第三十六章 正しいことは、本当に正しいんでしょうか
「うぉおおおおおおっ!」
凄まじい咆哮と共に、焔を噴きあげる蹴りが黒い影に炸裂しました。
思わずよろけたところを逆側から、氷の蹴りが襲いかかって切り裂きます。たまらずに反撃しようとしますが、その攻撃はすべて風の障壁が防ぎ、正面から銀の剣が黒い巨体に突き刺さり、影はのたうちまわりました。
「す、すごい……あれが合体精霊の力だというのか」
「完全に魔王を圧倒してますわ。さあ、皆さまもご一緒に、勇者さまを応援いたしましょう!」
レミリアさんの声にわき上がるのはちょっぴり柄の悪い山賊、いえ元山賊の皆さん。
彼らや兵士の皆さんだけでなく、一般市民の皆さんも熱くわたしたち───合体精霊───ゴセイレーってのは、もうスルーでいいでしょうか───にエールを送ってくださっています。
それに勢いづいたように、四肢に四大精霊を装着した大地精霊神は凄まじいパワーで魔王を叩きのめし続けます。どうにか負わされた傷を再生はしているようですが、もはや魔王には反撃する力も気力も残っていないように思えました。
それなのに……どうしてなのでしょう、私の心には勝利の予感どころか、ずしりと巨大なプレッシャーに、額の汗が止まらないのです。
(私だけじゃない、レオナルドさまたちもだ。これって、魔王の?)
いいえ、そうじゃないように私には感じられました。
決して魔王の力を見くびっているわけではありませんが、それほどに合体精霊のパワーは魔王を上回り、それどころかどんどん高まっていくほどなのです。
なのに、力が高まれば高まるほど、手足の先が冷たくなり、両肩が重く、なんともぬぐいきれない疲労感が蓄積されていくのです。
「も、もう少しだマリア!」
「けど、僕らにもマリアくんを庇う余裕なんかないみたい……だ……っ」
あの偉丈夫のアントニオさままで、額にびっしょりと汗をかき、精霊神を操るのも苦労しているようです。この大きすぎるパワーを制御できてないということなのでしょうか……でも私たちの戦いを見守る声はどんどん大きくなり、そのたびに私たちに対する負担が増すようなのです。
まるで───人々の期待が全身にのしかかってくるような。
(まさか───!)
私は合体精霊の攻撃を受け続けている、目の前の魔王に目をやりました。
彼の正体は初代聖勇者。
今の私たちのように共に戦う勇者仲間もおらず、ただ一人人々を率い、その期待を一身に背負ったまま戦い続け、戦い続け、戦い続けた挙句に、その期待に押しつぶされ、ついに「魔王」となってしまった人。
「ぐぅ……み、みんな、がんばるんだ……」
「だが、レオン……これはやはり、異常事態、だ……!」
ウィリアムさまも事態の異常さに気付いているようですが、よもやこの負担の原因が皆さんの勇者への期待によるものだとは思っていないようです。
けれど、私は気付いてしまったのです。
(精霊神が、闇に包まれてる?)
そう、何もない白い光に包まれていた合体精霊の中が、いつの間にか薄暗く、特に四肢の先端が渦を巻くような闇で覆われ始めているのです。それも、右腕に当たるレオナルドさまの聖精霊の腕が、まるでじわじわ浸食されているかのようにどす黒くなっていることに、私はぞっとしました。
「みんなの……みんなの期待に応えるんだ。僕は、僕らは勇者なんだ、から……!」
精霊に選ばれた、精霊の加護を受けし勇者として魔王と戦う。
それはきっと正しいこと。
私たちが力を合わせ、皆さんの期待に応えて魔王を倒す。
それもきっと正しいことだと思います。
でも──────
正しいことは、「本当に」正しいことなんでしょうか?
自分でも支離滅裂な事を言ってるのはわかります。
だって、勇者が魔王を倒すのは、みんなが望んでいることなんですから。ほら、こうして魔王に苛烈な攻撃を加えている今も、周囲から押し寄せてくる皆さんの期待や望みがダイレクトに私の心に突き刺さってくるのです。
魔王を倒せ!
