第三章 勇者、失格!?
がくりと膝を折った私の目の前に、一振りの練習刀が投げ出されました。
「それをお取りなさい、マリア・マシュエスト。そして、わたくしと勝負なさい」
「えっ、でもなんで、どうして」
はいそうですかと剣を取るわけにもいかず、私はレミリアさんを見上げました。するとレミリアさんはまさしく「獰猛」としか言いようのない笑顔で私を見下ろすのです。
レミリアさんの薄灰色のセミロングが風に揺れて、まるで猛禽類のようだと私は思いました。
「決まっています、『勇者であるあなた』を『なかったこと』にするのですわ」
「は……?」
「わたくしのこの美しい剣で、あなたを完膚なきまでに叩きのめしてあげる。ええ、ニールセンとか言う男子との模擬戦闘は聞き及んでおりますわ。だからわたくしはあなたの剣ではなく、あなたのその弱り切った心を打ち砕いてあげますわ。何度でも……何度でもね!」
そのどこまでも真剣な眼差しに、私はぞっとしました。あのときの私は自分が勇者だなんて信じられず、辞められるものなら辞めたいと思っていました。
けれど私の体はニールセンの攻撃を受けると同時に岩のような固さと重さに変化し、彼の攻撃を退けたのです。
ですがいまは違います。
もしも私が勇者であることで、レオナルドさまたちが弱体化しているのだとすれば、やはり私には勇者たる資格などないのでは……
「さあ、剣をお取りなさい、マリア・マシュエスト!」
そうなんだろうか……私が勇者であり続けることで、あの愛しい王子さまたちが苦しんでおられるのだとすれば、私はやはり勇者の看板を返上した方がいいのでは……このままレミリアさんに打ち倒されれば、私よりなんぼかマシな人が次の五人目に選ばれるかもしれない。
ぼんやりとそんなことを思いながら、のろのろと剣の柄に手を伸ばしかけた、その時でした。
「待たれよ」
頭上に響いたのは、凛々しい声。
見ると、エリザベスさんが愛用の湾曲刀を手に、レミリアさんと向き合っていました。その目は恐ろしく真剣で、私もレミリアさんも思わず生唾を飲み込んでしまいます。
「先ほど貴殿が口にしていたのは、マリアどののことか……?」
「っ……そっ、そうですわ、全て事実ではありませ」
「それは─────────違うッッッ!!!!!!」
ひぃ、と叫んでレミリアさんは後ずさりします。
「たしかにマリアどのの出自は地方の村かもしれぬ。貴族でもないかもしれぬ。いまだ精霊の力は不安定かもしれぬ。だが、我が親友に向かって中途半端だ平凡だ地味だなどと言われて黙っているほど、私は鷹揚な人間ではないぞ!」
「エ、エリザベスさま」
髪の毛と同じ灼熱の紅瞳に、怒りの焔が宿っていました。
「私は知っている、マリア・マシュエストがまっすぐに人を見ることを。苦難を前にしても決して退かぬ強い意志の持ち主であることを。そして……愛する者のために我が身を投げ出す勇気を持っていることを! それに、貴様の言うことには論理的根拠が薄すぎる」
畳みかけてくる赤毛の女騎士を前に、レミリアさんもたじたじです。
「仮に王子殿下たちの弱体化が事実であるとしても、その原因を追及すべく殿下たちは努力しているのだろう、そういうお方たちだ。身分が違うなどという浅はかな理由で、その原因をマリアどのに押し付けるような愚な真似を犯す様な方々ではないのだ、わかったかっ!」
エリザベスさんの迫力に、レミリアさんは先ほどの勢いもどこへやら、二の句がつげないでいます。
しかし、自分の主張が根拠薄弱と言われてもなお、彼女は王子殿下の弱体化が私のせいだと強く思っているようなのです。
「聞いたのですわ……この一連の不吉な兆候の中心に、マリア・マシュエストがいる。そう、大神官様が予言なさったのだと」
「なにっ、大神官? それはもしやミアミアさまのことか!」
「大神官と言えばミアミアさまに決まっているじゃないですか。あの偉大なる大神官様が、この騒動の中心はマリア・マシュエストだと明言したと言うのです。だから私は」
あのー。
その「大神官」だの「ミアミア」だのというのは、いったい……
「なっ」
「まぁああああ───ッッッ! こっ、この罰あたり勇者ッ、大神官ミアミアさまのことを知らないとは何たる不敬! やはりあなたに勇者の資格などないのですわ───ッッ」
そうは申されましても、私はほら、ずぅ~っと田舎暮らしをしてきましたから。
精霊と世界の成り立ちの伝承くらいは知っていても、それ以上の宗教的な知識などはほとんど知らないのです。ていうか、知ってたって日々の暮らしに何の役にも立たない、というのが実際のところでしょうか。
「う、うむ大神官様は滅多に表舞台にはお出にならないしな。何か重大な予言をする時だけ、お姿をお現しになるのだ」
いつも大人っぽく凛々しいエリザベスさんが、まるで幼い少女のように目を輝かせています。
その大神官様とやらは、よほど皆さんの尊敬を一身に集めているお方のようです。してみれば、その方が私を名指しで予言したと言うことは、やはりレオンさまたちの弱体化の原因は、私……?
