第二章 王子さまたちがヘンタ……大変です
「やあ、マリア・マシュエスト」
と、声をかけてきたのは、ローニィ・カスバートさん。貴族の子弟ですがいつもにこやかでとても穏やかな方です。アカデミーの女子が私一人だけだった頃も、比較的わたしに好意的に接してくれた方でした。
今日の一限目は大講義室での「史学」。
こう言った座学は男子女子共に受講するのですが、本来なら自由に座っていいはずの席は、なんとなく右に男子、左に女子という暗黙の了解になっていました。やはり私以外の女子生徒は貴族令嬢、殿方とそう気やすく隣同士になるのをためらわれるのでしょう。
なので、私もローニィさんとお話しするのは久しぶりです。
「女子の次の授業は戦闘実技だろう、頑張ってね」
と、なんともお気楽な口調でお話しするのもローニィさんの特徴。
ええ、「比較的」わたしに好意的とは言っても、それで特に私に親切にするとか、そーゆーことはないんですよこの人……
「あれから剣技は上達したかい?」
「えっ、いやどぉ~でしょう、うえへへへ」
と、私がお茶を濁していると、ローニィさんの後ろからこれまた見慣れた顔がひょいと現れました。
「なにをへらへらしてる、マリア・マシュエスト! 貴様は五人目の勇者なんだからな、腕を磨き、一日も早くレオナルド殿下たちに追いつくと言う義務があるのだぞ」
ニールセン、ああニールセン。
入学当初は私が本当に勇者なのかと疑い、アカデミーに女子が在籍することを嫌って私の退学まで要求してきたいけすかない奴でしたが、最近ではそうでもありません。
いちおう私を勇者とは認めてくれているようですが、相変わらずその態度はぶっきらぼうです。
と、ローニィさんがくくっと笑いを漏らします。
「マリア、こいつはこんなこと言ってるけど、戦闘実技じゃいつもキミを引き合いに出して皆を鼓舞してるんだよ。『お前たち、そんなたるんだ鍛錬でマリア嬢と共に戦えるのか~!』みたいな」
「ばばっ、ば、ボクがいつそんなことを……い、い、言ってないからな! からなっ!」
いや、そんな顔を真っ赤にして言われても。
それはともかくローニィさんたち男子生徒は三クラスに分かれての座学の授業。
私たち女子は「戦闘実技」……すなわち実際に剣を振るったり組み手をしたりという、誠に実践的な授業です。ちなみに、私の最も苦手とする科目でもあります、とほほ。
そんなこんなで戦闘実技授業。
私が運動靴に履き替えようとした、その時でした。足の裏に鋭い痛みが突如走ったのです。
「ぎゃぴっ?」
あわてて運動靴を脱ぐと、なんとそこから出てきたのは「画鋲」……
こんなものが自然や偶然に入るわけがございません。おそらく誰かが私の運動靴を狙って仕込んでいたのでしょう、でもいったい誰が……
(ヤツカ)
一瞬、ニールセンの顔がよぎりましたが、私はすぐに否定しました。
入学当初こそ、バケツの水を私にぶっかけたりと、かなり陰湿な嫌がらせをするようなアンニャロウでしたが、今のニールセンがそんなことをするとは思えません。
私は一瞬でも彼を疑った自分を恥じました。
(ははは、それにしてもあのニールセンが私を引き合いに出して皆を奮い立たせようとするだなんて……変われば変わるものです)
それにこの手の嫌がらせはなんというか「女性的」な気がします。
幸い、怪我をするというほどでもなかったので、私は画鋲をゴミ箱に捨ててグラウンドに向かったのでした。
「はぁっ、やあっ、えいっ」
「そこ、もっと腰を入れないと怪我をするぞ! そっちはもっと思い切りよく剣を合わせろ! 舞踏会のレッスンではないのだぞ!!」
勇者アカデミーの女子生徒とはいえ、実際に剣を振るったことのある女子はごくわずか。
