第四章 大神官ミアミア
ぽかーん。
大神官ミアミアさまのご尊顔を拝謁した私は、ぽかんと口を開けてアホ面を晒してしまいました。
全身を包み隠すほど長く、つやつやした黒髪。
抜けるように白い肌、そして信じられないほど小さな顔は人形のよう。
その……壇上から私を見下ろすその小さな人影は、前後左右・東西南北どこから見ても、年端もゆかぬ小さな女の子だったのです。
「なんじゃ、どうかしたかマリア・マシュエスト」
「いえ……あの、えっ? み、ミアミアさま……ですよね?」
最初に感じた、威圧的とさえいえる神々しさはいささかも減じてはいません。
私の直観は目の前の幼女がミアミアさまであると認識しているのですが、私の中の常識がこの状況を理解できないでいます。だって、ミアミアさまってば私の故郷ジクロア村の最年少、ミミよりもほんの少し上くらいにしか見えないのですから。
か………………かわうぃいいいいいいいい!
思わずそう絶叫したくなるのを必死で堪え。私はちらちらと上目遣いに大神官様をつぶさに観察します。
聖職者らしいゆったりした僧衣には華美でこそありませんが、丁寧な刺繍がふんだんに施され、大神官の威厳をいや増しています。
私も刺繍を趣味としていますので、それがどれほど手の込んだものであるかくらいは理解できます。もちろん、私の刺繍などその足元にも及ばないことも。そして、そんな高級刺繍に身を包むミアミアさまが、いかに重要な人物であるかと言うことも。
「マリア・マシュエスト、五人目の勇者よ。我になにか尋ねたいことがあったのではないか」
ミアミアさまのお言葉に、私はハッとします。
「おっ、恐れながら申し上げます。大神官ミアミアさまは、勇者王子さまたちの身の上に起こる異変について、予言なさったのでしょうか」
「いかにも」
「それは、王子殿下の精霊の力が弱くなるという予言ですか」
黙って頷く美幼女。
「そっ……その原因は、わ、わたくしなのでしょうか…………」
「……………………」
なんとも言えない空気に、私は押しつぶされそうになります。
ああ、やはり大神官様は、「マリア・マシュエストが原因で他の勇者が弱体化する」と予言なさったのでしょうか。
しかし───黒々とした目をすっと細めたミアミアさまは、きょとんとした顔をされてから、小首を傾げたのです。ああ、かわいいっっっ。
「レオナルド・アントニオ・ラファエロ・ウィリアム───四人の勇者たちに授けられし精霊の加護……たしかにいま、その力は極端に弱まっている。その中心にいるのはマリア、汝じゃ」
「や、やっぱり」
「そうじゃ。汝が五人目の勇者のさだめに目覚めたのがきっかけとなり、王子たちは次のステージに移行しようとしている。いまはその前段階……言ってみれば力を溜めている状態なのじゃ」
ええっとそれってつまりどーゆーことなのかというと……突然のお話に、私は頭がついていけません。
「我はまだ正式に予言を発表したわけではないのだが、我の周囲にも付き人はおるでな。人の口に戸は立てられぬとはまさにこのこと……さながら伝言ゲームのように噂は噂を呼び、それを自分の都合のよいように解釈する者も出てくる。そうではないか、ウォーレットの娘よ?」
「ひいっ?」
「れ、レミリアさん、いつの間に」
ぎらり鋭い眼光を向けられた薄灰色の髪の少女が、柱の影から転げ出てきました。
その後から赤毛の少女も、ひどく恐縮した面持ちでおずおずと現れます。
「み、み、ミア、ミアミアさま、お、お許しを」
「け、決して盗み聞きしようと言うつもりではなかったのです! しかしマリアどのの後を追ううち、我々も見知らぬ場所に出てしまい、途方に暮れていたところ、お二人の会話が聞こえてきて」
狼狽しまくるお二人に、大神官様は「にったり」と笑みを浮かべました。
「構わぬ。汝ら二人をこの大聖堂に招き入れたのも我じゃからな。それに汝らには重大な役目がある」
あれっ、とそのとき私は思いました。
ミアミアさまは相変わらずちっちゃくて愛らしいのですが、その荘厳な雰囲気の向こうになんというか狡猾な、世慣れた「大人の悪知恵」のようなものを感じたのです。
(もしかして、ミアミアさまって見た目よりもずう~っと……)
ぎろりっ。
何の前挙動もなく振り向いた大神官の視線に、私は射すくめられました。
たったそれだけで、私は指一本動かすことすらできず硬直してしまいます。
魔法? 呪術? そんなチャチなものじゃ断じてありません。これはいわゆる年季の差、私などとは比べ物にならない経験と齢を重ねてきた人だけが持つ人間的迫力と申しましょうか───
「マリア・マシュエスト」
「ひゃ、ひゃいっ」
「『好奇心は猫を殺す』ぞ───わかるな」
