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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暗黒水族館

 ノベラボ応募作品。

 1


 私は荷物を片手に、最後の光景になるだろうと、我が家の前でしばらく佇んだ。

 願うことなら、眼球だけになろうとも、この光景を忘れないように。

 そして、私は暗黒水族館へと向かった。

 まず最初に指定されたのは、東京の港の一目につかないような場所、月は永遠の静寂を漂わせる満月で、私は肌寒い夜風を浴びながらそこに着いた。

 港には、暗黒水族館のスタッフだと一目で分かる男たちがいた。

 人殺したなんて当たり前のような雰囲気だ。双眸をサングラスで隠し、真っ黒なスーツを着ていた。スーツは妙に膨張していて、屈強そうな体格から分厚そうな筋肉を連想させる。みなぎる熱気がここからでも感じられ、私は蒸発しそうになる。

 気のせいか、胸元には凹凸が見えるような気がする。

 もし、私がこいつらになにかしようとしたら、すぐにその凹凸が取り出されるのだろうか。

 とつい考えてしまい。

「ようこそ、私たちは暗黒水族館のスタッフです」

 と、妙に細長い男が私の前に現れた。あの屈強そうな男達にまぎれてたのか。私は眼前に現れるまで、彼の気配に全く気がつかなかった。

「暗黒水族館までは、少々時間が掛かります。乗り心地は、けして良いとは言えませんが、ご了承を」

 全然笑ってない笑顔で細長い男は私の荷物を受け取り、舟に案内した。

 どうやら、正式にお金を払って入館するお客にはこの程度のモテナシらしい、これがちゃんと馬鹿高い金を払った客だとしたらもっと違っていたのだろうか、このような屈強な男たちじゃなく、身なりがちゃんとした貴族の執事みたいな男が出るんじゃなかろうか。

 狭い小型船の座席に座ると、舟はすぐに音を立てて動き出した。

 乗って数秒ではあるが、乗り物酔いの薬を飲んできてよかったと思った。それなしだったら、一分も経たないで帰りたいと言っただろう。

 それほどに荒々しい運転だった。シートベルトが欲しいと切に願う、私は座席の背もたれを後ろ手でつかみ、どうにか振り回されないようにする。

 貧乏人はどこまでいっても貧乏人ということか、恵まれた環境になど一度もなったことはないが、それでもひどい有様だった。

 本来なら、ここまでして行く水族館などないように思えるが、私が行くのはただの水族館ではない、〝表の世界じゃ絶対に見れないモノが見れる〟そういう水族館なのだ。

 それのためなら、こんなの全然苦にならない、むしろ私は今あの水族館のことを考えて少し興奮している。なんて恥ずかしい話だろう、私はこれが子供の頃からの夢だった。だから、こんなの全然苦にならないと歓喜している。

 小学生の頃から、私はこんな夢を語っていた気がする。

 子供には子供なりの、年相応の夢を見ればいいというのに、私ときたら人格がその時からねじ曲がっていたために、私は変な夢を持っていたのだ。

 私は、暗黒水族館に行きたい。

 恥ずかしい恥ずかしい、クラスの担任が渡されたプリントにひどいことを書いたものだ。それを全員が発表することになり、私が発表した時の先生の顔といったらもう、言葉では表せないほどのものだった。あえて文学の才がない私なりに表すとしたら、まるで殺される瞬間の人間の顔だった。

