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○前

 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。

一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。

音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。

男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。

力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。 


* * * 


 どれぐらい寝ていたのだろうか。

寝すぎの所為か、ほんの少し痛む頭に顔をしかめつつ目を開けると、心配そうにこちらを見下ろしている男の人と目があった。


「リサッ! 良かった! 目が覚めたんだね!」


 心底ほっとしたという表情で言われた大き目な声が起き抜けの頭に鋭く響いた。


「いった……」


 ガンガンと鳴り響く痛みに、寝すぎとしてもこの痛みは異常じゃないだろうか?

それに、頭痛も問題だけどそれ以上に気になる事がある。


「リサ、大丈夫? 外傷は特になかったけど、もしかしてどこかぶつけた? どこが痛い?」


 気になる事は多々あるけれども、とりあえず。


「頭が……」

「朝方に熱が下がったばかりだから、その所為かもしれないね。痛みが長引くなら念の為にお医者さんの所に行こうか」


 熱か……。なら、この頭痛も納得出来る。全身の倦怠感もそれとなくあるし。


「多分大丈夫」

「そっか。でも、自己判断はよろしくないから、不調を感じたらちゃんと教えてほしい」


 それは勿論、これ以上心配をかけるのも私が望むところではないし。


「今更ながらなんだけど……」

「ん?」

「あなた、誰……?」


 自分で言っておきながらも、この言葉はないなぁと思った。

まずは感謝を述べるのが先だよね。でも、頭が痛くてまともに思考が働いていなかったと弁解させてほしい。

 その後の騒ぎは推して知るべし。

勿論、頭痛が酷くなったのは言うまでもないよね?

自業自得と言えばそうなんだけど……。




「ふぅっ……」

「リサ、何か心配ごと?」


 知らずに漏れていたため息に、食事中だった事を思い出した。

此処で最初に目覚めた日の事を思い出していたなんて、流石に言えない。

別に乏しい事があるとかそういう理由からではなく、なんとなく恥ずかしいから。

そう、ただ、なんとなく恥ずかしいんだよね。何でだろう。


「俺に言えない? 夫婦なんだから一人で抱え込まずに頼ってほしいな」

「え、えっと……」


 眉尻を下げて悲しそうな表情の目の前の男性は、どうやら私の夫らしい。

らしいと言うのは、私が記憶喪失で、此処で目覚める前の事が全く思い出せないからだ。

勿論、目の前の男性──ダナンからの言葉を鵜呑みにしたわけではなく、近所にいる人の証言もあったからなんだけど。

 いや、甲斐甲斐しく看病までしてくれた相手を素直に信じるべきだとは分かっているんだけど、分かっているんだけどね。

 何だろう、なんか胸の奥がモヤモヤするというかなんというか……。

どうやら私は疑り深い性格のようで、目の前の彼の言った事を全て素直に信じる事が出来ないらしい。

なんて面倒くさい性格なんだ。自分の事ながら呆れてしまうわ。

 そんな私の相手をする方も大変だろうと思うんだけど、ダナンは慣れているのか嫌な顔一つする事はなかった。

だから少なくとも、私との付き合いが長い人だと言うのは間違いないと納得出来たのよね。


「ああ、目覚めた時の事を思い出していたんだね」


 そして何故か、私の考えを結構な確率で当てる。

そんなに分かりやすい表情をしているのかと思ってしまうけれど、どうやら慣れでなんとなく分かるらしい。

一体どんな慣れなんだろうか、やはり私はダナンの……。


「記憶喪失というのがどんなに辛い事なのか、なった事がない俺には計り知れないけれど、でも俺たちの絆がなくなったわけではないし、思い出はまたこれから沢山作り上げていけば問題ないから。

