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ただの、ありふれた、普通の『御伽』  作者: くだりづき
第一章 始まり始まり
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第一章 その4 "二人の夜に"

よろしくお願いします


 俺はとにかく寝覚めが悪い。


 今までに心地良く目覚めることができた、と言えるのは遠足や修学旅行といった行事の朝や、部活で大切な試合がある日の朝くらいだった。


 要するに、目覚めが良いことは稀であると言えるのだが、今回はその稀の方らしい。


 夢も見ぬまま熟睡(気絶していたので熟睡といえるのかはわからないが)していたにもかかわらず、体の感覚が戻った瞬間意識がはっきりとし、卒倒してしまう直前までのやり取りが鮮烈に思い出された。


 ハッとして瞼を開けると、そこには木造の天井があった。月明かりに照らされた窓の格子の影が、多数の平行四辺形となっていて方向感覚を狂わされる。


 どうやら俺は、あれから半日ほど眠ってしまっていたようだった。

 ゆっくりと上体を起こしてから周りを見渡すが、この部屋には俺が寝ているベッドと、その右隣りに一組の机と椅子があるばかりだった。




--その椅子に、ルシエは静かに腰掛けていた。




 しかし、その姿を見つけるのには少々時間を要した。

 まず第一の理由としては、現在ルシエの身を包んでいる寝間着のようなものが挙げられる。

 それは先ほどのローブとは違って薄手であり、形状はワンピースに近いものなのだが、そこには可愛らしい花柄や美しいレースといった煌びやかなものは微塵も見当たらない。ただ黒、漆黒。隅々、一切に至るまで黒色であった。

 故に、それはまるで忍び装束のごとく彼女を闇へと溶け込ませていた。


 第二の理由は、彼女の美しい黒髪が月明かりに照らされ、その幽かな反照により生み出される幻想的な雰囲気によって彼女は更に闇夜へと溶け込んでいた為である。

 一度素通りし、部屋の中を一周して戻ってきた俺の視線がその翡翠色の双眸へと辿り着いた瞬間、彼女の頰はふっと綻んだ。


「おはよう、ございます」


 やはり、心地よい音程だな。


「うん、おはよう。ごめんな、急に倒れちゃって……」


 先ほどの俺の気絶は、ルシエの急な告白に緩んでいた気が変な方向へと引き絞られたことも原因かも知れないが、やはり一番の原因は強烈な血液の匂いであったと思われる。


 この世界に来るまで、俺が実際に目にしたことのある最多量の血液は、三ヶ月ほど前に自転車で転倒したときの出血であった。確かに、あの時は涙目になるほどの激痛であったし、その傷は今も少し残っている。

 しかし、あのときに流れ出してしまった血液を全てかき集めても、あの有名な乳酸菌飲料の小さなボトル一本どころか半分程度だっただろう。これは、貧血気味の俺が倒れなかったことと、この傷の治療が保健室で済んでしまったことから立証できる。


 つまり、俺は血液に耐性が無かった。いや、むしろあの量の血液に耐性がある人間など、医者や警察官、軍人、あとはヤの付く職業の人くらいだろうが、その結果、俺は血の匂いに酔ってしまったというわけだ。



 いやいや、冷静に分析をしてみたもののやはり格好悪い。



「いえ! こちらこそ沢山の情報を急激に伝え過ぎてしまいましたよね……。むしろこちらのせいです。ごめんなさい! あと、小太郎さんの服はボクの血で真っ赤になってしまっていたので、取り替えさせて頂きました。あ、でもズボンは汚れが少なかったのでそのままです。安心してください」



 それは有り難い。もし、あの血みどろの服を着たままだったら、俺は再びみっともなく失神していたかもしれない。



――おい。何気に俺、この娘に着替えさせて頂いちゃいましたよ。



 ダメだ、急に恥ずかしくなってきた。

 まず、上半身だけであったことは幸運だと言える。

 たが、いくら部活で鍛えていたからといっても所詮は中途半端な長距離選手。体つきには全くと言っていいほど自信がない。


「あ、ありがとう! 着替えさせてくれて」


 俺は内心動揺しつつも、どうにか抑えつけることができたのに、


「あ、いえ。直接小太郎さんの服を着替えさせたのは師匠です。お礼なら師匠へお願いします」


 はい、追加ダメージ発生。


 ほぼ初対面の大人の女性に服を着替えさせてもらったなど、思春期男子とっては『急所に当たった』だ。

 念のために言っておくがこの場合の急所は別にいやらしい意味は無い。


 恥辱のあまり、顔面や耳の先端が、急激に熱くなっていくのが分かった。

 ほぼ反射的にルシエから目を逸らし、視線は掛け布団の上にある握りこぶしへ。


「ふっ、ふふっ、くくくくっ」


「――?」


 小さく発せられたその声に、俺は布団から視線を跳ね上げる。

 その声とはルシエの笑い声であった。

 よく可愛らしい笑い方を、鈴を転がすようなと言うがまさにその通りだ。

 声を抑えながらもコロコロと彼女はその美貌に笑顔を咲かせながら、


「やっぱり、小太郎さんは純情ですね。でもちょっと動揺しすぎですよ」

 と、イタズラっぽく俺に言った。



 ほ、惚れてまうやろーーー!



 なんだこの可愛い生き物は。

 人間か、これで同じ人間なのか。

 あ、そもそも異世界なんだから同じ人間の定義が曖昧か。

 などと関係の無い方向へ思考が転がる中、


「だったら、ボクが着替えさせてあげていれば良かったですか?」


 またとんでもない事を口にしながら、ルシエは微笑んだ。


 と、同時に、今度は彼女の耳や頰が紅潮し始めた。


 みるみるうちに、その赤みが顔全体へと広がる。月明かりの中でもはっきりと分かるほどに。


 もしかして、自分で言って自分で恥ずかしくなってる、のか?

