第五章 旅の仲間
「我の前ではつまらぬごまかしは通じぬぞ、ブルー。しかもアカデミーの女子生徒まで巻き込むとは、ただで済むと思ってはおらぬだろうな……」
ぶっちゃけ、私は「大神官」にどのような力があるのか知りません。
ですが、予言以外にも人の身を越えた恐ろしい力が備わっているに違いありません。なぜって、見るからに軽薄そうな近衛騎士、ブルー・サイトコアさんはたちまち直立不動になり、さっきとは打って変わって真面目な口調でこう仰ったのです。
「はっ! 五人目の勇者たるマリア・マシュエスト嬢が友人二人と共に出奔すると伺いましたので、それならば不肖このワタクシ、ブルー・サイトコアが護衛役として随行しようかと! 既に近衛騎士隊長の許可は取っております!」
「用意のいいことだ、この展開を予想しておったな……して、その娘は?」
ミアミアさまのお言葉に、ふわふわ茶髪の美少女は、ぺこりぺこりと頭を下げながら、潤んだ瞳を大神官に向けました。
「大神官みあみあさまっ。わたし、アリーシャ・フィゴヌスもぜひマリアさまのお伴をさせていただきたく、お願い申しあげに参りましたぁっ」
「ア、アリーシャ! お前は駄目だ、駄目に決まってるだろう。お前は戦闘実技でびりっけつではないか!」
と、慌ててエリザベスさんがアリーシャさんを留まらせようとしますが、茶髪の少女は並々ならぬ決意を秘めた眼差しをミアミアさまに向けています。
「たしかにアリスは剣の腕前はダメダメですが、お料理なら得意中の得意ですっ」
「な、なんと」
「あの……あなたって上流貴族よね……いちおう」
そう言われてみると、そうだったような気がします。
上流貴族の令嬢であるアリーシャさんは、勇者アカデミーに入学を希望されたとき、それはそれは大反対されたと小耳にはさんだことがあります。
その反対を押し切って、強引にアカデミーに入学したとかしないとか。
と……ここで私はなにやら熱い視線を感じました。ハッと顔を上げるとアリーシャさんが潤んだ眼差しで私を一心に見つめているではありませんか。
「え…………え……?」
「ま、マリアさまっっ!」
「はひぃっ?」
「ぜひっ、ぜひアリスを旅のお供に連れて行って下さい! アリスはずぅうう~~~~~っとマリアさまに憧れていたのです、尊敬していたのです、お慕い申し上げていたのでございますぅうう~~~!」
がばちょ、と飛び付かれた私はよろけそうになりましたが、アリーシャさんが小柄だったので、どうにか転倒はせずにすみました。
て言うかあなたいま何を仰いましたか……?
「アリス、剣やお勉強はぜんぜんですが、お料理やお裁縫だけはもんのすごく修行してきたんです。だって、マリアさまが得意だって王室公報に書いてあったのを読んだんです。お父さまやお母さまはそんなことは使用人のすることだって言うけれど、勇者さまのすることに何の間違いがありましょう! うちの厨房士やメイド長に頼みこんで、家事炊事百般に通じるまでになりました、マリアさまっ」
「お、お、落ち着きましょうアリーシャさん」
「アリスって呼んでください、マリアお姉さまっ」
ちょ、いま「マリアさま」からあっさりグレードアップしましたよ、この子。
「なあに、このブルーがいれば、アリーシャ嬢やマリア嬢の護衛などお手のもの! 大船に乗った気でさあいざや冒険の旅路に」
と、芝居がかった身ぶりで右手を高く掲げるブルーさん。ああ、突然の展開に私はどうしていいのやら。
ていうかこのブルーさん、なんかものっそい胡散臭いんですけど、信用できるんでしょうか……
「うむ……近衛騎士団のブルー・サイトコアと言えば、騎士団内でも相当な使い手と聞く。腕そのものは信頼するに足るだろう。しかし」
急に真剣な顔になったエリザベスさんに、私もつられて顔を引き締めました。
