第1話 ポンコツの祝福無し
ライサンダー家は、オーガスタ王国の首都オーガスタに隣接する地域の一区画を任されている中堅貴族である。
そんなライサンダー家の三男坊、フィン・ライサンダーは、幼少の頃、『神童』と呼ばれていた。
1歳で両親の言葉を理解しているそぶりを見せ、その半年後には両親と論理立った会話ができるようになった。
2歳になる頃には1人で本を読むようになり、3歳の時点で2歳年上の次兄と4歳年上の長兄とともに家庭教師から勉学を教わるようになって、すさまじい勢いで知識を吸収していった。
その後もフィンの利発さは留まるところを知らず、5歳になった頃には王家から登用の話が持ちかけられた。
将来、この子はとんでもない大物になる。
皆がそう信じて疑わなかった。
だが、18歳の現在、彼に対する周囲の評価は、幼少の頃とは真逆のものになっていた。
「おい、ポンコツの『祝福無し』。今日でお別れとなると、少しばかり寂しいものがあるな」
王都の大聖堂で厳かに執り行われている、貴族学校の卒業式の最中。
フィンの隣に座る、金髪碧眼の見るからに利発そうな青年が、フィンにささやく。
フィンは無表情のまま、祝辞を述べる学長に目を向けたままだ。
「ドラン様。もう二度とこの間抜け面を拝めないとなると、それはそれで寂しいもんですね!」
「ヒヒッ、こいつのしょぼくれた顔は、何度見ても飽きないからなぁ」
ドランと呼ばれた青年の右隣りに座る2人が、彼に同意するように言う。
フィンは貴族学校に入学してからというもの、彼ら3人に毎日のように嫌がらせを受けていた。
ドランは国内の有力貴族、トコロン家の跡取り息子だ。
隣の2人の名はボコとザジ。
中流貴族出身で、ドランの腰ぎんちゃくだ。
「なあ、黙ってないで少しは何か言ったらどうだ?」
「……別に何も話すことなんてないよ。卒業式くらい、放っておいてくれないかな」
「うわ、こいつ偉そうな口をききますね! 『放っておいてくれ』ですって!」
「ヒヒッ、声が震えてるぞ。腰抜けフィン」
ボコとザジが小声で言いながら、クスクス笑う。
ドランは鼻で笑うと、フィンの足を思い切り踏みつけた。
フィンは痛みにわずかに顔をしかめながらも、平静を装う。
「おい、フィン。無能は無能らしく、ずっとそうやってやせ我慢して生きていけ。日陰者は日陰者らしくな」
「穀つぶしとはこいつのことを言うんですね!」
「根性もないし『祝福』もないんじゃ、どうしようもないよなぁ。ヒヒッ」
『祝福』とは、貴族の血を引くものであれば必ず持っている特殊能力だ。
父親の持つ祝福は第一子の男子に完全遺伝する。
それ以外の子供たちには母親の持つ祝福が遺伝することもあれば、まったく別の祝福が備わることもある。
だが、それは総じて長男よりも劣った能力が備わるとされていた。
だがどういうわけか、フィンには祝福が備わっていなかった。
そのせいで周囲からは無能の烙印を付けられ、プライドの高い貴族の級友からは蔑まされているのだ。
それに加え、5歳の時に従姉妹たちと遊んでいた折、崖から転落して頭を打ってしまってからは利発さも失われ、まるで別人のように性格や立ち振る舞いまで変わってしまったのだった。
「学生諸君。この学び舎で身に着けた貴族としての力を生かし、我らがオーガスタ王国のさらなる発展に尽力していただきたい。諸君に祝福の女神の加護のあらんことを!」
学長が締めの挨拶をし、生徒全員が立ち上がる。
「「「我らがオーガスタ王国にさらなる発展を!!」」」
全生徒の声が響き、式が終わった。
フィンにとっては拷問のような学園生活が、ついに終わりを告げたのだ。
* * *
「おい、最後にちょっと付き合えよ。酒でも飲みに行こう。俺が奢ってやる」
大聖堂を出るやいなや、ドランがフィンの肩を組む。
