第十二章 大姐御、反撃の狼煙を上げる?
腕に抱きかかえた殿方の重み。
手足にまるで力の入っていないどっちゃりとした重さによろけそうになりつつ、彼を抱きかかえる私の鼻孔を、血の匂い、泥と埃の匂い、そしてそれに混じって品のよい香水のフレグランスがくすぐります。
間違いありません。
彼こそはルヴィナール王国王子殿下にして、水の精霊の加護を受けし勇者が一人、ラファエロさまです。
(でも、いったいどうして!? なぜラファエロさまが山賊に捕らえられているの?)
このとき、アントニオさまとブルーさんはルヴィナールでおおよその事情を聴いていた頃ですが、私はそんなことなど全く知らず、ただ腕の中のナルシス王子に困惑するばかりです。
けれど、いつも一分の隙もなく、余裕たっぷりでキザに振る舞うラファエロさまとは思えないほどのこのお姿。微かに開いた唇からは、本当に耳を澄まさないとわからないほどの浅い呼吸が繰り返されています。けれども弱り切ったその姿からは、精霊の力はおろか、いまにも命の火が消えてもおかしくないほど消耗しきっていたのです。
「ラファエロさま……」
知らず、私の頬を幾筋もの涙が伝い落ちていました。
私を地味だ地味だとからかい、常に小馬鹿にするような態度を取っていても、彼の本質は本当に優しい気配りのできる人だということを、わたしは知っています。
その彼が、ただご自分の失態だけでこんな醜態を晒すはずがございません。
ルヴィナールが何者かの襲撃を受けたことと言い、ラファエロさまはきっとご自分の国を、民を守るためにこんな怪我を負ってしまったに違いありません。でも、どうすればこんなにも傷ついた王子殿下を癒すことができるのでしょう。
「お、おいあんた……だ、大丈夫なのか。地震は収まったみたいだが……」
ただ彼を抱きしめることしかできない私の背に、山賊たちがおそるおそる声をかけてきました。
ここに瀕死の重傷を負った人がいるというのに、なんという言い草なのでしょう。かあっと頭に血が上ると同時に、岩肌に亀裂が走りました。
びきぃいいいいっ。
「ひぃいっ!?」
ラファエロさまの両腕を拘束していた鎖が岩肌から外れ、ごとりと地面に落ちます。
「ま、まさか、あ、あ、あの小娘がやってるのか?」
「なんなんだ、なんなんだこれは?」
「お、俺は逃げるぞ冗談じゃねえ!」
むっかぁああああああああっ。
なんなんでしょう、この人たちは。
こんなひどい怪我を負い、弱っている人を鎖でつないで閉じ込めて。
かくいう私もかつてロードヴァルド王城の地下牢に幽閉された経験がありますが、こんなひどい扱いは受けませんでした。しかもこの様子では、ラファエロさまはろくな手当てもされていないようです。
もしも───もしもこのままラファエロさまが、死─────────
どぐわぁああああああああああんんんんんっっっっっっ。
ラファエロさまを閉じ籠めていた横穴に無数の亀裂が走り、地面から巨大な岩柱が幾本も突き出て岩肌を切り崩していきました。
私たちに降り注がんとする石くれは、すかさず細い石柱が弾き飛ばし、私とラファエロさまだけを避けるように、横穴は完全に崩壊したのです。頭上には晴れ晴れとした青空が広がり、山賊たちはひとり残らず腰が抜けたように地面にはいつくばっていました。
「あなたたち──────」
私の口からこぼれた声は、まるで別人のそれのようでした。
「は、はひっ?」
ぎろりと私に睨まれた、上半身裸の山賊は蛇に睨まれた蛙のようにすくみあがります。
「この方を横たえさせる十分に柔らかい寝床を。飲み水と清潔な布、それからできるだけたくさんのお湯……それとあるだけの薬草を用意しなさい」
並みいる山賊たちを睥睨していくと、なかにあの熊チョッキの男が怯えきった眼で私を見つめていました。
まだ事情を知らない山賊に言うよりは話が早いだろうと、私は彼をじろりとねめつけ、彼をさらに怯えさせます。
「な、なんだってんだ、このこむすめ……」
「ばっ、ばかやろう! いいからあの嬢ちゃんの言うことを聞くんだ!」
熊チョッキ男は山賊の中でもそこそこ顔のきく立場だったようです。
一部に納得しかねる顔の男たちに指示を飛ばし、彼らはラファエロさまを横たえる寝床を粗末な小屋に中に直ちにしつらえました。
「ラファエロさま、お気を確かに」
ベッドに身を横たえたシャンペンブロンドの王子さまは、目を開ける様子もありません。
(呼吸はさっきよりしっかりしている。けど、血のこびりついた服を脱がして体を清めないと)
血の染みからしてどうやら吐血のようですが、体に怪我をしていないとも限りません。私は山賊が用意した木桶に清潔な───山賊の持ち物にしては比較的清潔な───布をお湯に浸すと、ラファエロさまの襟のボタンを外していきました。
(大きな外傷や出血はないみたい。けど、衰弱がひどい)
汗と埃にまみれた王子さまの体を拭き清めると、ラファエロさまが少し身じろぎしました。
眉をひそめ、息をするのも苦しそうです。私は山賊に用意させた井戸水───魔物が毒を流したという川の水は使えません───にハンカチを浸し、それでラファエロさまの唇を湿しまた。