「し、しかし?」
ブルーさんに聞こえないようにひそひそ声で話す私とエリザベスさん。
「ブルー……奴は名うての女たらしとしても有名なのだ。まあ見てくれは悪くないので女性から好意を寄せられること自体は多いらしいのだが、本人は誰か特定の一人を相手にするというより、複数の女性と同時交際しては弄んで捨てる外道であると言う悪い噂も」
ひえええええええ。
ちょ、なんですかその鬼畜ジゴロ伝説は。ひょっとして私たち、そんなヤバげな人と旅に出るんですか。大体、あの人以外、全員女子じゃないですか。羊の群れに飢えた狼を放つようなものですよ。
「ふっ、私はあんな軟弱な男など眼中にもないがな。それともまさか、マリアどのはああいう男がタイプなのか」
エリザベスさんの言葉に私は思わず「うええ」みたいな顔をしてしまいます。
そりゃあそうでしょう、私は身近に四人の勇者王子さまを見聞してきたのですから。そりゃあブルーさんは一般レベルではなかなかの色男かもしれませんが、ラファエロさまと比べれば……ましてや女性を誑かし弄ぶと聞いては、ブルーさんを見る目も変わろうと言うもの。
「どうします、別の騎士の人とちぇんぢ、ということに」
「いや、やつの腕自体は信頼できる。この際だからやつには護衛に徹してもらい、せいぜい利用させてもらおう」
「では三日後じゃ。三日後の早朝、城門前に集まるように。アカデミー学長には我より話を通しておこう。で、馬や馬車、その他旅支度については」
「はっ、このブルー・サイトコアにお任せあれ! ではお嬢さん方、しばしのお別れです」
そして三日後───。
私たち勇者アカデミーの女子生徒3名と、一人の近衛騎士の青年一人の四人パーティーはロートヴァルド王国を後にし、いざベルクガンズ王国へ出奔しました。
早朝に出発したので空気は清々しく、エリザベスさんなどは前夜に緊張しすぎたのかまだ少し眠そうです。愛馬の上でうつらうつらしかけては、ハッと目を覚まされる様子がなんだかとてもかわいらしいです。
それとは対照的に、レミリアさんはいまだガチガチに緊張しているご様子で、鞍の上でもピーンと背筋を伸ばしてぎくしゃく歩を進めているところが彼女らしいかもしれません。
「あの、アリーシャさん」
「アリスですっ、マリアお姉さまっ」
「あ、ああ、アリス……ちゃん? ごめんなさい、御者なんてやらせてしまって、私だけ馬車になんか乗って」
そうです、今回の編成は以下の通り。
先頭は騎馬に騎乗したブルーさん。
後方にはエリザベスさんとレミリアさんが同じく騎乗して左右を固めています。
そして中央には私の乗った一頭立ての馬車、御者はアリーシャ、いえアリスちゃんがつとめています。ジクロア村で農耕馬なら扱ったことのある私ですが、エリザベスさんたちのように乗馬の経験は私にはないので、こういうことになったのです。
「いえっ、アリスもいちおう乗馬訓練は受けているのですが、どうも高いところが苦手なので……このくらいの高さから手綱を握っているくらいでちょうどいいのですよ」
「そうそう、雨が降ったりしたら、どうしたって馬車は必要だからね。マリア嬢が気に病むことはありませんよ」
と、馬を少し後退させてブルーさんが声をかけてきます。
その爽やかすっきり清涼飲料水のような笑顔を見ていると、とても女の人をとっかえひっかえ弄ぶような人には見えないんですけどねえ……
「さて、今日はこの辺で野営と行くか。近くに水場もあるようだしな。レミリア、水汲みを手伝ってくれ」
そう言ってさっさと馬を近くの木に結わえつけたエリザベスさんが、木桶を手に川の方にすたすた歩いていきます。
「ちょ、エリザベスさま! なんでわたくしが水汲みなんか……ちょ、待っ」
ブルーさんは周囲の警戒、私とアリスちゃんは食事の支度です。