 あははっ、なんだか思い出すだけで笑みが零れる。


 東京湾から出て数時間、舟はやっと暗黒水族館が建っている島へと辿り着いた。

 舟のドアが開かれて、東京湾で私を出迎えた男が「着きましたよ」とまるで感情がこもってない声で告げた。

 外に出て、数時間ぶりの外の空気がひどく優しく感じた。

 舟の運転が荒々しかったせいだろう、まるでこの空気を吸うのが有料なのではないかと思うくらい、空気がうまかった。

 だが空気の味を吟味する暇はなく、無愛想な案内人は「こちらです」とまたもや感情が全然こもってない声でそそくさと歩き出した。

 どうやら、私も一緒に歩かなきゃいけないらしい。

 視界の遥か向こうには、暗黒水族館と思われるでかい建物が見えた。私がいる所から、遥か先、丘の上にそれはあった。

 空に浮かぶ満月をそのまま地面に置いたかのような建物だった。それを見ると理不尽な愛想も気にはならなかった。

 風は冷たく、夜空の星たちは眩しいくらいに無数となって永遠と輝いていた。

 途中、歩くのが辛い山道も歩いて、私は暗黒水族館に着いた。

 あぁ、これが暗黒水族館。

 扉は地獄の門を再現してるのだろう、幾多の苦悶の表情を浮かべる者達が門に描かれていて、それを見定めるかのように考える人が扉の上部にいた。

 そして、門の下には一人、作られた銅像でもなんでもなく、生きている人間が一人いた。

 綺麗な女性だった。

 私の荷物を持ってくれている無愛想な男なんかが異星人に見えるくらいに、高級感漂う鮮やかな黒に塗られたスーツに身を委ね、深紅よりも深い紅色の口紅を塗った唇。

 月光を浴びて見えるシルエットは、無駄な肉など限りなく虚無にされた完璧の美で、今宵の夜に輝く満月のようにキレイな長い銀髪が優雅にたなびいていた。

 人形ように白い肌、そして人形のように作り物のような極限の美しい蒼が私を捉える。


「いらっしゃいませお客さま、暗黒水族館にようこそ」


 声だけで、私は絶叫するほど歓喜に満ちた。

 あぁ、私は暗黒水族館に来れたのだ。そう、今ここでやっと実感したからだ。





 暗黒水族館に来られて私はよかったよ。

 あそこは素晴らしい、表の世界じゃ見れないものが見られる。あぁなんて素晴らしいのだろう。この気持ちを誰かに伝えたい。だけど、誰にも伝えることが出来ない。

 誰かに話しても、こんな話を信用してもらえると思えないし、家族に話しても信じもらえたとしても、私の立場が最低人間として見られるだけだ。そんなのあってはいけない。家族にだけは嫌われたくない。嫌われたくない、嫌われたくない、嫌われたくない。あぁ、嫌われたくない。

 だから私は困っている。誰かにこの気持ちを伝えたいのに、伝えられない。切ない恋心のようだ。あぁ、誰かに伝えたい。伝えては駄目だろうか。娘たちや、妻にこの気持ちを伝えては駄目だろうか。あぁ、伝えたい。魚が■れ死ぬ姿がどれほど面白くて綺麗な光景かを、私の未熟な言語で伝えきれるか疑わしいところではあるが、少しでも伝えたい。少しだけでも伝えられれば、私は満足だ。他にも暗黒水族館には、私を魅了すべき物がいっぱいある。

 あぁ、水槽で■れてる人々のあの表■といったら、なんと気持ちいいものだろうか。あのときの感覚を人々は電流が走るというのだろうか。まさしく、あれはそうだった。私の中の電気信号が、あの光景でグチャグチャにかき回されたのだ。

 あぁ、あぁ、あの悲■が忘れられない。いや、水槽の中にいたから■鳴なんて聞こえるはずはないのだが、あぁ、もう一回聞きたい、水の中からもあの声は聞こえたのだ。水槽の中で、無意味にもがく姿。水槽の硝子を何度も叩■て、タスケテ、タ■ケテ、■■ケテ、■■■テ、■■■■。

 もう一度聞きたい、録音すればよかった。いや、実際には声が聞こえないのだから、録音のしようがないのか。何てことだ。あの声が永遠に残せないなんて、この世界は大変な芸術を無駄にしている。水槽越しに伝わるあの■情といったら、もう……何て美なのだろう。