その中で抜きんでているエリザベスさんが、剣を持ち慣れない女生徒の指導をなさっておられます。最初こそへっぴり腰だった皆さんも、エリザベスさんの指導のおかげで最近はようやくまともな鍛錬の体になってきました。
皆さん、素振りをしたり組み手……すなわち実際に剣を合わせて模擬戦闘をするなどの訓練をなさっておられます。当然、五人目の勇者であるわたし、マリア・マシュエストも彼女たちに混じって剣の鍛錬を……してはいません。
「んにゃっ! ふひっ、りゃりゃぁ~っ、およっ!?」
私はグラウンドの隅で一人、練習刀を手に孤独な訓練を続けています。
いえいえ、べつにいじめとかじゃないですよ。
今日はどうにも「地の精霊」の力が制御できないのか、やけに剣が重く感じられます。
というのもまだまだ未熟な私は、自分の中に眠る地の精霊の力を未だ自由にコントロールできないのです。いまはこの練習刀がとても重く感じられ、素振りをするだけで剣の重みに体が持っていかれそうです。そう、これが本来の「田舎村の村長の娘」の腕力なのですから。
その代わり、調子のいい時はというとちょいと剣を振るうだけで、地面に大穴を穿つほどのとてつもない力を発揮してしまいます。こんな不安定な力の持ち主相手に組み手をさせるなど、危険極まりないとエリザベスさんが判断したのです。
その判断には私もおおいに納得いたしました。
(もう二度と、『残虐勇者』などとは呼ばれたくありませんからね)
「マリアどの。調子はどうだ」
一通り、他の女子生徒さんの指導をしてきたエリザベスさんに、私は力のない笑みを浮かべました。
「きょ、今日は少し剣が重いです……」
ああ、私は本当に未熟な勇者です。レオンさまたちがそれぞれのお国で公務に励んでおられると言うのに、私は精霊の力をコントロールできずに足踏みしているのですから。
「ふむ……」
と、エリザベスさんは私を叱るでもなく、励ますでもなく、しばし考え込むようなそぶりを見せられました。
「マリアどの……なにか気がかりなことでもあるのではないか? 私とて、悩みがあって集中力を欠くときに剣を振るっても、うまくいかぬものだ」
「気がかり……ですか」
曖昧に言葉を濁しつつ、私の脳裏にはあることが思い出されていました。
これまで何度も感じた、敵意ある視線。そう、「彼女」の───
「エリザベスさま、少しよろしいでしょうか」
視線の主が、そこにいました。
「レミリア・ウォーレット。どうかしたのか」
そこにいたのは、レミリアさん。
剣の腕ならエリザベスさんに次いで達人の、中級貴族の令嬢。そして───そして、ときおり私に謎の敵意に満ちた視線をよこしてくる方です。
瞬間、私は運動靴の中の画鋲の一件を思い出したのですが、いえいえ証拠もなしに人さまを疑ってはいけないと厳に自分を戒めます。
「わたくし、勇者さまと少しお話があるのですが、よろしいでしょうか」
「それは、私に聞いて欲しくないことなのか? いまはまだ戦闘実技の授業中なのだが」
エリザベスさんのもっともな言葉に、レミリアさんは悔しそうにきゅっと唇を噛みしめました。
「わかりました。エリザベスさまも同席していただいても構いません。今日の放課後にでも体育館裏においでなさい、マリア・マシュエスト!」
ぎりりっと音が出るような鋭い眼光を私に向けるや、くるりと踵を返すレミリアさん。
てゆーか、イマドキ「体育館裏に呼び出し」てあーた。
※ ※ ※
さて、その日の放課後。
私はエリザベスさんと連れだって、体育館裏に出向きました。
いつもなら女子寮に帰ってケイティさんの夕飯作りの手伝いをしているところなのですが、そこはエリザベスさんが気を使って下さって、女生徒に言づてを頼んでくださいました。
「うむ、ケイティどのが心配されるといけないからな」
