繰り返しの日常に入り込んだ人形
いつもいつも、同じ人の夢を見る。
その人は、私に笑いかけて言うのだ。
「大好きだよ、いつだって愛してる」
と。
常に同じ場所なわけではないし、同じ内容でもない。けれど、その言葉を必ず言われるのだ。
その度に私はこう返事をする。
「私も、同じよ」
指輪を貰ったり、お祭りに参加したり、ただ日常を過ごしたり、色々な日々を送って、夢の中の私はいつも幸せを感じている。
でも。
目を覚ました私には、彼が誰なのかさえ分からない。
目を開くと、天井が見えた。高い場所にあるそれは板張りでうっすらと木目が分かる。身体を起こすと勝手に照明がつく。
化粧台の鏡を覗くと、眠そうな私の顔があった。
「酷い顔」
うっすらと涙の跡が残る頬と、少し腫れたまぶた。ここ数日は、どういうわけか寝ている間に涙を流しているようなのだ。
その理由はよく分からない。何か嫌な夢でも見ているのだろうか。せめて夢の内容を覚えて入ればいいのに……なんて自分に文句を呟いた。
時計の針は八時半を指していて、少し寝坊をしてしまったみたいだ。
「大変! 怒られちゃう」
いつだって私より先に起きて、朝食の準備をしてくれている彼は、私の大好きな彼だ。この広い屋敷で、私と彼は住んでいる。ひょっとしたら、もう食卓について私が下りていくのを今か今かと待っているのかもしれない。そう思うと、早くしなくては気持ちが急いてしまう。
まずは急いで顔を洗って、派手過ぎない程度に化粧。
それからパジャマを脱ぎ捨て、すでに用意されていた服に袖を通す。目を覚ませばいつだって、分厚い絨毯の上に服と靴が用意されていて、私はそれをただ着ればいいだけ。くしゃくしゃの髪は、丁寧にブラシをかけて横で一本に三つ編みをした。
「急がなくちゃ」
扉を開けて廊下を急ぎ足で歩いて、大きな螺旋階段を下りて行く。下まで降りたところで、ちょうど彼と顔を合わせた。
「おはよう、今日はやけにお寝坊さんだね」
「おはよう。ごめんなさい、私ったらかなり長く寝てしまって……」
「いいんだよ。何かいい夢でも見ていたのかな?」
「えぇ、そんなところ」
本当は見ていた夢など覚えていないけれど、彼がそれで納得してくれるならそれでいい。
「ご飯の準備ができてるよ。一緒に食べよう」
「えぇ」
彼にエスコートをされて食卓まで進んだ。
ダイニングは大きな屋敷には似つかわしくないくらい小ぢんまりとしている。テーブルも四人くらいで掛けるものを二人で使っているのだ。
これは彼のこだわり。
大きなテーブルだと場所も余ってしまうし、何より寂しいのだという。中々可愛いところがあるのだ、彼は。
お互いにいただきますと言って、フォークとナイフを取った。今日はハムエッグとミルクブレッド。ザクロのジャムだ。
「その服、気に入った?」
「えぇ、もちろん!」
オレンジをベースに緑も交えてあまり派手ではない花が細かくあしらわれている柄はとても可愛いし、サイズもピッタリ。何より、彼が選んでくれたものを気に入らないはずがないのに。
「良かった」
そう嬉しそうに微笑んでくれる彼。
私はとても大事にされている。
昨日読んだ本の話、考えたこと、割ってしまったカップについて。それを真剣に聞いてくれて、楽しい食事の時間なんてあっという間。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
食べ終わると、彼はコートを着て仕事に行ってしまう。
私は見送るだけだ。
「いいかい。僕の留守中、決して外に出ようなんてしてはいけないよ」
「分かってるわ。出ようなんて、考えたこともないもの」
そう。
私の居場所はこの広い屋敷。それ以上なんて知りたいとも思わない。
「じゃあ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、早く帰ってきてね」
「あぁ」
頬に軽くキスをして、彼は行ってしまった。
「さて、今日は何の本を読もうかしら」
呟いて、二階へと向かおうと階段を上る。
ふと途中で足を止めて視線を落とすと、暖炉の上に何かが乗っていることに気がついた。上半身を壁にもたれて首が力なく傾いている。小さいけれど、それが人形であることがわかる。
「……あんな場所に人形なんてあったかしら」
首をかしげたが、この家は広い。自分が今まで気がつかなかっただけかもしれない。
深くは考えず、そのまま本の部屋へ向かった。
一日中、本を読んで過ごすのが私の日課。冒険の記録から推理小説、日常的な軽いお話。
それから、異世界の物語。魔法使いとか、天使、悪魔、妖精、巨人、時には神様なんかも出てくる、人間以外の生物が織り成すファンタジー。私は特にこれが好きで、選ぶ頻度も他のジャンルに比べると多いと思う。まるで自分が魔法使いにでもなったかのような気分で、読みふける。
彼が昔から集めている本は、一生かかっても読みきれないのではないかと思うくらいの量があって、飽きることがない。中には年季の入った本もあるし、とても読みたかった一ページが抜けてしまっているものもある。そんなときには彼にお願いすると、次の日には新しい本を用意してくれるのだ。
前から気になっていた本と、その他3冊ほどを手にとって自室に向かった。
数時間もすれば、彼が帰ってくる。扉が開いた音が聞こえたら、下に出迎えに行くのはいつものこと。抱きしめて、小さくキスをしてくれる。
「お帰りなさい」
「ただいま。昨日言ってた本を買ってきたよ」
「ありがとう!」
文庫サイズの袋を開けると、昨日どうしても見つけることができなかったウサギの物語の三巻目が入っていた。
「その続きはあるんだよね?」
「そうなの。どうしてかこれだけ見つけることができなくて……」
「図書館といえるくらい本が置いてあるからね。もし後から古いのが見つかっても、仕方がないさ」
「早く読みたいな」
「その前に一緒に夕飯を食べよう」
「えぇ。何か手伝う事はある?」
「大丈夫だよ。すぐに出来上がるから、待ってて」
「分かったわ」
そういって、ダイニングテーブルに座って待つ。やっぱり我慢ができなくて、手渡された本をペラペラとめくっていると、だんだんと良い匂いがしてきた。
この匂いは……、ビーフストロガノフだ。
「できたよ」
「美味しそう」
「僕が作ったんだから、もちろん美味しいに決まってるでしょ」
「調子に乗りすぎ!」
そんな他愛も無い会話をしつつ、お皿に盛り付けられたそれを目の前にしてお腹がなる。
「食いしん坊め」
「仕方ないじゃない!」
「そうだよね、僕のご飯が美味しいのがいけない」
「もうっ!」
クスクスと笑う彼を無視して、いただきますと手を合わせた。スプーンで大きな肉の塊をつつくと、とても柔らかくてすぐに崩れてしまいそうだった。好きなものは最後に食べたいから、まずはニンジンを一口。
「美味しい!」
「良かった、ありがとう」
「本当に料理が上手よね」
「それほどじゃないよ」
謙遜しているけれど、彼は毎晩美味しいご飯を食べさせてくれる。
私の自慢の……大好きな人。