 あぁ伝えたい伝えたい、伝えたい伝えたい。

 伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい、伝えたい。

 あぁ、誰かに伝えたい。



 2



 暗黒水族館の中は、といってもまだ門から入ったばかりなのだが、でかい卵のように空間が広がっていた。

 薄暗い照明のせいでだけじゃなく、この空間は黒かった。

 黒い絨毯に、黒いテーブルに、黒い椅子に、黒い壁。あぁ、暗黒水族館らしい。

 前方には暗い通路が見える、それ意外には特に部屋に繋がってると思われる通路はないようだ。それなのに、このような広い空間を無駄に使ってるのが高級らしい。

 館にはあえて眩しいライトは照らされていない、空間とは違い照明は必要最低限に抑えてるのだろうか、いや違う、これはその方がこの館には合っているからだろう。

 薄暗い蒼白い照明に照らされて、壁に描かれた絵が見える。

 その絵には、この世のものとは思えない暗黒の感情が描かれていた。黒と白だけで、たった二色だけで、この世界そのものにしか見えないような絵が、そこには描かれていた。


「キレイな絵でございましょう。これはある有名な画家が描かれたのですよ? あまりにも有名すぎて、このような絵を見られたら人生が終わるとのことで、すいませんが名前は伏せさせてもらいますが、なんだかそれは余計に嬉しいように思えますね。だって、私たちが独占してるように思えますものね」


 と、私を深淵へと導く暗黒水族館の案内人は怪しく笑う。

 この絵をキレイと言う辺りが、この女性の人格がある程度分かるように思える。この絵は、R18指定じゃ足りないくらいに、普通の人が見たら発狂してしまいそうなくらいの衝撃が絵だというのに、この人はただ「キレイな絵」と言った。あぁ、どうやらこの人も私と同じくらいにおかしいらしい、私はそう思った。

「この絵を脳裏に納めましたか? 大丈夫そうですね。それでは行きましょうか」

 と、彼女は歩き出した。

 その後に付いていけばいいらしい、私は後へと着いていく。

 前方に見えた暗い通路の中へと渡り、私は暗黒水族館の奥へと進んで行く。

 私の前で歩いて案内する女性――名前は闇影青柳は、まるで私を地獄へと導く死神のように見えた。実際に間違いではないために、タチが悪い。

「この館は出来てから、何年が経つのですか?」

「……そうですね、大体百年ぐらいは経つでしょうか」

「――ひゃ、百年!?」

 思わず声が裏返って驚いてしまう。

 意外にもそんな歴史があったのか、都市伝説として広まっていたのは私が子供の頃だから、その頃くらいと思っていたが、そんなに歴史があったとは。

「本当は此処は誰にも言わないという決まり事がありましたから、おそらくそのおかげで長い間、誰にも知られずにいられたのでしょう。ただ所詮は人の子なのですね。結局は数十年経ったら、此処は誰の耳にも届くようになってしまいました。悲しい話ですね、本来ならばここは見るべき人以外は、来る場所じゃないというのに」

 と、私からは後ろ姿しか見えないため、どのような表情かは分からないが、声からするに悲しい表情を浮かべているのだろうか、それとも笑っているのか。

 もし、此処に見るべき人以外が来たら、その人はどうなるのだろう? そんな疑問が思い浮かぶが、慌てて消去した。余計なことを考えて、今ある美を見逃したくない、そう思ったからだ。 


