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第三章 その13 "魔力供給"



 ——えっ。


「え……」


 文字通り声にならない俺の驚愕と、小さく洩れ出たテトの絶句が重なる。


 そこに更なる説明の要求が含まれていると取ったのだろう。様々な感情の入り混じる表情を浮かべつつも、再びルシエは語り出す。


「その、人体において魔力が最も出入りしやすい部分が、口なんです。呪文を唱えるのとそうでないのとでは、発動する魔法の威力に差ができたりするのも、つまりはそういう事なんです。だから——」

「にゃ、ちょ、ちょっと待ってください! そんな、コタローとなんて、あ。ちが、いや、その……、それは、流石に……」


 勢い良くルシエの言葉を遮るテトだが、語を重ねるにつれて曖昧な物言いになっていく。そして次第に彼女の可愛らしい猫顔が、朱へと染まっていく。

 普段なら軽くからかってやるところだが、今は他人の事を言っていられない。

 なにせ現状の俺は首を回すことにすら難儀する状態だ。赤面でしようものなら、一発で気付かれるだろう。


 だが、だがしかし。


 は?え? 接吻? つまり、キスだろ? え、マジか!

 そんなん、正直言って興味が無いわけ無いじゃないか。


 いや、ついさっきルシエに言った、テトを恋愛対象として見られないという話、あれは嘘ではない。嘘ではないが、それとこれとはほんの少しだけベクトルが別だ。

 大体、テトは今のパーティーの中で唯一、俺にとって丁度良い年齢差の異性。

 更に可愛いなんて次元じゃないほどの顔立ちと、年相応の有る訳ではないが無い訳でもないその肢体に、邪な感情を抱けないほど俺は無欲じゃないんだよ。

 当然、良心も理性も未経験ゆえの臆病も、最大出力で止めにかかってきてはいる。きてはいるが、そこに救命という大義名分が掛かってきた今、それらは急速にその力を衰えさせつつあったのだった——


 ——と、かなり思春期的な愚考を巡らして見たものの、当のテトが拒絶の意を示してしまえばそれまでなのだが。


「テトさん、もし出来ないようでしたらほか——」

「い、いえ!別に嫌って訳じゃな……あ、い、いや、あ、ちが、そうじゃなくて、ちょ、コタロー! 今、こっち見んな!」


 しかしこれは想像していた以上に好感触。

 そして高まる期待に応えるように、急上昇する俺の心拍数や血圧や体温。


 本当に俺はもしかして、今からこの頰まで真っ赤に染まったネコミミ少女と、キ——



 そこまでの未来を心中に思い描きかけたところで、俺の胸にひどい疼痛が走った。肉体的な痛みではない。もっと鈍く重く苦しい痛み。



 ………………やっぱり、ダメだよな。



「で、でも、そうしなきゃコタロー、危ないんだよな……、じゃあ、しかたな——」

「ぁぇ、ぁ!」


 テトにとっては大きな大きな決意だったのだろうに、その意志を遮ったのは、俺の情けない喉から鳴る音だった。

 俺が何を言ったかなんて伝わるはずもない。だが、俺の真面目な表情を見れば、ふざけていない事くらいは分かってくれるだろう。


「…………え、……だ、め?」


 なんて程度に考えていたのだが、テトの反応は俺の予想を大きく上回ってくれた。これは、俺の意志が通じている、のか?


「て、テトさん、小太郎さんの言っていることが分かるんですか?」


 驚きを隠せず、ルシエは大きく瞳を見開いてテトを問いただす。


「……え、あ、は、はい! これも獣人の感覚の一つみたいなもので、表情とか雰囲気とか語気とからなんとなくですが、分かるんです」


 獣人どんだけ有能なんだよ。だがどうしてそれを申し訳なさそうに言うんだテト、もっと誇れば良いものを。

 依然として表情の暗いテトに若干の不審は抱いたものの、この好機を逃す訳にはいかない。俺は必死で声を上げて赤髪少女の気を引き、意思疎通を図る。


「——ぉぁぉ、——!」


 何故か俺の声にテトは肩を跳ね上げ、いよいよ心配になってくるほどのしおらしい表情でこちらを見つめてくる。

 何か俺は、間違った事をしてしまったのだろうか?


