この恋にきづいて
『金魚姫は熊騎士の愛に溺れる』の前日譚です。
感想・アドバイス等、何でも構いません、お待ちしております!
豪奢なシャンデリアが四方に光を撒き散らし昼間のようにあたりを照らす中、上物の酒と料理を話の肴に小さな群れをなした貴族達が表向きはあくまでも穏やかで優雅に、腹の探り合いをしている。
見慣れてしまったその光景から視線を外してグラスを煽ると、度数の強いアルコールが喉を焼く。いつも部下達と飲む酒よりも数段も上等なそれはこの場所にいるという事実のせいであまり旨く感じない。
嗚呼、早く帰りたい。
こういった場所に出なければいけない自分の立場を少し恨めしく思いながら更にグラスを煽った。
眉間の皺が渓谷のように深まった頃、こつりこつりと足音をたてながらきらびやかな衣装を身に纏った男が近寄ってくる。
「随分と怖い表情になってるよ。なかなかに近寄りがたい。ランゼルド侯爵家の御令嬢の結婚を祝うパーティなんだ。もっとにこやかにしないと」
殿下はそう言うと、彼に向かって熱い視線を送っていた娘達に微笑んだ。途端に黄色い声があがる。
「せっかく沢山の年頃の娘さんがいるんだから、もっと積極的に関わればいいのに」
「殿下お言葉ですが、俺のような顔の平民上がりの中年に嫁いてくれるような娘はおりませんよ」
空になったグラスを給仕に渡し、新しいグラスを受け取る。
「挨拶回りの時も怖がられていたね。でも君の態度もよっぽどだと思うな。もう少しにこやかにしてみたらどうだい」
「それはそれで悲鳴をあげられますよ」
口角をにぃっと引き上げて見せれば、殿下は苦笑いを返した。
「……ほんと作り笑いが下手だよね」
「誰よりも承知しております」
笑みを消してグラスを傾けてワインを飲む。
「君もそろそろ嫁を貰わないといけないだろう?気を利かせたつもりだったんだけど、余計なお世話だったね」
「やはりあれはそういう意図でしたか」
殿下が珍しく挨拶回りに付き合ってくれとおっしゃるものだから、何かあるのではないかと警戒していたがそうではなかったらしい。どうりで妙齢の女性が多かったわけだ。
「君の御眼鏡にかなう娘はいなかったようだ」
「選ぶ権利があるのは俺ではないでしょう」
「君にもあるよ。気になる娘がいたら教えてくれ。紹介するくらいならできるから」
困ったように殿下は微笑すると、他の貴族の元へと去っていった。王族としての役目で忙しい中気を回してくれた友人に感謝しつつも、この件で彼に頼る機会はこないだろうとも思う。
殿下がいなくなり、俺の周りには誰もいなくなる。近づいてくるのはたまに酒を持ってくる給仕くらいだ。俺の周囲には誰も寄ってこないのだから、俺がいてもいなくても変わらないだろう。ここにいるくらいなら、家に帰って眠りたい。
壁際で一人飲み続けていると、珍しく酔いが回ってきた。何も食べずに飲み続けたのがいけなかったのか、それとも最近の徹夜がたたったのか。
手近な椅子に腰掛けてこめかみに手をやる。ぐらぐらと脳が揺れるような不快感が少しでも収まるようにと目を閉じた。
閉じられた視界の中で、女の囀るような高い声と、男の含みのある言い回しが頭痛を悪化させる。
いっその事体調不良を理由に帰ってしまおうかと思った頃、一人の侍女が近寄ってきた。
赤茶の髪に、茶色い瞳、そばかすが散るその侍女を見て最初に思ったことは珍しい、だった。
貴族にとって連れてくる侍女や執事もステータスの一種だ。有能なのはもちろんのこと、容姿も求められる。殿下が出席なさるような夜会だ、それなりの地位や繋がりがある家ものしか呼ばれていない。そんな貴族が連れてくるには彼女はなんというか、普通だ。どこにでもいるようなありふれた女性。この場において、彼女は悪い意味で目立っていた。
「よろしければこちらをどうぞ〜」
そう言って差し出されたのは透明な液体の入ったグラス。