 ダメだ。やっぱり可愛すぎないかこの娘。

 ダメだ。抱きしめたい。



「いやいや! 流石にそれはダメだ!」


 口にすることで、邪な思考をどうにか断ち切る。


 危うく、まだ出会って間もない年下の少女を抱きしめるところだった。

 元いた世界なら完全に犯罪だ。いや、こちらの世界でもそうだろう。

 しかし、合意の上なら大丈夫なのか? だが未成年だぞ?


……合意? 何故だろう、なんかいやらしい気がする。


 平静を取り戻しかけていた俺の頰が、耳が、再び熱を持ち始めていく。


「そう、ですか……。やっぱり、そうですよね」


 今度はまさに『しょんぼり』という効果音でも発生しそうな落ち込んだ声で言いながら、ルシエは微笑った。紅潮していた顔や耳からすっと赤みが引いていく。


「いや! 別に、ルシエだからって訳じゃなくて、そもそもこの歳になって他人に、しかも女の人に着替えさせてもらうってこと自体が問題で……」


 また取り繕う、というよりは何かの勘違いを訂正する。

 そして再び、ルシエは赤面する。


「あ、いや! そうですよね! すみませんでした……。でも、血塗れの服を着せたままベッドへ入れるわけにもいきませんでしたから」


「それもそうだよね! いや、こっちこそ大したことでも無いのに大袈裟に言っちゃってごめんね」


 確かに、深紅に染まってしまったあの制服を着たままであったら、今頃この肌触りの良い純白のベッドは大惨事となっていたに違いない。


 そこで会話はひと段落する、が、では自分が今着ているものは何なのかと気になった。

 見てみると、質素な白い長袖のTシャツ的なものを着せられている。素材は綿だろうか? 厚手のガーゼのような肌触りだ。


「あ、その服は――」


 俺の視線に気付いたルシエが何か言おうとする。


 が、それを聞くより俺の脳がフル稼働を始める方が早かった。

 思春期の脳が高速回転。当然思考は良からぬ方向へと突っ走って行く……


……このシャツは二人のいずれかのもの

=俺の肌は今、双方どちらかの肌と間接的に――


「新品ですのでご心配なく」


――俺の早とちり(幻想)は打ち砕かれた。


「今何か変なこと考えてました?」


 そして彼女は声のトーンは変えず、ジト目で俺の顔を見つめてくる。


――この目覚めてからの短時間で、一つ気付いたことがある。


 この娘、ルシエはとても感情表現が豊かだ。

 楽しいときに笑い、恥ずかしいときには赤面し、少し怒ったときにはそれを訴えかけるような目つきになっている。


 とても分かりやすく、素直で、無垢で、真正直で、真面目で、真っ直ぐで。


 俺は思わずルシエから目を逸らした。


「べ、別に考えてないよ」


「そうですか……。ならいいんですけど」


 少し不満げな声で、呟くようにそう言う。

 そして再び少しの沈黙が訪れる。



 ふと気付いた。



 先程まで、浮き沈みを繰り返していたはずの自分の心が、驚くほど静かなことに。

 そして、こんなにも異常な事態に陥っているにもかかわらず、この状況を、彼女を、この先を、すんなり受け入れようとしている自分がいることにも。


「では小太郎さん」


 こうしてまた静寂は破られる。


「実はまだチュートリアルも終わっていません。もう少し説明したいことがあるのですが、大丈夫ですか?」


 今度は、しごく真剣な表情で俺の瞳を覗き込む。


 俺の精神はかつて無いほど落ち着いていた。

 頭も正常に機能している。

 五感も異常無く働いている。



--やはり、現実なのだ。



 どこかで受け入れることを拒んでいた。

 いや、受け入れられる範疇を超えていた。

 いや、受け入れてはいけないと、そう思っていた。

 何度も何度も夢見て、夢見て、夢見て、夢に見て、引き戻されて。


 その度に、とてつもない虚無感を味わうことになる。


 それが嫌で嫌で仕方がなかったから、俺は見ることを諦めていった。


 だが、これは現実だ。


 受け入れて、夢見て、信じていいのだ。いや、受け入れないといけない。

 その翡翠の双眸を見返し、俺は顔に笑みを貼り付けて言った。


「ああ。この世界のこと、もっと教えてくれるか?」、と。


――まるで少年漫画の主人公のように。


「は、はい! もちろんです! あ、でも……、その、あの……」


 ニッコリとした笑みをを浮かべた後、彼女はまたもや急速に赤面し始めた。今回はなんだかモジモジして落ち着かないでいる。

 なかなか口に出すことのできない内容なのか、また何度目かの沈黙が訪れる。


 たっぷり二十秒ほどあったその間、俺はただひたすら彼女の美しい容貌を眺めていた。

 やはり可愛い。最も目を引かれるその翡翠の瞳もさることながら、小ぶりな鼻、薄いが柔らかそうな唇、長い睫毛、形のいい眉毛、その全てが完璧である。

 総合的には年相応に幼い顔立ちではあるが、その豊かな感情表現によって年下にも同年代にも、また年上に見える。


 そして、もう一度その翡翠へと視線を戻した瞬間、沈黙が破られる。



「ぁあの! ボクと一緒に、寝ていただけませんか⁉︎」



お読みいただきありがとうございます。

厚かましいこと極まりないとは思いますが、よろしければ感想やレビュー、お願い致します。


ちなみに、次回もベッドから出ません。

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