「ほかの、ほうほう?」


 己への疑心が膨らみ始めたところだったが、俺の思考は無事彼女へ届いたようだ。


「ルシエ様、何か他の方法があったりしますか?」


 そう、さっきテトがほんのりと拒絶の雰囲気のような物を匂わせたとき、ルシエが何かを言おうとしていたのを俺は聞き逃していなかった。


「あ、はい! あるにはあるんです。けど、こっちは凄く時間がかかってしまうんですが……」


 賛否を求めるテトの琥珀に対し、俺はYESの念を乗せた視線を送った。


「…………、大丈夫です。聞かせてください」

「えっと、口の次に魔力の通いやすい部位は、手の平なんです。だから手を繋ぐことでも魔力を注ぎ込むことはできます」



 …………じゃあ、先にそっちを言って欲しかったな。



 いや待てよ、他にやり方があったならどうしてルシエは俺たちに接吻を勧めたんだ?


「でも、手の平だと口とは違って直接のやり取りは出来ないんです。だから、小太郎さんの身体に自由が戻るまで魔力を供給しようと思うと、少なくとも、三時間は……手を繋いでいないといけません」


 今度はルシエが申し訳なさそうに、視線を落としてそう告げる。

 うん、三時間、か。確かに長い。今から三時間後なんて確実に陽も落ちているだろう。


「ちなみに、その……口で、した場合は、どのくらいかかるものなんですか?」


 胸の前で人差し指を付き合わせ、おずおずと尋ねたテトに、ルシエは細やかな白い五指を広げて見せる。


「約、五秒です」


 ご、五秒……。

 そこまで差があるものなのか。

 ここで俺は僅かに惑う。旅の無駄な時間を省くか、仲間の純潔を守るか。


 いや、迷うところでもないだろう。答えなど、決まっている。


「………………、ルシエ様、コタローは、手の方が良いみたいです」


 先程までよりも少し時間がかかったが、テトは俺のアイコンタクトをきちんと読み取ってくれたようだ。

 その翻訳を受け、心配そうにこちらを見つめてくるルシエに、俺はテトに向けたのと同じ視線を送る。通じたのかは分からないが、頷くルシエの翡翠から僅かながら霞が晴れたように見えたのは、俺の気のせいではないだろう。


「それではその前に、ちょっと場所を変えましょうか。えっと……あ! あそこに少し大きな岩があります。あそこまで、テトさん、コタローさんをお願いできますか?」



 ——へ?



 ちょっと元気が戻ったと思ったら、また何言ってんだルシエ?


 あそこまで、お願い…………文脈的に、俺をあの位置まで移動させる、要するに背負って行くって事だよな。確かにテトの身体能力なら、その程度造作も無いかもしれない——しれないが! 俺にとってはかなりの大事だ!

 だって女の子に背負われるなんて、男としてかなりの恥だろ。いや、今日はもうそれを超える恥を曝け出しまくったわけだが。だからこそ、もうこれ以上見せたくないという気もする。


「は、はい! 了解しました! ……コタローも、いつまでもその変な格好じゃキツいだろうしな」


 ……テトよ、今そのイジリはかなり胸に刺さるぞ。感動するじゃなくて痛い方の意味で。


 それさえも読み取れたのか、テトにいつものようなイタズラめいた笑顔が戻った。……さっきまでの弱々しい表情もあれはアレで可愛らしかったが、やはり、彼女にはこの笑みが一番似合っている。


 ……はぁ。まあ、今俺はどうすることもできないんだ。ここはもう、成り行きに任せる事としよう。


「それじゃ、よっ、と!」


 と、ネコミミ少女の笑顔に勾引かどわかされ、俺は内心諦めモードに入っていたのだが、


「ぁ? ————っ!!」


 気付けば俺は、テトに背中と膝裏を支えられた状態で宙に浮いていた。

 間近に迫る、仄かな嗜虐心を滲ませる笑みと小さな八重歯。濃密な、女子特有の甘い香り。時折右上腕に当たるなにか柔らかいもの。


 つまるところ、お姫様抱っこである。



 ……マジですか。



「ぁぃ——ぁ!!」


 ちょっと待って、それは聞いてない。

 だが、この色々と危うい状況では暴れる事も叶わない。ただひたすら屈辱に耐えるのみ。


「今のはボクも分かりました。……小太郎さん、照れてますね」


 ワントーン落ちたルシエの呟き。背中に何かが伝うのを感じつつ、否定できない自分が恨めしい。


「ボク、小太郎さんの剣とさっき落とした荷物取って来ますね」

「あ、ルシエ様、荷物はあたしが拾っておきました。今、腰に巻いてます」

「そうでしたか。では小太郎さんの剣と、あ、あと自転車も取ってきます。テトさんはあそこに着き次第、小太郎さんへの魔力供給を開始しておいていただけますか?」

「はい! 了解しました」


 テトに明確な指示を出し、行ってしまったルシエの表情はいつもと変わらない微笑だったが、声は普段よりも低いままで、目はどう見ても笑っていなかった。


 …………しかし、なんだろうこの感情は。何故だか分からないが俺は今どこか、安心感を得ている? 一体、何に対して?


