冬の女王と従者ハルの物語
薄暗い廊下に点々と氷像が立ち並ぶ。
扉の前に4つ、こちら側に向かうようなポーズを取ってるものが3つ。
後者は恐らく、逃げようとして逃げ損ねたのだろう。
氷像を避けながら扉の前に進む。
「……流石に邪魔ですね。少し失礼してっと」
壊さないように、丁寧に氷像を退ける。
一応彼らの回収も任務の内だ。貴族の方々らしいので、壊しでもしたら後で何を言われるかわからない。
「さて……、すぅーーー、はぁーー」
深呼吸をして緊張をほぐし、心の準備をする。
使いの者を容赦なく氷漬けにする女王ともなれば、緊張するのも仕方ないことだ。
しかし、そんな緊張など知らないとばかりに、威圧的な声が扉の向こう側から聞こえてくる。
「……何用じゃ。もし、またしてもここから出ろという話であれば、容赦はせぬぞ」
扉越しに聞こえた声は、その口調とは裏腹に、ひどく幼い印象を与えるものだった。
まあ、これはある程度予想していたことでもある。なにせ自分の主もまた、女王とは名ばかりの少女なのだから。
「え~、初めまして。 私はハルと申します。本日は……、まずはご挨拶に来ました。それと、こちらの方々の回収、ですかね」
「……ならばとっとと回収して去れ。安心しろ、まだ生きてる筈じゃ」
この状態で、ですか…
季節の女王の力は相変わらず凄まじいものがありますね。
「それは何よりです。では、本日の所はこれで。ただ、この人数を回収するのには少々時間がかかりますね……。暫し慌しくなるやもしれませんが、ご容赦を」
「………」
返事は無し、か。まあ、今日の所はいいでしょう。
さて、では回収作業に入りますかね……
――――2時間後
「ふぅ……、これでやっと終わりか……」
氷像と化した大人たちは予想よりも遥かに重く、しかも慎重に運ぶ必要があった為、かなりの時間を要すこととなった。
ここに着いたのが19時過ぎだったので、もう21時か。
正直、ここに来るだけでも大変だったのに、さらにこの重労働では流石に体力が限界に近かった。
「……それで終わりか? ならば早々に立ち去れ。我はそろそろ寝るぞ」
扉越しに聞こえる、ややくぐもった声。どうやら女王様はそろそろ御眠のようだ。
いずれにしても悪いことをした。
「慌ただしくして申し訳ありません。これで最後になりますので、安心してお眠りください。また明日、ご挨拶に伺います」
「……明日も来るのか?」
「ええ、では、失礼致します」
そう告げて氷像を抱きかかえる。
重い。よく見ると中々に立派な体格をした御仁だ。
なんにしても、最後の最後で大仕事になってしまったな……
◇
「お疲れ様です」
この塔に着いた時と同様に、温められたタオルを手渡される。
これだけ寒くても汗は出る。ありがたくそれを受け取り、一息つく。
「皆さんの様子はどうですか?」
「ええ、言われた通り、お湯でゆっくりと解凍しまして、今は毛布に包まって暖をとっておられます」
「それは良かった。王国への連絡は?」
「先程しました。明日の朝一に皆様方を回収に来られるそうです」
よしよし。これで与えられた任務の半分は終わった。
幸いなことに死者も出ておらず、貴族の方々も面目が立つだろう。
「浴場も使える状態に戻してありますので、良ければ後ほどお使いください」
「ありがとうございます。しかし、随分な仕事量だったと思いますが、まさかお一人で?」
「いえいえ、とんでも御座いません。常駐しています女王様への物資運搬役の方にお手伝い頂きましたので」
それもそうか。あの人数の解凍作業に加え、代わりの服の準備や部屋の準備など、一人でこなせる量ではない。
自分も手伝うつもりだったのに、何から何まで終わっている為、少々驚いてしまった。
「それでお客様、お食事などはいかが致しますか?」
「うーん、もう遅いですからねぇ……。あ、それでは折角なので、またあのスープを頂けますか?」
「あらあら、本当に気に入って頂けたようで、私も嬉しいです。すぐにお持ち致しますね」
そう言って気分良さそうに厨房へ向かう老婆。
なんて言うか、年配の方に使う言葉じゃないかもしれないが、可愛らしいなと思う。
スープを頂き、風呂を借りる。
風呂上がりに案内された客室には、柔らかなベッドにふかふかの羽毛布団が敷いてあった。
「これではまるで高級ホテルのようですね……」
まあ、高級ホテルに泊まったことなんてないですけど……
さて、これならぐっすり眠れそうだ。本番は明日。しっかりと休んでおこう。
――――翌朝
「あら、おはようございます。お客様」
「おはようございます。素晴らしいお部屋を用意して頂いたお陰で、ぐっすりと眠ることができました」
時間は既に9時を回っている。
あまりの寝心地の良さに、すっかり惰眠を貪ってしまった。
羽毛布団は人を駄目にしますね……
「それはそれは、何よりです。私にできることなどこの程度しかありませんので、お役に立てたのであれば光栄でございます」