 闇よりも深いように思えた無機質な壁に挟まれた通路が終わると、そこには楽園が広がっていた。


 そこも通路だった。

 違うのは、壁だった。

 壁はおそらく強固な硝子で出来てると思われる水槽が広げてあり、そこには色とりどりの苦悶を浮かべた魚たちが〝溺れて〟いた。

 その光景を案内人は何事もないように前へ進むため、思わず足を止めて鑑賞したいが、仕方なくその後に付いていく。


「ふふっ、大丈夫ですよ。この程度の光景、此処では〝いつでも〟見れますから」


 案内人の顔は先ほどと同じく後ろ姿で見えなかったが、まるで笑ってるように思えた。

 この程度で、軽く、ということか。いつでも、この程度で……いつでも……。

 水槽には、死にたくない死にたくないという意思が伝わるように、必死に必死に死から逃れるために足掻いていた。

 だがそれは所詮足掻きで、底なし沼に一度漬かった者は二度とはい上がれないのと同じで、あとはもう溺れるしかなかった。

 それが水槽には一匹だけじゃなくて、何匹もいた。

 そう、それは夜空に輝く星のようにさえ思えた。なんてキレイなのだろう。人の人生を花火と言うなら、彼等は花だ。

 花は長い間咲くために努力し、そして短い間咲き誇る。枯れるまで、永遠に。

 それを本当に永遠にするために、ここはあるのだろう。ギリギリのところで死なないように、溺れさせてるらしい。

 通路を歩きながら見ていると、どれもこれも死んでいる魚は一匹もいなかった。溺れてる魚の種類は多く、普段私たちが口にしているような魚もいれば、子供たちに人気の魚もいるし、また何処にもいないように思える魚もいた。美しい、美しい美しい。

 氷のように綺麗な水の中で、硝子に囲まれながら、彼等は永遠に花という苦悶を咲かせて溺れるのだろう、あぁ、このような光景を見れるなんて、私はどれだけ幸せ者なのだろうか。

 この瞬間、私の中で家が貧しいとか、そんな考えは消えていた。まるで、私がこの世で一番恵まれていると思えるくらいに、私には感動が溢れていたのだ。

 そう、私もこの魚たちと同じく、感動という水によって〝溺れて〟いたのだ。

 




 次の通路になった。

 水槽の中身が変わったのはすぐ分かった。どうやら水槽の硝子の色が違うらしい、前は魚たちが溺れる姿を見やすくするように透明にしていたのだろうが、今度は若干赤かった。

 そう、まるで案内人の唇のように赤かった。

 なんでそうなってるのかは、すぐ分かった。

 水槽の硝子の色だと思っていたのは違っていた。それは私の横で、デカイ、鮫とは違うともかくデカイ魚によって、私の腕よりもあったはずの魚が食われたことから、分かった。

 そう、これは硝子の色じゃなく水槽の色、ここは綺麗な血液で満たされていた。

 色とりどりの獲物に、色とりどりの狼。

 弱者である獲物を食い散らかすために、強者である狼の魚が獲物を牙を剥く、ここはそんな通路だ。

 先ほどは〝永遠に溺れる魚〟が見れたが、ここは〝永遠に食われる魚〟か。

 私はこれを見るために、今まで十数年の時間を過ごしてきたんだな、と私は思った。此処に来るのは、子供の頃からの夢だった。

 暗黒水族館、そんな都市伝説にまでなったお化け話を信じて、ましてや行きたいとまでぬかした子供に、学校の教師はひどく驚いていたのを覚えている。

 小学校の作文発表だっただろうか、将来の夢を書いて下さいと言われたので正直に私は書いた。年相応に、ブラウン管の向こう側で輝くスターのようになりたいとか言ってればよかったものを、私は暗黒水族館に行って〝永遠に溺れる魚〟などを見てみたいです、と言った。

 その時の先生の表情と言ったら、顔面蒼白という言葉は後から知ったが、まさしくそれだった。思い出すだけで、笑いがこみ上げる。

 お母さんと先生が話してた内容は、きっとひどいものだったに違いない、あの子はおかしい、あの子はおかしい、とひたすら言っていたのだろうか、ふふっ、だけどお母さんは笑ってこう言ったのを、覚えている。

 

〝暗黒水族館には、お父さんがいますから〟


 そう、此処にはお父さんがいる。



 3



 通路は終わった。

 それは同時に、序章が終わったのだという合図でもあった。

 通路の先には、また卵型の空間があった。今度は入り口の所よりも小さい、卵でいうならウズラの卵とでも言えばいいのか、またしてもそこには有名な画家が描いたと思われる絵が、壁や天井に満たされていた。