「わかったでしょう、マリア・マシュエスト。あなたのような庶民が勇者などに選ばれたから、アントニオさまたちの力が弱くなってしまったのですわ」
「………………わかりました」
勝ち誇るレミリアさんに、私はしばし考えた末ポツリとそう言いました。エリザベスさんの顔から、さあっと血の気が引いていきます。
「ま、マリアどの、早まってはいけない! 勇者の使命というのはそんなに軽々しい」
「私、大神官様に会ってきます!!」
「えっ」
「えっ」
石像のように硬直するエリザベスさんとレミリアさんを残し、私はさっさと踵を返して大神官様に会いに行くことにしました。
だって、このままじゃ何も分からないじゃないですか。レミリアさんは私憎しで曲解されてますが、大神官様は「この一連の不吉な兆候の中心に、マリア・マシュエストがいる」と予言されたそうです。
「マリア・マシュエストが不吉な兆候の原因である」とは言っていません。
ならばますます、事の真偽を確かめなくては。
「大神官様って…………どこにいるの……?」
「ま、マリアどの、早まってはいけない!」
どこにいけば大神官ミアミアさまに会えるのかもわからず歩きだした私を、エリザベスさんが必死に追いかけてきます。その後に続いてレミリアさんも。
「待っ……マリア・マシュエ……ッ。ちょ、止まりなさ…………っ」
それでも私の足は止まりません。
大神官様と直接対峙して、予言の真意を確かめる、あるいは勇者王子さまたちの弱体化の原因を尋ねる。
向かうべき方針さえ分かれば、あとは一直線に進むまで。私は得体のしれないエネルギーに突き動かされ、足は早馬のように疲れを知らず先に先に進みます。
勇者の力? いえ、これは女の心意気ってヤツでござんす。誰やねん。
気がつけば───私は大聖堂のような場所に佇んでいました。
壁に架けられた蝋燭の数は、聖堂の広さに比して少なく、辺りはとても薄暗いです。
あれれ、自分がどこを通ってどうやってここにたどり着いたのか、まるで覚えていません。
「それはそうじゃろう、我が汝をここまで導いたのじゃから」
ハッと声のした方を振り返ると、壇上と思しき場所だけが明るく照らされています。そこに小さな影が見えましたが、背後からの光でシルエットのようです。
「あの、あなたは」
口調こそ大人びていましたが、声は若い、というより幼くさえ感じます。
そうしていても埒が明かないので、私はその人影に近づいていきました。けれど、一歩近づくにつれ、ものすごい圧力が心にのしかかってくるようです。
それは敵意とか悪意と言ったわかりやすいものではなく、なにかもっと巨大な存在に対する畏怖の念とでも申しましょうか。私はごく自然に膝を折り、その小さな影にこうべを垂れていたのです。それでいて、自分がこの方にひざまづくこと自体にはむしろ喜ばしささえ覚えました。
「汝───マリア・マシュエストよ。我が大神官ミアミアである」