「お水です。お加減が優れないようなのでお持ちするように、とお嬢様から仰せつかりました〜。ご不要でしょうか?」
「いや、助かった。いただこう」
グラスを受け取ると、侍女は失礼しますとだけ言って帰っていく。
俺に関わろうとするなんてどこの貴族だと、侍女を視線だけで追いかけると、その先にいたのは窓際に一人立っている女性だった。
深い緑色のドレスには細やかな刺繍がされている。宝石などの装飾はないが、その刺繍を見ると腕のいい職人が仕上げたことがわかる。若い娘が好まぬような落ち着いた色合いだが、背筋をしっかり伸ばして窓辺に佇む彼女にはよく似合っていた。
しかしそんな彼女は一人きり。多くの女性は壁の華になるのを恐れるものだが、彼女はそうではないらしい。自ら人の群れと距離をおいている。まるで彼女の周りに透明な壁があって、この場から切り離されているかのようだ。
侍女が彼女に話しかけると、表情がふと優しくなる。彼女は特別美しくはない。けれど、侍女と話す彼女の表情は柔らかく、微笑んだ彼女は綺麗だと思った。
「ねぇ、見てくださいなあのドレス」
「素晴らしい刺繍ね」
「どちらのご令嬢かしら?」
テーブルを二つ挟んだ所で数人の娘達が彼女を見て話に華を咲かせる。
「どこの仕立屋に頼んだのかしら?見かけない型のドレスですわ」
「あら、私つい先ほど同じように見事な刺繍を見たような気がいたしますの」
「ねぇ、ちょっとお待ちくださいませ、彼女……」
「まぁ、ジャンデル家の"金魚姫"ではありませんか!」
途端に娘達の声が嘲りに染まる。
「そうですわ。どこかで見たと思えば、リリアネット様のお召し物でしたわ」
「わたくしも先ほどお会いした時に見ましたわ。とってもよくお似合いでした」
「本当に。それに比べて彼女は……。リリアネット様はあんなにもお似合いになっていたのに」
「まぁ仕方ありませんわよ。だって彼女は"金魚姫"ですもの」
「子爵様もお優しい方ですわね。あんな子にも立派なドレスをお与えになるのですから」
「どんなドレスを着たところで、彼女は"人魚姫"にはなれませんのに」
小さな唇を弓なりに歪めて、鈴を転がすような声で嘲笑する娘達にうんざりする。ましになってきていた頭痛の代わりにむかっぱらが立ってきた。
彼女の方を見ると表情から柔らかさは消え、唇を引き結んでただ前を向いていた。
喧しい囀りは彼女にも聞こえているだろうに、言い返すことも、悲しみを見せることも、怒ることもない。
強い女性だと思った。
並の令嬢なら馬鹿にされた事に激昂するか、嫌味の応酬になるか、気が弱ければ泣いて逃げ出すだろう。
きれいな姿勢のまま何も返さぬ彼女は強くて、寂しい。侍女以外誰も側にいない彼女を守ってやる者はいない。
彼女に抱いたのは憐憫か、この場に溶け込めていないことに対する同族意識か。
咳払いを一つと軽く視線を向けるだけで、喧しい娘達は蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。
耳障りな声がなくなって少しスッキリした。
彼女はどうやら疎まれるようだ。この場に来てもろくなことは無いだろうに、ご苦労なことだ。
こちらの視線に気づいたのか、彼女と視線が合った。いくばか柔らかさが戻った瞳が俺を写す。その瞳に怯えはない。
『ありがとうございました』
彼女の唇が動く。丸い頭が深々と下げられつむじが見えた。頭を上げた彼女はまた硬い表情に戻っていて、迎えに来た執事と共に侍女を伴い立ち去っていく。
手の中のグラスを一気に飲み干し立ち上がる。さっきよりも少しだけ上昇した気分のまま出口に向かって足を向けた。
向こうで仕事を終えた友人が俺に気づいて笑いかけてくる。
「さっきよりも、機嫌がいいね。何かあった?」
酒の残る頭で今しがたの出来事を話す。
俺に妻ができるのはこれから少し後の事だった。
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