 己の感情理解すらままならないところではあるが、そんな事より案じるべきはルシエの身の安全だ。たとえ死体とはいえ先程まで暴れていた化物の元に一人で向かわせるなど、嫌な予感がしてならない。

 俺はその旨をテトに伝えようと首を擡げるが、


「大丈夫、確実に殺してあるから。もう二度と動かねーよ。あいつみたいな陰属だとたまに自己修復して復活したりするけど、それもできないように頭ん中ぶっ潰してやったし」


 そ、そうですか……。


 ……なんだろう。テト、もしかして何か怒ってるのか?


 今、『ぶっ潰してやった』と告げた瞬間の彼女の横顔が、何故か俺には、ひどく恐ろしく見えた。



「っはぁ〜、到着! さすがに男一人担ぐと疲れるな」



 だが、そんな俺の憂いなど露知らず、テトはいつものいたずらな笑みを戻すと少々荒めに俺を目的地の地面に降ろした。痛くはなかったがその配慮の無さに、文句の一つでも言ってやりたいところだが、今の俺にそんな権限あるはずもない。そもそもの話、口はきけない。


「もっと優しく下ろせって顔してんな」


 ——表情、読めすぎじゃないか?


 先程よりもさらに笑みに嗜虐さを増し、テトは俺の隣の地面に直接腰掛ける。



 ……あれ?なんか物凄く不安になってきたんだけど。



 もしかしてアレか? 今まで俺がテトに向けていた不純な目線も、全部悟られていたりする、のか? ……だったら、ヤバくね?


「はぁ、大丈夫。これ、基本的に言葉が話せる奴には通じないから」


 ってほらまた読まれてるし!!


「話せない奴って、本能的に自分の考えてる事を相手に伝えようとするんだよ。あたしはそれが読み取れるだけ。獣人だと、喋れない人もいるからな」


 な、なるほど。今の俺はその本能的に伝えようとしてる状態だったと。

 とりあえず一安心だ。平常時までこんなに心情を読まれていては、思春期男子として軽く引きこもれるレベルの話だった。


「でも、コタローはちょっと読みやす過ぎるな。普通の時でもそこそこ分かるし」


 ————引きこもりたい。


「……まぁ、そういうとこも、ちょっとお……兄貴に、似てるんだけど」


 俺の羞恥心がもうそろそろ臨界点を突破するというところで、テトの笑みをふわりと純粋が包み込む。


 恥ずかしい事に、その美しさに見惚れてしまっていたところ、右手を包む柔らかな温もりを感じるのに、少々の遅れが生じた。


 だが一度感じてしまえば、それはあまりにも心地良い温かさ。

 自由は戻らないが、全身を支配していた苦痛は途端に止み、代わりに幼子の体温のような熱を帯びた血液が、ゆったりと身体中を巡る。


「でもやっぱ、さっき改めて思った。……コタローは兄貴に似てるよ」


 急速に満たされる。

 身体が、頭が、心が。

 温もりで、心地良さで、幸福で。


 そして忍び寄る睡魔。遠のく意識。


「基本話してること馬鹿みたいで、自分の欲望は丸出しで、戦いはあたしより弱くて」


 ひどい言われようにいい加減反論してやろうと意識を手繰り寄せる。だが、すでに支配権は無くなっていたようで。


「でも、だれ——もやさし——、だれかの——に——でたたか——さ。そんな——しいお——ちゃ——、あたし、————」



 ——ああ、今絶対に、テトがデレてたのに。



 しかし彼女の言葉を受け取ることは叶わず、ただただ滔々と右から左へ流れて行くその柔らかな声を感じつつ、俺はずぶずぶと眠りの渦中へ落ちていった。


お読みくださりありがとうございます。

次回もよろしくお願い致します。

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