「お、いいですね! こいつがどこまで飲めるか、最後に試してみましょう!」
「つっても、吐くまで飲ませるけどなぁ。ヒヒッ」
「い、いや、僕はいいよ」
「おいおい……連れないこと言うなよ。最後くらい楽しく――」
「フィン!」
強引に連れて行こうとする3人にフィンがささやかな抵抗をしていると、背後から涼やかな声が響いた。
ドランは振り返り、チッ、と舌打ちをする。
彼らと同じ年ごろの少女が、ドランを睨みつけていた。
気の強そうな切れ長の瞳と、肩にかかるほどの真紅の髪が印象的な女の子だ。
「ちょっとあんたたち! もうフィンのことは放っておいてって言ったでしょ!? フィン、行くよ!」
ずかずかと歩みより、フィンの肩からドランの腕を強引に引き剥がす。
ドランは、やれやれ、といったように肩をすくめた。
「またお前か。まったく、最後の最後まで保護者気取りだな」
「うるさい! あんたたちがフィンにちょっかいを出すのがいけないんでしょ!?」
フィンを引き寄せ、キッとドランを睨みつける。
彼女はメリル・ライサンダー。
フィンの従姉妹で、同じ貴族学校に通う同級生だ。
入学してからドランたちに苛められ続けるフィンを、常にこうして庇い続けている。
「いい加減放っておいてよ! もう二度と会うこともないんだから、関わらなくてもいいでしょ!?」
「そんなこと言われても、こいつで遊ぶのは楽しくてなぁ。最後なんだし、派手に遊ばせてくれてもいいだろう?」
「いいわけないでしょ!? どうしてそう、簡単に人を傷つけられるのよ! フィンも何か言い返しなさい!」
メリルがフィンの肩を掴み、強く揺する。
フィンはうなだれたまま、視線を足元に落としたままだ。
「まったく、そんな無能を相手にして何か得でもあるのか? お前も貴族の女なら、もっと俺みたいに有能な男に媚びとけばいいのに」
「そうそう、そんなやつを庇ったって、見返りゼロなんだからよ!」
「ヒヒ、お前みたいな底辺祝福持ちには、フィンみたいなのがお似合いかもしれないけどなぁ」
心底馬鹿にしたように言う3人に、メリルの顔が怒りに歪む。
「あんたたちは……! フィン! しゃきっとしなさい!! ライサンダー家の男でしょ!?」
メリルの叱咤に、フィンがドランの顔を見る。
ドランはそんなフィンを、鋭い目つきで睨みつけた。
「何だ? 言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「ぼ、僕は……」
「フィン! メリル!」
フィンがなけなしの勇気を振り絞ろうとした時、1人の女性が駆け寄ってきた。
腰まである長い赤髪と、おっとりとした目鼻立ちが印象的な女性だ。
メリルの4歳年上の姉で、名前はフィブリナ・ライサンダー。
仕事で出席できなかったフィンたちの両親に代わり、式に参列しにきていたのだ。
フィブリナはかなり慌てている様子で、表情は憔悴しきっていた。
「姉さん! 聞いてよ、またこいつらが――」
「フィン、メリル、落ち着いて聞いて」
フィブリナがメリルの言葉を無視して、2人に詰め寄る。
メリルは顔をしかめたが、次の言葉を聞いて目を見開いた。
「お父様たちが、王家の調査団と洞窟で資源調査中に崩落事故に遭ったらしいの。すぐに王宮に向かうから、ついてきて」
* * *
「オーランド兄さん! ロッサ兄さん!」
フィンが従姉妹たちとともに王宮の一室に駆け込むと、2人の兄が深刻そうな顔で何やら話し合っていた。
いかにも生真面目そうな顔立ちの男が、長兄のオーランド。
糸目でどこか飄々とした雰囲気の男は、次兄のロッサだ。
「3人とも来たか。こっちに座れ」
オーランドがフィンたちを呼び寄せ、ソファーに座らせる。