老婆と2、3、会話をしてから早速女王の部屋へ向かう。
コンコン
「女王様、おはようございます」
声をかけると。内側からドタバタと音が聞こえる。
「な、なんじゃお主……、こんな朝早くから……」
「おや、もしかして寝ておられましたか? それは失礼致しました」
朝早く……
9時を回っているこの時間でその表現とは。
どうやらこの女王様は、日常的にこの時間帯まで寝ているらしい。
少しだらしないように感じもするが、この時間まで惰眠を貪っていた私には言う資格がない。
「もうお食事はとられましたか?」
「こ、これからじゃ。お主には関係ないじゃろう?」
「いえ、もし宜しければご一緒にと」
再びガタガタと物が崩れる音がする。
ふむふむ。
「ぶ、無礼者が! 我と一緒に食事するだと!? そんなことが許されると思っているのか!?」
「……すみません。私はどうも一般常識的なものが欠けているようでして。ご無礼を働いたようなら指摘して頂くと助かります。ただ、私は普段、春の女王様と一緒に食事をさせて頂いておりまして……、つい、いつも通りの感覚でお誘いしてしまったのです」
「春の……、お主はあ奴の……」
「従者です」
そう。私は春の女王の従者。
このハルという名も、春の女王様に与えられた名だ。
「春の女王の従者で、名がハル……」
「安直だと思うのも無理はありませんが、どうか春の女王様の前では言わないようにしてください。怒り出しますので。……さて、食事の方はどうしましょうか?」
「……お主、今の流れでまだ言うか。とっとと去れ! 我は食事は一人でとる!」
「それは残念です。では、また後程伺いますので。失礼致します」
「……もう来るな」
聞こえなかったフリをして扉の前から去る。
さて、まずは腹ごしらえ。一日の始まりは朝食からですからね。
――――1時間後
「それで女王様、この部屋から出る気はありませんか?」
「戻って来ていきなり何を言い出すのじゃ!?」
いきなりも何も、それが本来の目的なのですよ女王様。
「一応、王様からはこの塔から連れ出してくれと頼まれております」
「……結局お主も同じ目的か。ならば言葉を交わす余地も無い。とっととここから去るが良い。さもなくばあの者たちと同様、氷漬けにするぞ?」
「何故でしょうか?」
「何故って……、わからん奴じゃな。我はここから出るつもりはない」
「ですから、それは何故でしょうか?」
沈黙。答えを催促したりはしない。
女王様が答えるまで、ただ待ち続ける。
「……お主に答えるつもりはない。そう急かさずとも、あと数か月もしたら大人しく出ていく。だからもう少し待ってくれ」
一応、出る気はあるらしい。
ただ、数か月か……。それは恐らく待てないだろうな。
この国は魔法の文化が発達している。そのお陰で、備蓄などについては豊富に蓄えられている。
しかし、それにだって限界はあるし、昨日のように吹雪いたりすると、生活にも影響が出る。
そこまで国民の忍耐……、いや、体の方が持たないだろう。
「女王様、残念ながらそれはできません。確かに、王家の蔵を開放すれば、数か月程度の食料は問題ないでしょう。ですが、この寒さは不味いです。寒さは体を強張らせ、体調不良の原因にもなります。国民の中でもそういった訴えが徐々に広まっています」
「そ、そうなのか?」
冬の女王が今の状況を正確に把握していない。この可能性はあった。
よく勘違いされがちなのだが、季節の女王と言えど、暑い寒いなどの気温については、普通の人間と同様にしっかりと感じている。
寒ければ暖を取るし、暑ければ涼む。
しかし、それはあくまでも感じているというだけである。彼女達は気温によって体調や健康状態を左右されたりしないのだ。
だから、寒かったり暑かったりしても、少し我慢すれば良いじゃないか、などと思っていたりする。
実際、自分の仕えている春の女王様がそうだったので、冬の女王様も例外ではないだろう。
「ええ、普通の人間は、このような寒さに長く耐えれません。体調を崩して寝込む者もいれば、場合によっては死に至る可能性もあります。だから、どうか女王様、ここから出ては頂けませんでしょうか?」
「……死じゃと、そんな……、じゃが……」
ポツリポツリと、か細い呟きが聞こえる。
やはり冬の女王も状況をしっかりと理解していなかったようだ。
聞く耳を持たぬ暴君だなどと散々な言われようだったので、もしかしたら理解した上で閉じこもっている、という可能性も捨てきれていなかったのだが……、この様子だとどうやら杞憂だったようだ。
ここまで来ればあと一押し。もう少し難航すると思っていたが、その心配も恐らくはない。きっと他の方々は説得の手順を誤ったのだろう。
「女王様、もし女王様を責めるような者がいれば、私も一緒に謝らせて頂きます。だから、私と一緒に塔を出ましょう」
「……一緒、一緒!? だ、駄目じゃ! 駄目じゃーーーーーっ!!」
!?