 それに何かの拍子に思い出す事もあるだろうし、だから一人で抱え込まずに不安になったらその都度俺に聞いて? ね? 俺の奥さん」


 ふんわりとした微笑みに、ドキンと鼓動が跳ね上がった。

ダナンは美形ではない。

それでもこういった微笑みを見ると何故かドキドキするのは、私がダナンの事を好きだからなのだろうか。

 さして珍しくもないダークブラウンの髪にヘーゼルナッツ色のほんの少し目尻の下がった目、精悍な顔つきとは真逆をいくと言っても過言ではない幼い……優しそうな顔。

かく言う私も特筆すべき特徴のない黒髪の黒目。若干つり目が特徴と言えばそうかもしれない。

ごくごく平凡な顔だ。

 だから、こういう二人が夫婦なのはごく自然な感じがする。

それに、記憶を失っている状況で美形な人が夫と言われてもなんだか緊張するし、不自然な感じがするからやっぱりダナンが夫で正解な気がする。って何考えているだろう、私。

うん、きっとさっきの微笑みにやられたんだ。


「俺の微笑みに見惚れてくれるのは大変嬉しいけど、ご飯食べよ? 折角の温かい料理が冷めちゃうよ」


 だから何で……っ!

いや、抑えよう、ここでそんな事を言えば肯定している事になる。

顔が赤くなっているだろう事は指摘されるまでもなく自分で分かっているから、ここは触れずに食事を再開しよう。


「そ、そうね。折角ダナンが作ってくれたんだもの。冷めないうちに頂くわ」

「うん。沢山食べて。リサの為に愛情沢山詰め込んで作ったけど、不味かったら遠慮無く言ってよ」

「ぐふっ……!」

「ちょっ! リサ大丈夫っ!?」

「だ、大丈夫だから。ただちょっと咳き込んだだけだからっ!」


 な、なんて事言うのよ……。

赤面どころか、甘すぎて胸焼け起こすわよ……。

言っている本人にはその自覚があまり無いようだから、注意しても分かってくれないし。

それにこんな感じの言葉を家の外でも平気で言ってくるから、近所の人には「お熱いのね」なんて生暖かい目で見られるし。

ダナンは全く気にした様子もなくって、私一人だけアタフタして……。

私が恥ずかしがりやっていうわけじゃなく、ダナンに羞恥心がないのがおかしいと思うのよね。

別にね、言われるのが嫌っていうわけじゃないの。それだけ愛情を示してくれるのは本当は嬉しいのよ?

ただ、場所を選んでほしいだけなのよね。

何度それを言っても分かってくれないし……。


「リサ……?」


 心配そうなダナンの声に、考え事に集中しすぎたと気が付いた。


「あっ、ごめんなさい」

「いいよ。リサのそれは癖みたいなものだし、それに慣れているからね」


 そう言ってクスリと笑うダナンに、更に赤面してしまう。

ダナンが慣れてると笑って言えるほど、考え事に没頭していた記憶を失う前の私って一体……。


「さて、まだまだリサと一緒に話しをしていたいけれど、仕事の時間があるからそろそろ出かけるね」

「あっ! ごめんなさい」


 また、思考の海へと旅立ちそうになっていた。危ない、危ない。


「で、何時ものお願いするね?」

「えっ、あ、うん……」


 にこやかに告げるダナンに羞恥の欠片も見れず、逆に恥ずかしがっている私の方がおかしいのかと思ってしまう。

何回やっても慣れないソレは、私にとってはやっぱり恥ずかしいもので……。

もしかしたら、やる方が恥ずかしいのかもしれない。

でも、だからと言ってダナンからしてほしいって言うのもちょっと違うのよね……。


「今日はしてくれないの? もしかして嫌になった?」


 自分の中の葛藤と戦っていたらやけに低い声音が聞こえたので、どうしたのかとダナンへと視線を向けると何故かショボーンと落ち込んだ様相になっていてビックリした。

さっきまでにこやかにしていたのに、この一瞬でそこまで落ち込むなんて何が起きたの!?