それにしても、レミリアさんはいったいこの私にどういう御用件───つうか、どういう恨みがあるのでしょう。ほとんど会話もしたことのない彼女の恨みを買う覚えはないのですが。
などと首をひねりながら体育館裏(笑)に行くと、そこにレミリア・ウォーレットさんが両手を腰に当てての仁王立ちで、私をぎろりと睨みつけているではありませんか、ひええええ。
「あ、あのう、レミリアさん。言われたとおりに来たのですが、私に話って……」
「マリア・マシュエスト。あなたが五人目の勇者であると言うことは、様々な人からお話を窺い、わたくしそれについては否定は致しません」
「はぁ」
「それはそうと、アントニオさまがベルクガンズにご帰国なさっていることはご存じ?」
そう言えば今朝、キャサリンさまに確認したところ、ラファエロさまやウィリアムさまもそれぞれの故郷にご帰国なさっているとか。
「わたくしはベルクガンズ出身なのですが、先日所用で帰国したとき、妙な噂を耳にしたんですの」
あれっ、てっきり王子さま方はご公務でお国に帰っておられると私は思いこんでいたのですが、そうではないのでしょうか。
「ふん、その頓狂な顔を見るにまったく知らないようですわね、この能天気娘。あなたがのほほんとアカデミーでなまくらな剣を振るっている間にも、アントニオ殿下に恐ろしい危機が迫っていると言うのに!」
「キ、キキッ」
お猿さんのような声を思わずあげてしまいました。
「噂ではこうよ、アントニオさまに授けられし『焔の精霊の加護』の力が弱まってきていて、殿下はそれをなんとかしようと血の滲むような努力をしておられるとか」
「精霊の……力が弱まって……?」
「そうよ、あなたのせいでねっ」
ががーん。
私はさておいて、四人の勇者王子さま方は世界を魔王の手から救う崇高なる運命を背負った勇者です。アントニオさまにいったいどのような危機が訪れたと言うのでしょう。 思いもよらないことを聞かされ、私はその場に愕然と立ち尽くしました。
えっ、えっ、私もうかなり長い間、アントニオさまとお会いしてないのですが、わたし殿下に何かしたのでしょうか……状況が分からず「あう、あう」とオットセイのよーな声しか出せない私は、救いを求めるようにエリザベスさんの方を見ました。
「あ、あの、え、エリ、エリザベ」
「ふーむ……」
ですが、エリザベスさんは何か考え込んでおられるようなのです。そして神妙な面持ちで私の方に向き直りました。
「マリアどの、実はな……その類の噂は私も小耳にはさんでいるのだ。アントニオ殿下ではなく、レオナルド殿下も精霊の力の弱体化を感じていると」
「そおですわっ、それもこれもマリア・マシュエストッ! あなたのような人が五人目の勇者などに選ばれたりしたからァアアッ」
ひええええええ~~~~。
「あう、あの、その、私は」
「あれだけ鍛錬を積みながら剣の腕はへろへろ、精霊の力も聖宝具も使いこなせず」
うぅっ。
「学業成績は平平凡凡、中の中、褒めようも貶しようもない中途半端さ」
ぐぐっ。
「学生の身でありながら、家政婦風情の手伝いにばかり熱心で」
ぬぅっ。
「毎日へらへらと緩み切った顔をお晒しになって」
むぐっ。
「しかもなんですの『村長の娘』って、そんなの庶民も庶民、ド庶民じゃない」
ぐぎぃ。
「顔立ちは地味だし、私服はダサいし、テーブルマナーも危なっかしい」
げふぅ。
「品格のかけらもない庶民の小娘が『五人目の勇者』ですって!? あなたがそんなだから、きっとそのとばっちりがアントニオさまたちの負担となって現れているのですわぁああっ」
がくっ……なんか後半は私個人に対するただの中傷だったような気がしますが、私は彼女の言うことのに何一つ反論できずに、その場に膝を折ったのでした。