意外や、エリザベスさんは野営にも動じておらず、もしかしたらこういう経験があるのではないかと思いながら、私は石を積み上げて簡易かまどをこしらえます。
「わああぁっ、すごいっ、マリアお姉さますごいですっ」
「うぇへへへ、ま、まあ……」
これは、ウィリアム殿下とそのお付きの方々と共にバルラヌス王国に出向いた時の経験から学んだことです。
白髪をうっすら紫に染めた老嬢、ミセスシェリー・トンプソンさんのあまりの手際のよさに感動した私は、野外での効率的な調理術などについて独学で勉強していたのです。
「えっと、風はこっちから吹いてるからこっち側を空気の取り入れ口にして……これでかまどは完成です。あとは火をおこしていきましょう。アリスちゃん、そちらはどうでしょうか」
行程は数日とはいえ、四人分の食料はけっこうかさばります。
旅で贅沢も言っていられないので、小麦や干し肉、あまり重くない野菜が主体になりますが、アリスちゃんはなにやら個人的に食料を持ちこんでいたようです。
「お姉さま、アリスはこれを使うのです~っ」
ふわふわ茶髪の少女が取り出したものを見て、私は首を傾げました。
「え、なにそれ……ああ、保存用に焼き固めたパンですか」
白くて四角くて見るからに硬そうな、石かと見間違えそうなパン。それは私の故郷でもキノコ採り名人のマッケイさんがよくこしらえていた保存食。軽くあぶれば食べられるのですが、お世辞にもあまりおいしいとはいえない代物です。
けれどまあ、食事係も随行しないこんな旅では、贅沢は言っていられません。
レオナルドさまたち王族が他国を訪問したりする際には、お食事係やお召し物係だのと使用人をぞろぞろ引き連れて旅をするのが当たり前だそうなのですが、私たちはそうはいきませんから。
「えっ、これはパンじゃありませんよお姉さま。これは東方の行商人が置いていった種もみを、うちの庭師のエイクスさんが育てて、その実を蒸してついて固めたものなんです」
「へえ……うわほんとだ、保存用のパンよりもずっと固くて、石と言うより金属みたい。こ、これ本当に食べられるの?」
「まあ任せてください、お姉さま」
アリスちゃんは上流貴族の令嬢、私は勇者とはいえしがない村長の娘。
本来なら私も敬語をもって彼女に接するべきだと思うのですが、いかんせんアリスちゃんは小柄で童顔で愛らしく、おまけに私をお姉さまおねえさまと慕ってくれるので、私もついついため口で話してしまいます。
さて、そうこうするうちに私のおこした火も十分な火力を持ち始め、アリスちゃんはその上に金網を置いてその白い物体を並べ始めました。傍らにはでっかいフライパンも用意して、うっすら油を塗っているようです。
「さあ、いまの内に他の具材も準備しますよ」
「あっ、私も手伝うよ」
さてさて何が出来上がるのか、期待と不安を胸に、私はアリスちゃんの指示に従って野菜や干し肉を切っていくのでした。
「マリアどの、水を汲んで来たぞ……むう、なにやらいい匂いだな」
「ひい、はあ、ふう、ちょ、エリザベス、さま、お、お待ちになって」
川から水を汲んで来て下さったエリザベスさんがかまどに目をやると、そこにはなんとも面妖な物体がフライパンの上で香ばしい匂いを放っていたのです。
「やあ、それはパイかい? それにしちゃ生地が分厚いし、白いねえ」
そう、フライパンの上には白くて丸くて分厚い生地がじんわり熱せられています。
これがあの、金属のように固い四角いブロックだと誰が信じられるでしょう。金網の上でじりじりと焼かれたそれは、しばらくすると「ぷくーっ」とふくれ、もちもちの生地に変化したのです。