「フィブリナから聞いたとは思うが、父上たちが王家の調査団と資源調査中に崩落事故に遭った。事故の具合からして、調査団の生存は絶望的とのことだ」
「えっ!? そ、それは本当なのですか!? 私たちのお父様とお母様は!?」
メリルが血相を変えて、オーランドに詰め寄る。
オーランドは力なく首を振った。
「おそらくダメだろう。『生命探知』の祝福を持った者が調べたが、1つも探知できなかったらしい」
「そ、そんな……」
愕然とするメリルの肩を、フィブリナが抱く。
フィブリナは凛とした表情で、オーランドを見た。
「オーランド様、私たちの今後は?」
「法令どおり、今日からライサンダー家の家督は長兄の俺が継ぐ」
この国では、家督を継げる者は男の第一子と法令で定められている。
領地を治めている父親の祝福を完全に受け継ぐのが、男の第一子のみだからだ。
『祝福』の力は絶大で、その力によって貴族は領地を統治し、豊かにすることができる。
フィンの父親の祝福は『資源探知(C)』。
ダウジングのように、周囲10メートルほどの範囲内の水脈や鉱物資源の場所を探知できる能力だ。
長兄であるオーランドは、その父とまったく同じ祝福を持っている。
祝福には強弱があり、最弱がEだ。
E、E+、D、D+……といったように強くなり、A+が最高である。
祝福の女神を奉る教会にある『水鏡』を覗き込むことにより、祝福とその強弱を調べることができる。
「フィブリナのところは男子がいないから、叔父上たちの領地の管理権限も遺産もすべて俺が引き継がねばならない。フィブリナたちの面倒は俺が見る」
オーランドはそう言うと、隣で頭を抱えている次兄のロッサに目を向けた。
「ロッサ、お前も今までみたいに好き勝手はできないぞ。俺もまだ、父上から領地運営の手法は齧る程度にしか学んでいない。お前の助けが必要だ」
「ああ、分かってるよ……くそ、なんてこった……」
頭を抱えたまま、ロッサが答える。
オーランドが非常に優秀かつ真面目な正確なため、ロッサは「長兄に任せておけば大丈夫」と青春を謳歌していたのだ。
ちなみに、彼の祝福は『腐敗(D+)』。
近くにある一定量の物をゆっくりと腐敗させることができる能力で、母方の血筋の祝福が隔世遺伝した。
「フィン」
オーランドがフィンに目を向ける。
「父上たちが死んでしまったことで、ライサンダー家は窮地に立たされている。これは分かるな?」
「はい、兄さん」
フィンがこうしてオーランドと話すのは、久方ぶりだ。
オーランドは実力至上主義者であり、祝福を持たず知性も凡人並みなフィンに一切興味を持っていない。
邪険にしているといったことはないのだが、温かみがまったく感じられない彼のことが、フィンは苦手だった。
「俺は何としても、ライサンダー家を守らねばならない。率直に言うが、そのためにはお前を手元に置くと、内外からの風当たりが強くなる。何か失敗すれば、無能力者を領地運営に携わらせているからだと言われることになるだろう」
オーランドの話に、フィンは黙って耳を傾ける。
兄の言うことはもっともだと、よく理解しているからだ。
貴族が領地運営に失敗し、それを挽回できないと判断されれば、王家から領地を取り上げられて他の貴族に再分配されてしまう。
つまるところ、お取り潰しになるのだ。
「だから、お前にはこの土地から離れてもらう。ここに置いておくと、ライサンダー家の評判に関わるからな」
「そ、そんなのあんまりです! フィンをライサンダー家から追い出すということですか!?」
メリルが縋るような顔でオーランドに訴える。
「いいや、そうじゃない。ここからはだいぶ離れた場所に、以前から形だけライサンダー家の領地として任せられている一帯がある。フィンにはそこの管理を任せる」
「そこはいったいどのような場所なのですか? そんな土地があるなど、初めて聞きましたが」