「えっと……。どうしたの、ダナン?」


 原因が何か分からないけれど、このままの状態を無視するわけにもいかない。


「どうして……」

「え?」

「どうしてキスしてくれないのっ!」


 すごく恨みがましい声に聞こえるのは何故なのでしょうか。

それに、弁解させてもらうと別にキ、キスをしたくないわけではなく、羞恥心との戦いをしていたわけであって……。


「それを励みに仕事をしているのに……。リサには俺のこの気持ちが分からないんだ……」

「えっ、いや、あの……」

「俺たちは夫婦なのに、キスの一つや二つ一時間おきにしていたって普通なのに」


 いや、それは流石にちょっと……。

夫婦だからという一言で纏めておくにはかなり厳しいと思うんですけれど……。

それはそれとして、私からやらないと現状は解決しそうにもないし、それにお仕事にはちゃんと行ってもらわないと困るし。

恥ずかしいなんてためらっている場合じゃないか……。

 私は内心で大きなため息を吐くと、素早くダナンの右頬にキスをした。


「んっ! メインはこっち。ね?」


 機嫌は回復したけれど、どうやら頬では誤魔化されてくれないようで人差し指で唇を指さす。

だから、なんでそう……。うー……、もういいわっ!

考え込むから羞恥が余計にやってくるんだと強引に自分に言い聞かせて、素早くダナンの唇へとキスをした。

勿論、すぐにダナンの手が届かない場所へと逃れる事は忘れない。

 何せ、腕の中へと囲い込まれると先ほどしたキスよりさらに深くなるから──悲しい事に身をもって学習済みなのです。


「なんで逃げるかな」


 羞恥心を抑え込んで、ご要望の唇へのキスをしたのにどうやらお気に召さない様子。

その理由は分かるけども、敢えて気付かないふりをする。


「何の事? それより時間は大丈夫? お仕事に遅れちゃうんじゃない?」

「段々と対応が上達してきている……」


 なんて小声が聞こえてきたけれども、それも聞こえないふりをする。

 記憶を失って目覚めてから約二ヵ月程経つけれど、このやりとりも慣れてきたなぁと思う。

最初は、記憶のない状態で「夫だよ」と言われて鵜呑みなんか出来ずに、疑っていたのに。

そんな心境でいるのにキスをされて、普通は嫌だと思うはずなのに嫌悪感が全くなくて。

それどころか、ドキドキして嬉しいと思う気持ちがあって……。

本当に夫なのか疑っているのに、それでも羞恥心はあるもののキスをしたりされたりするのは嬉しいと思ってしまう。

矛盾していると自分でも思う。

 でも、好きでもない人と簡単にキスなんて出来る性格ではないと思う。

記憶を失っていても、根本的な所って変わらないとは思うんだよね。

だから、仮にダナンが嘘をついていたとしても記憶を失う前の私はダナンが好きだったんじゃないかと思う。

だってキスをする事に対して嫌悪感どころか、嬉しいと思っているのだから。

でもそんな気持ちがあるのに、素直に夫だと信じきる事が出来ない私はちょっと捻くれてるかもしれない。

いやごめん。ちょっとじゃなく、捻くれてますね……。

 とにかく、思考が脱線したけれでも、こういうやりとりに違和感を抱かないどころか懐かしいと感じるのは、記憶を失う前もきっと同じやり取りをしていたのだろうなって。

記憶はないけれど、身体が覚えているとか、そんな感じ。

だからきっと、抵抗なくダナンにキスが出来るのだと思う。

 なんて、ダナンとキスをする理由を一体誰に言い訳しているのかと思うと、なんだかおかしくって、思わずクスリと笑ってしまった。


「ん? どうしたのリサ? なにか面白い事あった?」


 急に笑った私に、ダナンが首を傾げながら聞いてきたものだから、余計に笑いが込み上げてきてしまった。


