第一章 お久しぶりですコニャニャチワ
マリア・マシュエストの朝は早い。
な~んて、小さな田舎村では日の出と共に目覚めるのは毎日のこと。
朝からきりきりと働かなくてはいけないので、自然と早起きになるのです。
それはもう、子供から年寄りまで同じこと……よほど小さい子でない限り、お手伝いをするのは当たり前。なにしろ水汲みから薪割り、家畜の世話などなどなど、やることはいくらでもあるのですから、
「おや、マリアちゃん今日も早いねえ」
キッチンに入ると、寮のお世話係のケイティ・クロケットさんが既に朝食作りを始めておられました。二〇人もの寮生の朝食と夕食、そして寮の清掃などを一人でこなす、たいそう働き者の中年女性で、とても気のいい方です。
「おはようございます、ケイティさん。野菜の皮むき、手伝いますね」
「毎日悪いねえ。本当は寮の学生さんに手伝ってもらうのは心苦しいんだけど」
と言っても、せっかく早起きしたところで今の私には朝食作りのお手伝いくらいしかすることがないのです。
なぜならここはロートヴァルド王国の王都。
そしてここは「勇者アカデミー」の女子寮なのですから。水くみも薪割りも家畜の世話もする必要がないのです。けれどもどうにも私はすることがないと落ち着かないので、今日もこうしてせっせと芋の皮むきに邁進するのでございます。
「お、おはようございます! すまないマリアどの、また遅れてしまった!!」
と、キッチンに飛び込んできたのは、長い赤毛が美しい長身の少女。
とても凛々しく、お芝居の男役のような方の名はエリザベス。何人もの騎士を輩出した名家の一人娘で、私の大親友でもあります。
ちなみに私と同室のルームメイトでもあるのですが、彼女はまだ寮生活に馴染めていないようです。私は気をつかってまだ就寝中のエリザベスさんを起こさぬよう、そっと部屋を出たのですが、彼女はいつもそれを気に病んで私に合わせて早起きしようとするのです。
「エリザベスさん、まだ寝ていていいんですよ。昨日も剣の指導役、大変だったじゃないですか」
彼女はこの国で初めての女騎士を目指していて、その剣の腕前は男子生徒をも上回るほど。
そのために最近は他の女子生徒に剣の指導もしていて、連日お疲れのはず。ぶっちゃけ、剣も舞踏もテーブルマナーも中途半端な私より、ずっと才能に溢れた方なのです。
「いや、毎朝マリアどのにばかりケイティどのの手伝いをさせていては、友として己が情けない。こ、こちらの芋の皮をむけばいいのだな」
「あぁああ、エリザベスさん、その手つきは危ないですぅう~っ」
女性ながら剣の達人である彼女ですが、そこはやはり貴族の娘。
家事炊事などご自分でなさったことがないので、包丁を持った手つきが果てしなく危なっかしいのです。剣を振るうのと、芋の皮をむくのは、そんなに勝手が違うものなのでしょうか……。
そうこうしているうちにキッチンにはシチューの美味しそうな匂いが漂ってきて、オーブンからも鶏肉の焼ける香りがしてきます。ケイティさんはとても優秀な方で、全ての料理が仕上がる頃にはパンがきっちり焼き上がると言う手際のよさなのです。
「これも毎日マリアちゃんが下ごしらえを手伝ってくれるおかげだよぅ。エ、エリザベスさまもありがとうございます」
「うう、結局芋の一個も満足に剥けなかった……私は食堂に皿などを運ぶとしよう。それとケイティどの、私はあくまでも一寮生、敬語は使わずただエリザベスと」
「は、はぁ……」
がっくりと肩を落とすエリザベスさんを見送ると、私はパンを籠に盛り、食堂に運びます。
そう、私はしがない村長の娘で一般人なのですが、エリザベスさんは貴族のお嬢さま。やはり一般庶民のケイティさんにとっては身分が違うのです。