きっと喉が渇いているだろうに、シャンペンブロンドの王子は自分で水を飲むこともできない様子です。あのプライドの高いラファエロさまのこと、こんな姿を見られたくないに違いありません。私は目尻に浮かぶ涙を袖口でぐいとぬぐい木の器の中の冷たい井戸水を口に含みました。
(ラファエロさま、どうかお水をお飲みになって下さい。でないと体力を消耗する一方です)
本当なら体力回復のために、麦粥でも食べてもらった方がいいのでしょうが、食べ物を咀嚼する体力すら残っていないご様子。
私は一瞬の躊躇もなく、美形王子に唇を重ね、舌で唇を割りました。そうして口の中の冷水を彼の口の中に注ぎ込んだのです。
「う……ぅ……っ」
力なく咳き込むラファエロさまに、私は口移しで水を飲ませ続けたのです。
それから私はラファエロさまの体を毛布で包んで温めました。それは酷く粗末な毛布だったけれど、私は自分ごと殿下を抱き包むようにして、衰弱した殿下を支え、自らの体温を分け与えました。
山賊たちはそんな私たちを遠巻きにして見守っていましたが、そのうちに遠くで男たちが騒ぐ声が聞こえてきました。そろそろこんな不愉快な場所はお暇した方がいいかもしれません。けれど、ずた袋に詰め込まれて拉致されてきた私は、どっちに向かえばルヴィナール王国なのか、あるいはエリザベスさんたちの居場所もわかりません。
そのときです。腕の中のラファエロさまがうっすらと目を開けたのです。
「…………マリア……?」
その声はお年寄りもようにしゃがれていて、きっとまだ喉が渇いているのだと思いました。
そとはなんだか騒がしいですが、いまはラファエロ殿下の渇きをいやすことが先決でしょう。私は木の杯の水を含み、再び殿下と唇を重ねました。山賊たちとはまったく違う足音、そして女性の声が近づいていることにも気付かず。
(ラファエロさま、どうか元気になって下さい)
「マ…………マリア、どの……?」
「きゃぁあああ~~~っ、マリアお姉さまっ、そ、その殿方は一体」
……へっ?
「そのシャンペンブロンドの髪に、その美形に長身は、ま、ま、ましゃかマリアさん、あ、あ、あな、あな」
「……穴?」
殿下に水を飲ませることに集中していた私が顔を上げて振り返ると、そこによく見知った顔が三つ、目をまん丸にして私たちを見つめていたのです。
「エリッ、アリ、レミリリリアさんっっ?」
その時になって私はあらためて自分のしていることに気付きました。
美形と名高いルヴィナールの王子さまと毛布にくるまって、唇を重ねている私自身の姿───いえいえこれは疾しいことをしていたわけではなく、衰弱したラファエロさまに水を飲んでいただいていただけでですね、べべべ別に接吻とか口吸いとか、ちちちチッスなんかしていたわけでは~~~~~っっ。
(えっ、えっ、わわわたしってばもしかして殿方と唇を重ねた経験なんてなかったのになかったのに、はっ、初めてが、私の初めてがぁああああああ~~~~~~~~~~~!)
あまりのショックに私は両腕に抱きしめていた王子殿下の体をその場に放り出してしまい───まだ少し意識の朦朧としていた美形王子さまは、石床に仰向けにひっくりかえり「ぶげえ」とらしからぬお間抜けな声を上げたのでした。
※ ※ ※
「ところで、よくこの場所がわかりましたね、皆さん」
意識を取り戻したとはいえ、ラファエロさまはかなり疲労が残っているようです。
ラファエロさまに水を飲ませていたところをもろに見られてしまった私もようやく落ち着き、エリザベスさんにそのことを尋ねました。するとどうしてだかアリスちゃんがえっへんと胸を張るのです。
「えへへ~、私こう見えて鼻がものすごく効くのですよ」
聞けば私の匂いを追って、山賊のねぐらを突き止めたというのです。てか、猟犬じゃあるまいし……けれど、そう言われればアリスちゃん、水出し紅茶のブレンド具合が絶妙だったというのを私は思い出しました。
「アントニオ殿下とブルーに応援を頼むことも考えたのだが、そこにさっきの地鳴りだ、あれはやはりマリアどのの力なのか」
「ええと……ラファエロさまが彼らに囚われているのを知って、ちょっとばかり逆上してしまったとゆーかなんとゆーか」
などと私たちが再会を喜んでいると、いつの間にやら集まった山賊さんたちが、神妙な顔で私たちの前にずらり勢ぞろいしているのです。
「マリア・マシュエスト嬢、いやさ姐御と呼ばせて下せえ!」
あ、姐御!?
しかしお世辞にも清潔な身なりとはいえない野蛮な山賊たちは、真面目腐った顔で深々と頭を下げるです。
「只もんじゃねえとは思っていたが、あんたただの貴族のお嬢さんじゃねえな。どうか、俺たちの姉御になってくだせえ!」
「お願いだ! 仲間が、俺の弟が魔物どもに捕まってるんだ。なんとしても助け出したい」
う~ん、急にそんな調子のいいことを言われても、ラファエロさまをあんなひどい目にあわせた人たちを、そう簡単に信用できるのでしょうか。
とはいえ、私たちもルヴィナール王国に戻ってアントニオさまたちと合流しなくちゃいけないし。
「あんたのさっきの不思議な力に、あのごついあんちゃんがいれば100人力だ!」
「魔物なんかを信用した俺たちが間違ってた! 頼む姐御、俺たちに力を貸してくれ!」
ど、どうしましょうかねえ、エリザベスさん……




