No.2
ここから本編となります。
それでははじまりはじまり。
No.2
「……ああ、空が青い……」
芝生の上に寝っ転がって空を見上げると雲ひとつない。青い、何処までも澄みきった晴天が拡がっている。
暖かで緩やかな日射し。時折吹く風が花の薫りを運んでくると、何とも眠気を誘ってくる。
「このまま何もかも忘れて眠ったら、きっと楽なんだろうな……」
春麗らかな陽気に身を任せ。瞼をゆっくりと閉じたい気持ちになる。
だがそれをするには、少し、いや、大分、いやいや、物凄く今の自分の状況がおかしいと言うことを見逃さなくてはいけなくなる。
「確か、仕事から帰ってきて、部屋のベットに入って、即寝たまでは覚えてる。目覚ましが鳴らないからおかしいなと思い。目を覚ませば空が見える」
限り無く黒色に近い灰色な企業に身を置き。日夜サービス残業と言う名の労働をしていた。
家と会社の往復だけが自分の行動範囲と言うくらいに、何処かへ遊びに行く余裕すらない毎日を送っていた。
そんな毎日を送っていたある日。どんなに疲れきって寝ていても、体は仕事に行く時間だと意識を覚醒し目が覚める。
だけど目を覚ました場所は自分の見慣れた部屋ではなかった。
起き上がり辺りを見渡すと。すぐ近くには煉瓦作りの二階建ての屋敷と呼んで言い家があった。
どこかの外国の居住にこんな家があったなぁと、と言うのを思い出した。
しかし日本の一般家庭では先ずお目にかかれないような家。
そんな家の二階部分の窓から、女性がこちらを見つけ。軽く手を振ってくる。
反射的に手を振り返して応える。
しかし何故かその女性に見覚えはあるも、ぱっとすぐには思いませなかった。
誰であろうかと声を掛けようとして、女性をもう一度見ようとしたときには、その姿を消していた。
「ここはいったいどこだ? いつのまにこんな場所に……」
取り合えず立ち上がろうと地面に手を着いた時に、その着いた手が小さいことに気がついた。
それはまるで子供の、一、二歳の手のように思えた。
「……ははは……そんな馬鹿な……」
自分は少なくとも四十近い、いい年をしたおっさんであった。四十年近く見てきた自分の手が、こんな子供のような手ではないことは百も承知している。じゃあ一体この今の見えている手は何か?
自分の中でその答えはあった。
そう言った言葉があることは知っている。
だけどそれが実際に起こりうるのかと言う疑問もまた同時に思い浮かぶが。目の前に映る手は、嫌が応もなしに現実に在るものだと言うことを突きつける。
「……俺、転生してる……」
☆★☆★☆
あれから暫く落ち着いて考えてから、いきなり一、二歳の子供に転生してると言うのは幾らなんでもおかしいと言うことに考えに至る。
「転生なら赤ん坊から始まるだろう。途中からと言うことは、憑依とか言うやつか? そうするとこの子供の意識は……」
嫌な考えが一瞬過るが、どうも憑依とも違うと言うことに気がついた。
それはどちらかと言えば同化、と言うのが近い感覚であった。
何しろ子供としての記憶も持っていたからだ。
この子供の名前は『デュヴェルオブリス』。家族から『デュオ』と言う愛称で呼ばれている。
ここはクロウバルワ王国にある。ヤーナ・マーナ地方と言う場所にある辺境の村。トトカト村。
そこの村に住む、ロッソストラーダ家の次男として生まれ。家族は父。母。姉。兄。自分の五人家族だが、その他にもお手伝いさん的な人物が何人かいる。
お手伝いさんが要ることで、かなりの良いところの坊っちゃんなのかと記憶を探ると。母親の方が良いところの家の出の人物だと言うことが分かった。そして父親が婿養子と言うことも。
まあそれはどうでもいいことか。
とにかく貴族的な家系かと記憶を掘り返すも、その辺の事情は分からなかった。
ただロッソストラーダ家主体で開拓民のような事をやっているようなので、『貧乏貴族』と言う言葉が頭に浮かんできた。
この辺まで考えが済んでくると、どうして自分の意識がこの体の持ち主の子供の意識よりも主軸として強く在るのかと考えたが、一、二歳の子供と四十歳の大人の思考や経験ではどちらがより重みがあり。前面に出やすいかと考えれば、自明の理であると思い至った。
「デュオさま。そろそろ風が冷たくなって参りました。お部屋に入りましょう」
自分が考え事をしていると声を掛けてくる人物がいた。
声の主が誰であるかは子供の記憶からすぐに分かった。
起き上がり。そちらに振り向き。
「うん。分かったシェルt……!?」
言葉が止まる。
子供の記憶で分かっていても、いざそれを自分の意識で改めて見ると止まってしまうものだった。
「? どうかされましたか?」
首を傾げ、心配そうな表情をする見た目十七、八歳くらいの女性がいた。
彼女はオーソドックスなロングスカートタイプのメイド服に身を包み。女性らしい丸みを帯びたスラッとした体型。目や鼻はスッと整った顔立ちをしている。
特に目筋は切れ長で鋭く。印象的に睨んでいるようにも見えてしまうが、彼女はそんなことは気にしない。