ですが、この女子寮にいる限り、私もエリザベスさんもアカデミーの一生徒に過ぎません。この寮で共同生活をするにおいては、みな身分の隔たりがないと言う建前なのですが、やはり一般人と貴族の間には溝があるようです。
「マリアさまにエリザベスさま、ごきげんよう」
「ごきげんようマリアさま、エリザベスさま」
「ごきげんようエリザベスさま、わたくしもなにかお手伝いした方がよろしいでしょうか……」
食堂に入ると、素敵なドレスに身を包んだ寮生の方々が三々五々集まって来られます。
それにしても皆さんの物腰の優雅なことには毎度驚かされ、恐縮してしまいます。なにしろ二〇名ほどもいる寮生の全員───私を除く全員が全員とも貴族令嬢なのですから。
なのでもちろん、自分で家事炊事をしたことなどもありません。私とケイティさんがてきぱきを食卓を整えるのを見て、みなさん手伝ってくれようとはしているのですが、ご自分がなにをしてよいのやらわからないご様子。
というかぶっちゃけ……ええ、まことに申し上げにくいのですが、私とケイティさんの二人で準備した方がよほど早いのです。
と、ひときわ優雅な物腰で食堂に来られたのはベルクガンズ王国の三女傑と名高い方々です。
「みなさまごきげんよう。今日もいい朝ですわね」
長身でいつも笑顔を絶やさないのは第一王女のキャサリンさま。
「うむ、今日も騎士目指して鍛錬に励もうではないか」
エリザベスさんに似て凛々しい雰囲気の方が、第二王女のエルデさま。
「マリアちゃん、エリザベスちゃん、ごきげんよぉ~っ」
そして、きゃぴきゃぴしていつも可愛らしいのが、第三王女のミュゼールさまです。
お三人はなんと貴族どころか王族、そして「焔精霊の加護を受けし勇者」、アントニオさまのお姉さま方なのです。
「ご、ごきげ……おはようございます……」
お三人ともとてもお美しくて素敵な方なのですが、三人そろうと妙な迫力があり、私はいつも気圧されてしまいます……。
そう、ここが「勇者アカデミー」の女子寮。
世界を救う勇者である四人の王子さま、その王子さまたちの力となるべく女騎士を目指す女子の、女子だけの寮なのです。そして、貴族令嬢に混じってただ一人の庶民が、私マリア・マシュエスト。
どういうわけだか、五人目の勇者などというものに選ばれてしまった「田舎村の村長の娘」なのです。
この自分の立ち位置、わたしいまだに馴染めません……
※ ※ ※
「そういえばキャサリンさま。アントニオさまがベルクガンズにお帰りになってらっしゃると言うのは本当ですか?」
私の問いに、キャサリンさまは頷きます。
「ええ、アントンだけではなく、ラファエロさまもウィリアムさまも、ご自分の国に一時帰国しているそうですわね」
焔精霊の加護を受けし勇者、アントニオさま。焔の槍ガエンザンを振るい、いつも豪快で力強く、それでいて舞踏にも精通している逞しい方です。
ラファエロさまは水精霊の加護を受けし勇者。水の鞭ネフィリールを振るう優雅な方ですが、ちょっとナルシストかもしれません。
ウィリアムさまは風鳴の弓ラヴァローザを操る風精霊の加護を受けし勇者で、一見無愛想に見えますが、本当はとてもお優しい方。
そして最後の一人……レオナルドさまは聖精霊の加護を受けし勇者で、金髪も美しく、美形で誰にでも優しく、振るう聖宝具───勇者さまたちだけが振るえる聖なる武器───は白銀の聖剣ローディルード。女の子にとってはまさしく「夢の王子さま」のような方です。
最後の一人はこのわたしマリア・マシュエストなのですが……ま、私のこたぁいいじゃあありませんか。そのうちお話しする機会もございましょう。
とにかく彼ら勇者王子さまたちは四つの王国連合の王子さまで、レオナルドさまはこの国、ロートヴァルドの王子さまなのです。