こくこくこくこく。全力で頷いて見せる私に、ミアミアさまは天使のような微笑みを下さったのでした。
とっほっほ。
※ ※ ※
「さて───」
と、大神官ミアミアさまは私たち三人を壇上の下に座らせ、私たちの新たなる使命についてのご説明を始めました。
「マリア以外の四人の勇者は、次のステージに移行するため一時的に精霊の力が弱まっている。そこでマリア、汝は新たなる試練を受けねばならぬ」
「は、はいっ。勇者殿下さま方のためとあらばこのマリア・マシュエスト、たとえ火の中水の中!」
「その心意気やよし! だが命を張れとまでは言わぬ。汝はこれより諸国を回り、勇者たちを回収し、ここロートヴァルドに帰還せよ」
「………………そ、それだけですか?」
うむ、と大神官様は鷹揚に頷きます。
「だっ、大神官さまっ! このエリザベス・バートン、マリアどのの護衛としてその旅に同行したくお願い申し上げます!」
「もとよりそのつもりだ。レミリア・ウォーレット、汝もじゃ」
「! ……はっ、承りましてございます!」
一瞬言葉に詰まったものの、あの、私への敵意むき出しだったレミリアさんが、床に額を擦りつけんばかりに叩頭しています。
私はまだピンと来ていないのですが、お二人にとって大神官と言うのはそれほどに仰ぎ見る存在なのでしょう。一見すると本当に可愛らしい幼女にしか見えないのですが、お二人の畏敬の念を一身に浴びるミアミアさまはやはり見た目以上の───
ぞわわわわぁああああああっっ。
背中に氷の柱を突っ込まれたような悪寒が走り、私は背筋を伸ばして硬直いたしました。
ぎぎ……と音が出そうなぎこちない態度で首を動かすと、そこにはミアミアさまの愛らしい笑みが。
しかし、その瞳は決して笑ってらっしゃいませんでした。
もうそれ以上、余計なこと考えてんじゃねーぞおいコラ
と、なぜか街のチンピラのよーな剣呑な視線に、私はただただ恐怖するよりほかありませんでした。
「しかし大神官様。その旅には我ら三名だけで旅立つと言うことでよいのでしょうか」
「うん? 勇者王子とマリアが『魔王の影』を駆逐して以来、魔物出現の報もない。汝らだけでも大丈夫じゃろう」
きっとエリザベスさんは私の身を案じてくれているのでしょろう、と私は思いました。
魔物こそ出なくなったものの、街道には山賊や野盗などは未だに存在しますし。エリザベスさんやレミリアさんならばそんな小物、一蹴するでしょうが、私の精霊の力はいまだ不安定。
いざというとき私を守りきれるかどうかを心配なさってくれているのでしょう。
ああ、これぞ女同士の麗しい友情!
「ときにレミリア・ウォーレット。お前は家事の経験はあるか」
「はぁ~!? 中級とはいえわたくしは貴族ですわよ。お料理だなんてそんな下賤なこと、するわけがないでしょうっ」
「やはり……私も日々努力はしているのだが、まだ芋の皮ひとつ満足に剥けない有様。大神官様、恐れながらこの三名で旅に出た場合、我らの食事はマリアどのが一手に引き受けることになってしまいます。勇者に給仕のようなことをさせるのはなんとも心苦しく」
ええっ、心配のポイントそこですか?
「いえ、三人分くらいの食事、どうってことないんですけど」
「そうはいかぬ」
などと、なんだか勇者だの精霊だのとはあさっての方向で私たちが揉めかけていた時、です。
「そういうことならお任せあれっ!」
と、なんだか素っ頓狂に元気な男の方の声が大聖堂に響き渡りました。
「……また汝か。呼びもせぬのにまめなことだな」
呆れたようなミアミアさまの視線の先にいたのは、紺色の長髪を後ろで無造作に束ねた青年、そしてその後ろにはうすい茶色の髪がふわふわカールした、人形のように愛らしい美少女がいました。
そしてその顔には見覚えがあったのです。
「アリーシャ……アリーシャ・フィゴヌスではないか。こんなところで何をしているのだ、寮生はそろそろ夕餉の時刻だろう」
エリザベスさんが驚くのも道理、アリーシャさんは勇者アカデミーの女子生徒であり、私たちと同じ女子寮生なのです。ただ、とても大人しい方で、私は未だお話したことはありません。
「やあやあやあ、あなたが勇者マリア・マシュエストさまですね。初めまして、ボクはブルー。ブルー・サイトコアと申します。ロートヴァルド王国近衛騎士を務めさせていただいております、以後お見知りおきを」
そういうや青年は私の前で片膝を折り、私の手の甲に軽くキスをしてくるではありませんかぁあはわわわわぁ~~~~っ!
「おい、自重しろそこの好色騎士。で、なぁ~にをしにきたんじゃ?」
ちょっとイラッっとしたミアミアさまの声に、関係ない私までが凍りつきそうになりました。