女王様の叫びと共に吹き付ける、強烈な冷気。
身も心も凍てつくような寒風が、ドア越しに叩きつけられる。
その寒風は廊下中を荒れ狂い、全てを凍りつくす。
「あ、ああ……、また、やってしもうた……」
廊下を吹き荒れた暴威が収まり、女王は呟く。
これが多くの氷像を作り上げた正体、というわけだ。
「成程……。どうやら、相当に今のご自分の姿を見られたくないようですね……」
「なっ!? お主、無事だったのか!?」
「ええ、こんなこともあろうかと、春の女王様からお守りを授かっていまして」
そういって胸元をさする。コートの裏地に縫いつけられたアップリケ。これがお守りの正体だ。
授かる、などと言ってみたものの、実の所はほとんど押しつけられたようなものだったりする。
しかし今は、主の気遣いにひたすら感謝したい気持ちだ。
「さて、まさか彼らが氷漬けにされた原因が癇癪とは……。本当は穏便に済ませたかったのですが、どうやら性根を叩き直す必要があるようですね」
「な、何をする気じゃ!?」
「減量、ですよ」
「!?」
扉の向こうで、今までで一番盛大に物が崩れる音がする。
大方、動揺して転びでもしたのだろう。
「実は先程、運搬役の方とお食事を一緒にとりまして。その際に色々と聞かせて頂きました。例えばこちらに運ばれる甘味の数々だったり、娯楽や趣味嗜好のあれこれなど、ね」
「うわ、うわ、わわわ…」
まあ、そんなことを聞くまでもなく、実は他にも心当たりがあったのですがね……
というのも、自分の主である春の女王が、冬の女王が塔に入る際に、ある贈り物をしていたのだ。
それが春の女王特製の羽毛布団である。
実際使ったことがある私だからこそ分かるのだが、あれは人を駄目にする魔性の布団だ。
特に冬場は不味い。あれに包まってゴロゴロしていると、一日が凄まじい速度で終わってしまうのだ。
そのことを踏まえれば、答えは簡単に出る。
日がな一日、布団に包まってゴロゴロしつつ、美味しいお菓子を食べ、娯楽に興じる。
そう、太らないワケがないのだ。
「ドア、開けますよ」
言いながら、既にドアノブは捻っている。
「ま、待て! う、見るな! 見ないでくれ!」
扉を開いた先には散らかった部屋と、転んで立てないままでいる美しい少女……の面影を残す、真ん丸な少女がいた。
「ある程度予想はしていましたが、酷い惨状ですね……」
「う、うえぇーーーん!」
仕舞いには泣き出す始末。これは叩き直し甲斐がありそうですね。
「ご安心ください。女王様をこのままのお姿で塔の外に引きずり出したりはしません。だから今のお姿を見るのは、私だけですよ」
「ぃっく……、それは、どういう……?」
「今のままの女王様では、ここで塔を出ても、また同じことを繰り返すだけになります。ですから、女王様には元のお姿に戻ってからこの塔を出て頂きます。国民の皆様にはご迷惑おかけしますが、そうですね……2か月、いえ、1か月半で減量を成功させてみせましょう」
「い、1か月半じゃと!? そんなの無理に決まっておる!」
「もちろん、苛酷になることは覚悟願います。ただ、健康面に関しては私が全力でサポート致しますので、決して無理のない減量にしてみせますよ♪」
「お、お主、目が笑っておらぬぞ……」
「ささ、まずは部屋のお片付けからです。いつまでも這いつくばってないで、立ち上がってシャキシャキ動いて下さい!」
「わ、我は女王だぞ……、いた! 痛い! わ、わかった! 起きるから蹴るでない! 鬼かお主は!」
――――こうして、1か月半にのぼる、血……は滲まないが、汗は大量に滲む減量が始まったのであった。