フィブリナがいぶかしんだ表情をオーランドに向ける。
彼女は貴族学校を卒業してから両親を手伝って領地運営をしていたので、ライサンダー家の管理地域全域についてはある程度把握しているのだ。
「一言で言えば、何もない寒村だ。資源なく土地も痩せていて、まったく重要性がないからと管理もおざなりになっている。管理しろとは言ったが、そこで領民たちと当たり障りなく生活してくれればそれでいい」
「……フィンに、そこで生涯を終えろというのですか?」
メリルが怒りのこもった目をオーランドに向けた。
「そうは言ってない。何年かかるか分からないが、こちらの領地運営が盤石になったと判断したら必ず呼び戻す。それまでの間の話だ」
「そんなの、いつになるか分からないじゃない! 血を分けた兄弟でしょ!? どうしてそんなことができるのよ!!」
「メリル、いいんだよ。僕はそこに行くから」
掴みかからんばかりの勢いで言うメリルの腕を、フィンが掴む。
「兄さん、そこへ向かうのは、葬儀の後でもいいでしょうか?」
「フィン!」
メリルがなおも抗議の声を上げるが、フィンはオーランドの目を見たままだ。
「ああ、もちろんだ。葬儀には皆で出席する。だが、崩落事故の場所が場所だけに、祝福を使ってその場所を探査していた父上の責任だと、巻き込まれた他の遺族たちからは責められるだろう。何があっても、取り乱すなよ」
「分かりました。大丈夫です」
フィンは微笑むと、メリルに顔を向けた。
彼女はぼろぼろと涙を流しており、その目は真っ赤だ。
――ああ、僕はこの娘のことが好きなんだな。
そんな想いが、フィンの頭によぎる。
「メリル、少し早いけど、お別れを言っておくよ。今まで僕のことを守ってくれて、本当にありがとう。時々は帰ってくるから、その時は――」
「私も一緒に行くから!!」
叫ぶように言うメリルに、オーランドとロッサ、そしてフィンがが唖然とした顔を向ける。
「オーランド様、私もフィンと一緒に行きます! いいですよね!?」
「私も一緒に行くわ」
メリルに続いて、フィブリナまでそんなことを言い出した。
「えっ、フィブリナ姉さんまで何を……」
困惑顔のフィンに、フィブリナは優しく微笑む。
安心して、とでも言いたげな、とても優しい微笑みだ。
メリルは何も言わず、オーランドをじっと見据えている。
「いいの。私がそうしたいだけだから」
「……分かった。2人の判断を尊重しよう。好きにしてくれて構わない」
「ありがとうございます。先立って、支度金を少々いただきたいのですが、問題ありませんか?」
「ああ、もちろんだ。あまり多くは出せないが、先にいくらか渡す。叔父上の遺産がはっきりしたら、領地運営に使う分以外の金はフィブリナに渡そう」
オーランドはそう言うと、再びフィンに顔を向けた。
「フィン、こんなことになって本当にすまない。なるべく早くお前たちを呼び戻せるよう、俺も力を尽くす。それまで、辛抱してくれ」
「は、はい……」
「フィブリナ、メリル。フィンのことをよろしく頼む」
「はい、お任せください。ほら、メリルもお礼を言いなさい」
「……ありがとう……ございます」
渋々といったように礼を言うメリル。
フィンとしてはありがたい限りなのだが、まさかそこまで2人がしてくれるとは夢にも思わなかった。
ここに残ればオーランドの庇護の下で、今までと大差ない生活を送ることができるのだ。
それを捨ててまで、自分に付いて辺境領地での生活を選ぶとは。
「よし、とりあえず話はこれくらいにしておこう。葬儀の手配をしなければ。ロッサ、いつまでうなだれているんだ。しっかりしろ」
「あ、ああ……」
よろよろと、ロッサが立ち上がる。
不安で仕方がない、といった顔つきだ。
そんな彼に続き、フィンたちもソファーから立ち上がるのだった。