魔王を倒せ!
魔王をやっつけろ!
魔王をやっつけろ!
倒せ! 倒せ! 倒せ! 倒せ! たおせ! たおせ! たおせ! たおせ! やっつけろ!
やっつけろ! やっつけろ! 倒せ倒せ倒せ倒せたおせたおせたおせたおせたおせやっつけろやっつけろやっつけろやっつけろヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセヤッツケロヤッツケロヤッツケロタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセタオセッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロッツケロヤッツケロ
「あぁっ」
私は、両手で頭を抱え、その場にうずくまりそうになります。
それはまるで一つの大きな意志の塊のようになって、精霊神に怒涛のように流れ込み続けます。そしてその勢いに押されるように、精霊神は両の拳を、両脚を振るい、魔王を攻撃し続けるのです───魔王は、抵抗はおろか防御すらするそぶりもなく、ただ一方的に打たれ続けます。
私はもう、地の精霊が形作った精霊神を動かしている自覚すらありませんでした。
大きな力は私の意志を、いえ他の勇者王子さまたちの意識からすら離れ、人々の迸る強烈な願いのままに拳を振るい続けているのです。
両手の先が冷たく凍え、いま自分が精霊神の中にいるということすら忘れそうになります。
それでいて、魔王に叩きつけられる拳の感触だけは、否応なく伝わってくるのです。なぜならそれは私が勇者だから。みんなの期待を一身に背負って、魔王を倒すために選ばれたものだから。それを成し遂げるのは、私たちしかいないのだから。
そしてわたしはおもいました。
ただしいことは、ほんとうにただしいことなんでしょうか?
そのときです。
がくりと両膝を地面につき、顔を上げることすらできなくなった魔王が、かすかになにかつぶやいたことに、私は気付きました。
それを耳にした瞬間、私は我に返りました。
わたし、なにしてるんだ。
こんなところでうずくまってる場合じゃない。
このまま押し流されるままに、勇者の運命に従って魔王を滅ぼして───いいわけがない!!
「ふんぬぅううっ!」
一瞬で手足に力が漲り、私はピンと背筋を伸ばしました。
周囲から押し寄せるみなさんの声も、もう気になりません。
ずさぁああああっ。
大きく右足を後ろに引いて、右手を後ろに構えました。
さっきまで氷のように冷たくかじかんでいた指先にまで熱が行き渡り、指先をピンと伸ばした手を手刀の形に構えます。
ぎりぎり限界まで腰をひねった、その反動力のすべてを解放し───私は、目の前の白い空間に貫手を思い切り突き立てたのです。
ずどぉおおおおおおっ!
ばき……ぱきぱきぱき……一見、何もない空間にヒビが走り、私の手刀を呑みこんでいました。空間に開いたひび割れに向けて、私は躊躇いなく左手を叩き込みます。
めぎぃいいいいいっ。
ひび割れがさらに拡大し、私は両手を空間のひび割れに突っ込んだ状態。ぐううっ、と両肩に力がこもると、私たちを包む白い異空間自体が軋みを上げました。
「マ、マリア!?」
「なにしてるんだ、嬢ちゃん!」
びきびきびき……みしみしみし……皆さま、お忘れでしょうか。
地の精霊の加護を受けし勇者、このわたくしに与えられた特性を。それは───類稀なる───あまりお年頃の娘らしからぬ無骨な能力───「怪力」だということを。
「ふんっ! ぬぐぐぐぐぐぐぐ……」
みしみし、めきめきめき……べきべきばきばきばきばきぃいいっ!
