。お願いするよ」
「おし。じゃあ、そのついでに村の案内も俺がしとくよ。馬車の荷降ろし、お願いな! この荷車、使っていいからさ!」
「すみません。フィン様、エヴァちゃんをお願いします」
フィンにぺこりと頭を下げ、スノウはロッサとともに畑の方へと歩いて行ってしまった。
なんてやつだ、とフィンは内心ひとりごちるが、声には出さない。
「え、えっと……とりあえず、荷物を下ろしちゃいますね」
「あっ! わ、私も手伝いますから!」
慌てて立ち上がったエヴァとともに、フィンは馬車から荷物を降ろすのだった。
* * *
ガラガラと荷物を満載した荷車を2人で引き、彼女たちに滞在してもらう家屋へと向かう。
住む場所は、フィンと同じ建屋、領主邸(仮)だ。
この村には空き家が崩れかけの廃屋しかないため、誰かしらの家に間借りするしかないのだ。
新しい家は村人たちに建ててもらっている最中だが、完成にはまだ時間がかかりそうだ。
「なるほど、スノウさんとは友達なんですか」
「はい。初めて会ってから、もう10年以上になります。私にとっては、お姉ちゃんみたいな感じです」
フィリジット家はスノウに定期的に仕事を依頼しており、数カ月ごとに彼女を招いている。
仕事内容は、季節外れのハーブの栽培だ。
フィリジット家はそのハーブを使い、あちこちの貴族にお茶を振舞ったり、領内に持つカフェを運営している。
どの時期でも新鮮なハーブティーが楽しめるため、領内の店舗はちょっとした人気店となっているらしい。
「フィン様がいらした日は、ちょうど家族全員で急に隣町のお茶会の仕事が入ってしまっていて……ご挨拶できなくて、本当にごめんなさい」
「いえいえ。僕らこそ急に、しかもお客さんを尋ねに行ってしまってすみませんでした。謝るのはこっちのほうですよ」
「ふふ、じゃあ、おあいこですね」
エヴァが優しく微笑む。
スノウとどことなく似た、温かい雰囲気の女性だなといった感想をフィンは持った。
そうして雑談しながらしばらく歩き、領主邸へと到着した。
「ここが領主邸です。といっても、村長さんの家を間借りしている状態なんですけどね」
フィンが扉に入り口の引き戸に手をかける。
引き戸を引いた瞬間、その隙間から数匹のネズミが飛び出してきた。
それを追いかけて、ハミュンの飼い猫のピコが勢いよく飛び出してきた。
「うわっ!?」
「きゃああ!?」
エヴァの足元を走り抜けるネズミを追いかけて、ピコが猛烈な勢いで走っていく。
すぐそばの草むらにネズミとピコが飛び込んだ瞬間、「ヂュッ!」という短い悲鳴が響いた。
のそりと、ネズミを咥えたピコが悠々と草むらから姿を現す。
「ねねね、ネズミっ!? ネズミがいるんですかっ!?」
「え、ええ。なんかこの村、ネズミがすごく多くて。猫を何十匹も飼ってるんですけど、駆除が追いつかないみたいなんですよね」
「ふええ……私、ネズミ苦手なんですよ……」
エヴァが半泣きで震え上がっていると、家の中からハミュンが顔を覗かせた。
「フィン様! 今ピコがネズミを追いかけて……あ! 一匹捕まえたんだ!」
ハミュンがピコに駆け寄り、よしよしと頭を撫でる。
ピコは、どうだ、とでも言っているようなドヤ顔になっていた。
「よしよし、偉いよピコ。……えっと」
ハミュンがエヴァとフィンを交互に見る。
「ハミュン、紹介するよ。今日からここで一緒に働いてくれるエヴァ・フィリジットさん。水質改善の祝福を持ってる人なんだ。スノウさんが連れてきてくれたんだよ」
「え、エヴァです。よろしくお願いします……うぅ」
びくびくとネズミたちが走り去っていった草むらに目を向けながら、エヴァが挨拶する。
「わ、スノウさん以外にも、貴族様が来てくださったんですか! 私、ハミュンっていいます。よろしくお願いします! メリル様たちにも教えてあげないと!」
ハミュンが家の中に向かって、メリルとフィブリナを呼ぶ。
「ネズミはっ!? ネズミはもういない!?」
「いませんよ! それに、ピコが一匹捕まえました! 褒めてあげてくださいね!」
「わかった! わかったから、そのネズミどっかに捨ててきて! もう、毎日毎日ネズミだらけでなんとかならないわけ!? 今日だけでも4回見たわよ!?」
家の中から響くメリルの声に、エヴァが顔を青ざめさせる。
「そんなにネズミだらけなんですか!? 一日に4回も出るんですかっ!?」
「あ、あはは。そのうちなんとかしますから、少しの間だけ我慢してもらえればと」
「が、我慢って……」
フィンの言葉に、がっくりとエヴァが肩を落とす。
ハミュンがそれに気づき、明るい笑顔を向けた。
「エヴァさん、大丈夫ですよ! ネズミって、焼いて食べると結構美味しいんですから!」
「何が大丈夫なのか全然分からないですよう……食べるのなんて絶対無理です……」
「ちょっと! ネズミはもう捨てたの!? そっち行っても平気!?」
「あ、いえ! 今、ピコが頭からばりばり食べてます!」
「ぎゃー! どこか別のところで食べさせなさいよ!」
その後、ハミュンが食事中のピコを抱えて遠くに置いてくるまで、メリルの怒声が響き続けたのだった。