 今度は黒と赤だけの二色で、地獄を表しているのだろう。

 その絵を見た瞬間、恥ずかしながらも私は声を出してしまった。まるで、小悪魔が悪戯に成功して高揚感に満たされた瞬間のような、そんな鳴き声。

 黒と赤は至る所に満たされ、あるところでは螺旋を描いて、あるところでは円を描いて、あるところでは四角を描いて、その羅列が神の領域にまでなっていたのだ。

 美しかった。

 普通の人は吐いてしまうだろうが、私にとっては夕食のおかずにしてもいいくらいだった。いや、これに合う米はそうそうないか。

 豪華なおかずには、それに見合うくらいの米が日本人には必要だ。


「キレイでしょ、私はあちらよりもこちらの方が好きなんですよ? ほら、まるでここは空のようですから」


 この人の空は、このように映っているのだろうか。

 心底、その言葉はおかしくないとでも言うかのように平然と案内人は言った。

 そして、「それでは、そろそろいいですか?」と言い、また歩いていく。

 小さいドアを開けるとそこには、大きな楽園が広がっていた。


「………………………………あははははっ」


 思わず、苦笑する。

 あまりにもキレイな酸素は人を殺すが、あまりにもキレイな楽園は人を廃人させるんじゃなかろうか、私はもう二度とマトモな思考が出来ない気がした。

 筒を半分に切ったように続く通路、先ほどの通路よりも広く、トンネルと言ってもいいくらいに広いこの通路には、壁には、ついには天井にまで水槽が続いていた。

 水槽の中には、先ほど魚たちが興じていた〝永遠に溺れる〟芸術を、今度は本当の者たちが興じていた。

 それはブラウン管の向こうで見れる悲劇なんか全然相手にならなく、先ほど溢れんばかりの歓喜に満ちたあの魚たちの光景も霞んで見えるくらいに、そこは楽園だった。

 永遠に溺れる魚は、口から泡を出して、必死にトンネルを歩く私たちに何かを言おうとしている。必死に、水槽に手をつけて、口をパクパクと開いて、苦悶を露わにして、私たちに助けを求めていた。その形相がたまらなく、面白くて私はついついスキップまでとってしまった。