少しずつ、ひび割れが大きくなってその向こうに風景が見えます。
それはこの白い異空間を通して見ていた、魔王との決戦場です。けれどさっきまでと違うのは、空間の日々を通して、王都の風の匂い、埃と火の手の焦げた臭い、そして大勢の人たちの歓声が直に聞こえてきたこと。
私は合体精霊神の内部を強引にこじ開け、外の世界を垣間見ていたのです。
「どういうことだマリア、キミは一体何をするつもりなんだ」
「マリアくん、落ち着くんだ!」
いえ……私は十分に落ち着いています。
落ち着いたうえで、これから自分が何を為そうをしているのかも理解しています。
そうしてあらためて両腕に満身の力を込めると、わずかに開いた空間の割れ目を一気に押し広げたのです。
「ふぬぬぬ……ぐぬぬ、ぐぅう…………ごんぬずばぁ~~~~っ!!」
めきめき、ばきばき、ぐわらがしゃあああんっ。
凄まじい轟音と共に、胸板を大きく立ち割られた精霊神は大きく体勢を崩します。異空間でさえその影響は免れることはできず、大地震のような揺れに翻弄された私は、その場にへたりこんでしまいます。
「むぎゃっ」
ど、どん、どどんっ。
先ほどまで前かがみの姿勢で魔王に攻撃を加えていた精霊神が大きく身体をのけぞらせ、その反動で私の体はあっけなく浮きあがり、目の前に大きく開いたひび割れを抜けて、精霊神の外に放り出されていたのです。
「ひょげえええええええええ~~~~~~っ?」
ひゅるるるる~~~~…………べしゃああああっ。
大きく弧を描くように宙を舞った私は、なす術もなく迫りくる大地を避けられるはずもなく。
もろに顔面から無様なカエルのように着地していたのでございます。
「ぶげえ……お、思ったほどは、痛くない、けど……」
おそらく地精霊の加護によるものでしょう。
かなりの上空からダイレクトに顔面ダイブした割には、痛みはありません。が、よろりらと身を起こすと、私を中心に半径2メートルほどのクレーターができていました。
そして───目の前には黒くて大きな影。
魔王。
「──────っく!」
一瞬、怯みそうになりましたが私はかろうじて堪えました。
だって私の耳には、たしかに魔王がたしかに発した微かな声が残っていたのですから。
「マリア!」
そのとき、精霊神から鋭い声が響きました。レオンさまです。
珍しく、苛立ちと怒りに満ちたその声にびくりとしますが、私はすっくと……落下の衝撃でまだ足もとがおぼつきませんでしたが……精霊神と対峙したのです。
「何を考えているんだ、キミは! もう少しで魔王を倒せる瀬戸際だって言うのに、ここで僕たちが力を合わせなくてどうするんだ!!」
ええ、レオンさまは生真面目なお方。
王子として、勇者としての責務と使命感を持ち、それを果たそうとしている立派な方。
私はそんなレオンさまを尊敬し、敬愛し、お慕い申し上げてきました。
私のような中途半端で未熟な半人前勇者に対し、決して見下すこともなじることもなく、根気強く、心からの好意で接し続けてくれた、本当に素敵で素晴らしい人。
「マリア! 答えるんだ、キミは一体」
「レオナルドさま……」
自分でも意外なほど落ち着いた声に、精霊神の動きが止まりました。
「レオナルドさまもご存知ですよね、魔王の正体は最初に生まれた勇者。聖精霊の加護を受けし初代聖勇者だということを」
「………………」
「けれど、初代聖勇者は平和と秩序を願う人々の期待を一身に背負いこみ、そしてなお続く戦乱との矛盾に耐えかねて、この世界のすべてを無に帰するため、魔王になった」
私のこの言葉が、周囲の皆さんの耳にどれだけ聞こえていたかは分かりません。でも少なくとも精霊神の中の勇者王子にはすべて伝わっていたはずです。
「それから長い、ながい時が流れて、私たちは五大精霊に選ばれ、勇者になりました。魔王を倒すために……そうですよね」
「そ、そうだ。だから僕たちは」
「それなら!」
私は天を衝くような巨大な合体精霊神を見上げ、決して目をそらすことなく、言いました。
「なら、なぜ私たちは魔王のように黒く染まりかけているのですか!!」
そう、両手足に精霊を装着し、巨大合体精霊神となったゴセイレーは、いつしかじわじわと薄暗く、暗黒色に染まり始めていたのです。