アリスちゃんはそれを一つにまとめ上げ、まるで分厚いパイ生地のようにフライパンに移し、その上からトマトソースや干し肉、薄切りにしたパプリカ、アスパラ、それに大量のチーズを乗せてじっくり焼き上げていったのです。
「さあ、そろそろ食べごろですよ。皆さんのぶん切り分けますね」
そう言ってアリスちゃんはお皿代わりに私が摘んできた幅広の葉っぱの上にその不思議なピザを乗せていきます。それをみたレミリアさんが、眉をひそめました。
「ちょ、お皿もないんですの? こんな葉っぱの上に食べ物なんか乗せて」
「あの、きれいに拭いてあるので大丈夫かと……それにお皿を持ち歩くのはたいそう不便と言うか」
「野営ではこのくらいのことは当たり前だ。おおかたじけない、アリーシャ。うむ、なんとも食欲をそそる香りではないか」
やはりエリザベスさんは野営の経験があるようです。葉っぱの上に乗ったピザを一口ほおばるや、その端正な顔が驚きを浮かべます。
「む、むぐぅうっ? んっ、んむ……なんだこれは! 生地が粘っこくて伸びるぞ! しかし穀物の味もちゃんとしておいしい!」
「もむ、んむ、こ、こりゃ変わったパイ生地だね。けど、このもちもち感がなんとも言えない」
なるほどたしかにエリザベスさんとブルーさんの口元から、ピザ生地がむにゅ~っと伸びて垂れ下がっています。こんなのは普通の小麦で作った生地ではあり得ませんが、なんだか美味しそうです。
私も一口頂きましょう。
かりっ、フライパンで熱せられた部分はパリっと香ばしく、その内側はあっつあつ。そこがねっとりと粘りけを持っていて、ひっぱるとゴムのように伸びるのです。
そこにトマトソース、干し肉の脂、パプリカやアスパラの野菜の歯ごたえが加わって渾然一体。これは新感覚のピザといってもいいでしょう。
「あのかっちかちの保存食がこんなになるなんて……すごいですね、アリスちゃん」
「これは東方ではよく食べられている『オモーチィ』という穀物だそうです。このブロック状にしてしまえば保存も効きますし、もち運びにも便利です」
「……………………」
最初はその得体のしれない「オモーチィピザ」に警戒していたレミリアさんでしたが、私やエリザベスさんたちがあまりに絶賛するので、しぶしぶと言った様子でピザにかぶりつきました。
そしてむぐ、むぐと不審そうな顔で咀嚼していたのですが、なにやら様子がおかしいのです。
「あの、レミリアさん? ど、どうかされましたか?」
「………………っっ!」
なんと、レミリアさんの顔がみるみる真っ青になって、しかも息をしていないじゃありませんか。
「レッ、レミリアさん~~~~~~!」
「いかん、喉に詰まらせたようだ。マリアどの、水を!」
そう言ってエリザベスさんがレミリアさんの背中をばんばん叩く間に、私は木の杯に水を汲んでレミリアさんに飲ませました。
「一度に頬張り過ぎるからだ、この馬鹿者! はけっ、吐き出すんだレミリア!」
「……んげへええっ!」
口に含んだ水と一緒に、喉に詰まっていた「オモーチィ」がすっぽんと飛び出しました。
がはげへごほと咳き込むレミリアさんを、アリスちゃんが蒼白になって見守っています。よもやの、自分の作った食事で人が窒息しかける場面です、さぞショックを受けていることでしょう。
「あ、あの、ごめんなさい。『オモーチィ』はとても粘っこいものなので、毎年何人か喉に詰まらせて死んでしまうこともある食材なのです……」
「そっ! そんな危険なものをわたくしに食べさせたと言うの、アリーシャさんっっ」
怒りに目を吊り上げるレミリアさんに、アリスちゃんは何の悪気もなく追撃の一言を発してしまいました。
「で、でもあの……オモーチィを喉に詰まらせるのは、たいてい、その、『お年寄り』ばかりなので大丈夫かなと……」
レミリアさんの顔がハニワのようになり、私たちはなんとも気まずい空気に包まれたのでした。