「ふふっ、ご機嫌ですね。気持ちわかりますわ、私もこちらからはつい胸が躍ってしまいますもの」


 どうやら、案内人も同じようだ。

 いつのまにか、案内人の足取りも妙にリズムを刻んでいた。仕事中だというのに、鼻歌さえ歌ってる始末だ。

 それも仕方ないと私は思った。このような美を前にしたら、どんなものもこういうことになるだろう。抑えられない、高揚とはあるのだ。


〝タスケ……テ〟


 届くはずないのに、まるでレコードで流してるかのように彼等の声が聞こえてきた。

 永遠に溺らされてる彼等は、裸体を私らに見られて恥ずかしくないのか、水槽にへばりついて、必死に必死に懇願していた。

 大小それぞれ、女やら男、十代に見えるものもいれば、二十代に見えるもの、そして中年に見える人もいた。

 中には赤ん坊にしか見えないものや、まだ十にもなってない子供さえいたのだ。それが全部が全部同じ表情を浮かべていた。

 私がたまらなく笑顔を浮かべると、彼等の表情は更に美しくなる。

 あぁ、なんてキレイな顔。

 本当の、永遠に溺れる魚たち。

 そう、私が見たかったのはこれだった。





 今度は先ほどよりも声が鮮明に聞こえてきた。

 息絶え絶えに聞こえた悲鳴も、今度は明確に形を成して、私たちに届いた。

 水槽の色は赤で満ちていて、その中に、魚の肌の色と、人間のものが紛れていた。水槽には、バラバラの破片が溢れている。

 子供が散らかした玩具のように、辺りにはバラバラとなった人間の一部が泳いでいた。

 中には生きている人間もいて(正確にはちゃんといつも補充されてるのだろう。中にはではなくて、いつもだ)、それがまた面白いショーを見せてくれた。

 私たちに助けを求めようと、水槽を叩いて助けてを言っていたはずの裸体の女性は、鮫と思われる魚に、バックリと腰から噛み砕かれて、命を終えた。

 先ほどは光があった瞳孔は、完全に闇に墜ちていた。

 人の人生は花火と賞するなら、これは花火の連続だ。しかも私たちは大抵、花火が打ち上げられている瞬間しか見られないが、これは違う。いつだって、最後まで見られるのだ。

 そう、今のように鮫に食われた女性のようにだ。

 若い女性だった。おそらく今私の上で漂っている乳房は、男たちに揉まれていたものだったはずだが、なんてことだろう、今では水槽に泳ぐ狼たちのエサとなっていた。

 揉まれるんじゃなくて、まさしく食われていた。

 辺りを見ると、鮫だけじゃなくて中には大王イカと思える馬鹿でかいイカもいて、それに巻き付かれて殺される人間もいた。

 それがまた、普通じゃ有り得ない死に方だったので面白かった。

 吸盤に巻き付かれて、骨がまるで枝のように簡単に折られて死んでいったのだ。思わず、キャハッという声が流れてしまった。

 恥ずかしい、だが嬉しい。

 そんな私の鳴き声に、案内人は思わず苦笑していた。

 どうやら、彼女も私と同じのようだ。苦笑した笑い声が、異常な程に高音だった。





 そして、最後の舞台。

 この水族館の最後となる場所へと、私は着いた。

 今度は通路でも、トンネルでもなく、ドーム状に水槽が広がっていて、まるで青空のようにキレイな水の中に、人間たちが泳いでいた。

 今度は、最初のやつと二個目のやつの融合だ。

 

 水槽の中では、〝永遠に溺れる者〟と〝永遠に食われる光景〟が壮大に覆っていた。


 花火と花が、ずっと咲き誇ってる状態だ。

 これを人は永遠と呼ぶのかもしれない、もしかしたら、卵型に描かれた二色の絵はこれを表していたのだろうか、〝永遠に溺れる者〟と〝永遠に食われる光景〟の二色で描かれたこの壮大な絵画は、今まで見てきたどんな絵画よりも、美で、美で、ついには絶叫するくらいに私は笑っていた。

 永遠に溺れてる者たちはお花畑となり、永遠に食われる光景は、まるで花に導かれた蜂のようだった。

 私はドームの中央に立って、両手を広げて、ステップをしながら円を描いて中心からぐるっと辺りを見回した。

 この世のどんなものも見せてくれない最悪を、暗黒水族館は簡単に見せてくれた。

 こんなもの、何処に行っても見せてくれない、絶対に此処でしか見れない最悪の美、どんなものよりも美しい最悪。

 そう、それが此処の神髄だ。


 ここで、永遠に眠れるなんて、どれだけ幸せなのだろう、ねぇ、お父さん。

 あなたは、此処で眠ってるの?


 突如、私の周り、奇妙な機械音を立てて床からいくつもの筒状の柱が出てきた。

 いくつも、いくつも。

 それは全部で硝子で出来た水槽で、それは全部硝子で出来た棺だった。

 中には、人間が眠っていた。永遠に。

 そして、また音を立てて私の目の前に棺が現れた。

 棺には、銀髪を水で揺らし、水が服であるかのように裸体を露わにしている男性が入っていた。


「……久しぶりだね、お父さん」


 私は、またお父さんに会うことが出来た。





 それは私が幼い頃だった。

 お父さんは幼い私の頬を撫でて「さよなら」と告げた。幼かった私にその言葉の真意が分かるはずなく、「なんで、さよならなの?」と聞いたが、お父さんは答えてはくれなかった

