高文2
パン、と軽い音が聞こえた気がして辺りを見回した。
「高文、どうかしたの?」
去年から付き合ってる彼女が不審そうに聞いてきた。
彼女と浩樹とその彼女と一緒に大学の帰りに寄り道をしているところで、特に急いではいなかったので立ち止まる。
「ん? おい高文?」
車通りは多いけど人通りはそこまで多くない。何がそんなに気になるって、聞き覚えのある声が聞こえた気がしたからだ。
「今、何か聞こえなかった?」
「は? 別に何も−」
「しっ、静かにっ」
ぱん、とまた渇いた音がした。
下からした気がして僕は橋の手摺りから身を乗り出した。何人か小学生らしき後ろ姿が見えた。
「ほら悠里! 何とか言いなさいよ!」
「きゃあっ」
直接は見えないけど、悠里ちゃんの声だった。それに気づいた瞬間、僕は走っていた。
「お、おい、高文?」
浩樹のことも置いて、僕は橋を渡りきり回転するようにして橋の下に目をやった。
「なによ、いい子ぶって!」
尻餅をついてる悠里ちゃんが見えた。知らない女の子が手をふりあげた。
眼鏡越しに目を閉じた悠里ちゃんが見えた。その瞬間に、何も考えられなくなった。頭が真っ白になった。
「悠里ちゃん!!」
名前を呼んだ。女の子たちがぎょっとしたように僕を見て動きを止めた。
その機に砂利蹴飛ばすように傾斜を駆け降り、こけそうになりながら悠里ちゃんに寄り添った。
「お、お兄ちゃん?」
恐る恐る顔をあげ、驚いた悠里ちゃんの顔は頬が赤く腫れていた。
「大丈夫?」
「う、うん…」
「君たち、何をやってるんだ!! 寄ってたかって一人を攻撃して楽しいのか!!!」
「っ…」
理性も何もなく、自分でも驚くくらい大きな声で怒鳴りつけた。
一人が泣き出したけど、それはむしろ僕の怒りを大きくした。そんな簡単に泣くな。悠里ちゃんはもっと辛いんだぞ。
喉がひりひりした。怒りで体がどうにかなってしまいそうだ。
文句を言おうとする少女たちはさらに怒鳴ると黙りこんだ。イライラした。
「黙ってないで何とか言え!!」
「お、お兄ちゃん、いいよ、もう。大丈夫だから」
悠里ちゃんの声に、はっとした。理性がすっと戻ってくる。
「悠里ちゃん…でも」
「みんなも、もういいでしょ? 暴力は良くないよ」
「っ…行くよっ」
5人は走って行った。薄々そうじゃないかとは思っていたけど、知り合いらしいだ。とは言え状況がわからないので確認をする。
「イジメられてるの?」
「そう…なのかな?」
「…何でわからないの」
ため息をついた。自分に無頓着すぎる。
悠里ちゃんは優しくて頭がよくて、でもアホの子だ。今それを確信した。
「高文」
背後から声をかけられて振り向いた。三人の姿にあっと思わず声をあげた。
我ながら信じがたいけど、今この三人のことを忘れていた。
「その子は…もしかして天…じゃなくて、ゆ、ゆう…悠里ちゃん、か?」
「ああ」
「? あ、もしかして浩樹君?」
「お、俺のこと覚えてたのか。10年くらいぶりなのに」
「そんなにたってないよ。いくら何でも、2歳の時のことまで覚えてないし」
それでも覚えていることは驚きだけど、そもそもその時期に勉強を教わってたくらいなんだからおかしくはない。むしろ浩樹がよく覚えてたな。
「悠里ちゃん、立てる?」
「うん、大丈いっ…ごめん、足くじいちゃったみたい。立たせてくれない?」
「もちろん」
手をひいて、肩を抱いて、そっと悠里ちゃんを立たせた。
「こんにちわ。私はおに…高文君の隣の子供です。妹分やってます。お兄ちゃんの彼女の優子さん、だよね? 隣のお姉さんは浩樹君の彼女かな?」
……え?
「こ、こんにちわ」
「その通り、こっちは俺の彼女で直美だ。よくわかったな」
「簡単な推理だよ、ワトソン君。浩樹君とお姉さん、同じ指輪してるじゃない」
「なるほど。目敏いな。高文の彼女ってのは?」
「おばさんに写メ見せてもらってたから」
「ほう」
え…し、知ってたの? 隠してたのに。
「うん、写メより美人さんだねー。お兄ちゃんやるぅ」
ひゅう、と口笛を吹かれた。
……すごく、普通の反応だ。なんというか、ちょっとは動揺するかと思ったらそんなことは全くなくて拍子抜けだった。
「と、とにかく、悠里ちゃん、家まで送るよ」
「え、いいよ。大袈裟な」
「駄目。家まで距離があるし、悪化しちゃうでしょ」
「……でも、デートじゃないの?」
「デートじゃないよ。どうせ帰ってるところだから。な、浩樹?」
「あ、まあ…そうだな。心配だし、送ってやれ。お前も遠慮すんな」
「悪いな。優子も、また、連絡するから」
「え、ええ」
「…わかったよ。なんか…すみません。じゃあお願いするよ。抱いて」
手を伸ばして来た悠里ちゃんを抱き上げて腕にのせる。
「と、さすがに重くなったね」
「ここ1年で身長も5cm伸びたもの。とは言え、女の子に体重の話はタブーよ」
「はいはい、すみませんね」
僕は悠里ちゃんを連れて歩きだした。
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