そして明るい茶色のサラッとした肩まである髪。常に清潔を保ち維持している。
そんな髪の、頭の天辺に三角形のモノが、人ではあり得ないものが生えていた。
それは俗に言う『ケモノ耳』である。
彼女は『獣人族』と呼ばれる種族の中の『賢狼族』と呼ばれる一族の出の女性である。
故にその耳がピクッと動くところを見ると、つけ耳とかではなさそうだと言うのがよく分かる。
「デュオさま?」
彼女がもう一度声を掛けると正気に戻り。
「ごめんシェルティ。思わず見とれちゃった」
「ご冗談を。その様なお言葉はデュオ様には些か早いと存じます」
世辞を言ったつもりはまったく無かったのだが、彼女には、シェルティには通じなかった。それほどまでにシェルティには聞きなれた美辞麗句と言うのもあるのだろうが。
「その様なお言葉を今から言われ慣れますと、あのクズと同じ。人生舐めきった生き方をなさいますよ」
おしとやかなしゃべり方をしていたシェルティだったが、途中から殺意にも似た雰囲気を醸し出した。
変わらぬ口調。変わらぬ表情であるが、空恐ろしく感じるもので、思わずその足を後退させたくなるほどのモノである。
「あの……シェルティ。一応、ボクの父さんなんだけど……」
「私の中ではこの家に勝手に住み着いた、駆除しきれない害虫と同列の認識でした。ですからその様な事実があると言うのも、すっかり忘れておりました」
彼女、シェルティは有能な人物である。
そう俺の中では認識している。掃除洗濯料理。家事全般。何でもこなせる人である。たまに見掛けると事務的なことまでやっていた記憶もある。
そんな有能メイドと呼んで差し支えない彼女だが、どう言うわけか、父親に関してだけは物凄く容赦のない扱いをしている。無論扱いだけでなく。腐った生ゴミでも見るかのように蔑んだ目を常にしている。
それをこの家の家族は日常として受け入れているから、彼女がこの家での立ち位置が、何処にあるかと言うのが伺い知れると言うものだ。
「さあ、お風邪を召さない内にお部屋に入りましょう」
シェルティから殺気だった雰囲気が消え。いつもの冷静な彼女へと戻ると、再び家に入るよう促す。
自分は彼女の言葉に頷き家へと向かう。
その横をシェルティが自分の歩幅に合わすように歩き。
「デュオさま。空を見上げていたようですが、何か面白いことでもありましたか?」
「ううん。だけど天気が良くて。過ごしやすい季節になってきたなぁって」
「そうでございますね。ヤバルナ様が司る冬が終わり。今度はカリブルヌス様が司る春へと移ろって行きます。そして夏、秋と行き。また冬へと巡っていきます」
「カリブルヌス様は人族を見守る春を司る神様だよね。お会いしたことないけど、何処に要るんだろう?」
この世界は『クラウベルブァーナ』と言う。その意味は『懐深き地母神』。
創生神とも呼ばれ。この世界その物のとも言われている。
そして『クラウベルブァーナ』に付き従う四柱神。
人族を見守り。春を司り、東方を守護せし神。『カリブルヌス』
精霊族を見守り。夏を司り、南方を守護せし神。『ラーナ・マーヤ』
獣人族を見守り。秋を司り、西方を守護せし神。『ギヌバ』
魔族を見守り。冬を司り、北方を守護せし神。『ヤバルナ』
それ以外にも四柱神の下に従属神と呼ばれる神々が連なっていると言われているのがこの世界『クラウベルブァーナ』だ。
そして四つの種族の名前が出てきた事から分かるように、この世界には四種に分かれた種族が存在する。
互いに争いはなく。平和に暮らしていると自分の中の知識にはある。
「どうでございましょうね。私もギヌバ様のお姿を直接拝見したことはありません。ですが神々のお力の一部を感じたことはあります。今年の冬はヤバルナ様のお力が特に増していたようで、今だ遠くの山々にはそのお力の名残が残っているようですね」
遠くの山を見ると、今だに白い雪景色が見える。
こうしたことから分かるように、この世界では『自然の力=神の力』と言う考えが在るようだ。
最もこの世界には他にも神秘的な理があるようで、もしかしたら、何処かにそうした存在がいるのかも知らない。
「くっしゅん!」
「お体を冷やされたようですね。早くお部屋に入りましょう。バルガスに言って暖かいスープでも作らせます。それを飲んでお体を暖かくしましょう」
くしゃみをした自分の手を引いて早く入るよう促すシェルティ。
その手に引かれ付いていく自分はもう一度だけ空を見上げ。自分が今いる世界が、ファンタジー世界と呼ばれる世界であることを改めて思い知る。
何故自分がこんな状況に陥ったのかは分からないが、今後は『デュヴェルオブリス』として生きていく他はないだろうと考え。そして決意する。
「デュオさま?」
「何でもないよシェルティ。部屋に入ろ」
今度は自分がシェルティを引くようにして家に駆け入っていく。
子供らしく振る舞うことは出来ないだろう。家族や回りの大人達から不信がられるかもしれない。
それでもこの姿で。この人生を精一杯生きていこうと歩いていく。