「いつか分かる日が来るかもしれない」

 そう言い、お父さんは去っていった。

 どうしてだろうか。私が最後に見たお父さんの顔は、笑っているような気がした。


 後々、お母さんから話を聞いてみると、まさかお父さんがそんな場所に行ったとは信じられずに、信じるのに長い時間を要した。

 だが、私は最初から分かっていたかもしれないのです。

 だって、私はお父さんの娘なのですから。

 私にはお父さんの気持ちが痛いほど分かります。


〝ねぇねぇお母さん、金魚が死んでるよ〟


 それはいつだったか。

 私が夏祭りの金魚すくいの屋台で捕まえた金魚が、水槽の中でぷくぷくと力無く浮かんでいたときだったか。

 金魚は死んでいた。

 病気にかかったらしい。

 水槽には薬やエサあげるときも、そういったことは怠った覚えはなかったのだが、死ぬときは死ぬ。簡単に死ぬ。

 それは分かっていた。だけど人は悲しむ。

 大切だったものが失われれば、人は悲しむ。だけど私はそのとき悲しくなんてなかった。分からない。大切じゃなかったわけじゃない。分からない。何故かは分からない。でも、私はそのとき。


〝あはは、金魚さんが死んでるよ〟



 私は笑っていた。



 笑っていた。



 笑っていた。




 笑っていた。




 笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。笑っていた。



 私は、笑っていた。

 だけど、お母さんは泣いていた。

 きっとそれは、金魚が死んだからじゃない。



 4



 私の家は、全員が暗黒水族館の虜だった。

 私に関しては言うまでもなく、私より二歳ぐらい年上の姉も暗黒水族館に取り憑かれて家を出ていったし、私の父も暗黒水族館に取り憑かれた人間だ。

 私たちはどうやら、人が忌み嫌う光景を好いてしまう傾向にあるらしい。

 それは唯一例外だと思っていた母も変わらない。

 母は料理を作るときはいつも生の生きた状態で解体するのが好きだし、父は誰かが本気で苦悶の表情を浮かべているのがとても好きだった(だからウチは貧乏なのかもしれない、家はいつも貧乏で苦しんでいた)。

 姉も夜空に輝く星よりも、散る瞬間の生命の方が好きだったし、それは私も同じで、暗黒に満ちたモノが、とてもとてもとても好きだった。 


〝あなただけは、あんな所に行かないでね〟


 その言葉は、確か母のモノだっただろうか。

 ごめんなさい、お母さん。先行く娘を許して下さい、私には暗黒水族館が全てだったし、それ以外のための人生なんて考えられなかったの、ごめんなさい、ごめんなさい。

 でもお母さん、私は幸せですよ?

 こんな美しい暗黒に溺れて、私はとても幸せです。



 私の唇と奪う案内人の舌使いは見事なもので、思わず私はそれだけで終えてしまいそうだった。

 歪んだ彼女はこれだけでしか、愛情を表現出来ないのだ。

 一枚、一枚、唇を犯しながら、私を裸にしていった。

 乳房は優しく愛されて、私の下は彼女の舌で優雅に溺愛された。

 永遠のような場所で、ドーム状に広がる暗黒の下で、私は案内人の愛撫にただ犯されていた。どうすることも出来ないのではなく、どうもしたくなかった。

 これはおそらく、彼女の最後の私に対する愛なんだ。だからいいと、私は思った。彼女が、私にどういう目を向けていたのかも知っていたし、彼女が家にいられなくなった本当の理由も知っていた。だから、これでいいのだろうと私は思った。

 泣きながら、私を愛する彼女に私は出来る限りの愛情で、少しでも暖かくなるように言葉を呟く。


「大丈夫よ、お姉ちゃん」


 さようなら、の代わりであるかのように彼女に私は言葉を落とす。

 私のために用意された棺を前にして、私は永遠を此処で過ごすだろう。

 さようなら、お母さん、お姉ちゃん。

 そして、おはようお父さん。

 私はお父さんと同じように此処を見る大金の代わりに、此処で芸術品として飾られることにします。ごめんなさいは言いません、私はそれでもいいと思えたから。


 暗黒の下、私の銀髪を段々と乱暴に揺らす案内人に、私は聞く。


「ねぇ、お父さんは最後になんて言ったの?」


 彼女は、私の口内に舌を入れながら返答した。


〝私は幸せだ〟


 なるほど、やはり私たち闇影家は、おかしい人ばかりらしい。



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