(はて、そういえばレオンさまも最近アカデミーに来ていらっしゃいませんね)
四人はアカデミーの生徒であると同時に王子としての公務もあり、欠席することも少なくありません。
ですが、皆さまこの数週間、出席なされていません。私も女子寮生活になれるのが精一杯で、すっかり失念しておりました。
あぁ、そう言われればレオンさまのお顔が急に見たくなってきました。
あの、いつまでも見飽きないほど整ったお顔立ち、美しい瞳、優しい微笑み……まさにこの世の至宝と申せましょう。しかも、他のどなたにも言っていませんが、私は以前、四人の王子さまたちから、こっ、こ、「告白」なるものをされているのです。
けれど、その直後に「魔王の影」が舞踏会を襲い、なんやかんやでうやむやに。今となっては我ながら、あれは夢か幻だったのではないかと思うほどです。
(だって、いくら私が五人目の勇者だからって、相手は王子さま、こっちはド庶民ですからね……)
はぁ~っとため息をつく私に、ミュゼールさまが興味津々な目を向けてきます。
「なになに、マリアちゃんってばそんなにアントンに会いたいのぉ~?」
「うむ、我が愚弟ながら、女子にそれほど寂しい思いをさせるとは許せん。さっそく早便を出して呼び戻すか」
「ちょちょちょっと待って下さい、ミュゼールさま、エルデさま」
三姉妹の暴走に、私はあわてて待ったをかけました。
「あれえ~っ、マリアちゃんってば、アントンちゃんから確か愛の告白を受けてたんじゃなかったっけ」
ぼぶへあぁああっ。
私は啜ろうとしていたシチューを噴き出し、かろうじて傍らのエリザベスさんがそれを受取って下さいました。
「な、な、なななな」
「いやミュゼール。その表現は正確ではないな。我が愚弟は近々マリアどのに思いのたけを訴える覚悟ができた、と文に書いていただけだ」
「そぉ~なんだぁ、ちょっとがっかり」
いえ、実際に舞踏会でされたんですけどね、告白……あうううう。
と───ここでなにか鋭い視線を感じ、私はハッと振り返ったのです。その方は一瞬だけ私と目があったのですが、すぐに目を反らしてしまわれました。
でも、確かにあれは敵意のこもった視線……しかもそれを感じたのは一度や二度ではないのです。
(しかも視線の主はいつも同じ相手……レ、レミリアさん?)
彼女の名はレミリア・ウォーレット。
中級貴族のご令嬢で、アカデミーでは座学実技ともに優秀な方で、それでいてたいそうな努力家。男子生徒からもエリザベスさんの次に一目置かれるほどの剣の腕前を持った方なのです。
ただ、私は彼女とほとんど会話を交わしたこともなく、いったいどうしてあんな敵意のこもった視線を向けられるのか、その理由がわかりません。いえ、私も勇者アカデミーに入学したての頃は、「五人目の勇者は女であるはずがない」と沢山の方から敵意を向けられたものですが。
(言ってみれば私は敵意を向けられるエキスパート、プロの敵意向けられ屋さん!)
なんですか、それは。
けれど、私とレオナルドさまたちが「魔王の影」と戦い、これを撃退したことで私を勇者ではないと疑う人はいなくなりました。私を勇者ではないと疑い、最も敵視していたあのニールセンとも今は和解しているほどなのですから。
なら、私のような田舎者の、しかも小娘風情が勇者に選ばれたことへの嫉妬───いえ、それはあまりに自意識過剰というもの。言葉を交わしたことこそありませんが、レミリアさんほど優秀な方が、ろくに剣もふるえない私のようなダメダメ勇者に嫉妬などするはずがございません。
「うん、考え過ぎよねきっと……はぁ」
「マリアさん、やはりアントンのことが気がかりなのね!」
「早く早馬の準備を!」
「きゃる~ん、これは一大事だよぉ~っ」
「ちょ、待っ」
ふたたび暴走しかける三姉妹を、必死に止める私でした。