「なんでもなーい。さぁ、早くお仕事に行かなくちゃ、遅れちゃうわよ?」

「なんだかよく分からないけれど、俺の奥さんのご機嫌はかなり良いようだね。これならもう一度キスをお願いしたらしてくれるかな?」


 良い事を思いついたというような表情をするものだから、更に笑いが込み上げてきた。


「ええそうね、旦那様。今ならもれなくキスを一つプレゼントするわ」


 少しおどけた様に言って、さっきよりも少し長いキスをした。


「今日はなんて素晴らしい日なんだろう! 気合も十分入った事だし、それじゃあリサ行ってくるね」

「行ってらっしゃい」


 送り出しの挨拶をしたものの、ダナンは相変わらず行く気配を見せない。

これも何時ものパターンだ。


「分かってはいると思うけど、出かけたら暗くなる前には家に戻っている事」

「記憶もまだ戻ってないから、迷子になったら大変だから、でしょ?」


 このやりとりも十回以上はしているものだから、次にダナンが言う言葉も予想が出来た。

そんな私の様子に、ダナンは本当に分かっているのかな? とでも言うように深くため息を吐く。

 思わずムッとしたものの、ダナンと喧嘩がしたいわけじゃないと自分を内心で落ち着かせて、代わりに笑顔を張り付けた。

お仕事に行く前に怒った顔なんか見せられないしね。

ところがダナンは私のそんな努力を、片手で私の両頬を挟む事によって台無しにする。

流石にこの態度には怒ってもいいと思う。


「ちょっとっ!」

「俺の前では作った笑顔なんか必要ないから。まさか、俺が君の偽物の笑顔に気付かないとでも思ったの?」


 ダナンの言葉に、怒気が一気に萎むのが分かった。


「ごめんなさい……」


 私は悪い事をしたとは思ってない。でも、謝らないといけないと思ったのも本当の気持ち。


「大丈夫、気にしてないよ。

 さて、流石に時間だからもう行かないと。それじゃあ行ってくるね」

「行ってらっしゃい」


 ダナンは今度こそ本当に家を出た。

 あー……。何やってるかな、私。

思わず自己嫌悪に陥る。

なるべくダナンに気を遣わせない様にしようと思ったのに……。失敗しちゃったな。

 下手すると延々と自己嫌悪のループに嵌りそうになるのを自分の両頬を叩く事によって、強引に止めた。


「いった……。ちょっと強く叩きすぎたかも……。

 このお詫びに今度こそダナンに美味しいご飯を作るんだからっ! さぁ、そうと決まったら早く買い出しに行かなくちゃっね!

 暗くなる前に帰らないと、今度こそダナンを怒らせてしまうだろうから」


 私は慌ただしく部屋の中へと戻ると、出かける準備をする。

何せ今は冬で、日によっては雪がチラホラと舞い散るのだ。近所の人に言わせると、これでもまだおとなしい冬らしい。

もうあとひと月ほど経つと殆ど吹雪の日が続くそうだ。

 そんなに寒いと外に出る気もなくなってくるな、なんて事を思う。

今ですら寒くて、陽が翳るのが早いくらいなのに……。

 私は風邪をひかない様に厚手の服を着込む。そして手には手袋、首にはマフラー頭には毛糸の帽子という防寒対策。

準備もバッチリ出来たから、私は気合を入れて外に出る。

外に出た瞬間あまりの寒さに、体が震えた。

早くも家に帰りたくなる。

でも、それは出来ない。

今度こそ美味しいご飯を作ってダナンを驚かせてやるんだ。

そう思ったら、寒さもあまり気にならなくなった。

身の内から何か温かいものが出ているような、そんな気さえしてくる。

 寒ささえ気にならなければ、あとは目的を達成する為前進あるのみっ!

 さあ、何を作ろうかな?

出来れば、なるべく私でも作れるぐらい簡単で、且つ美味しそうで、ダナンを驚かせられる料理。

 それは一体どんな料理だろうと考えながら、ダナンが私が作った料理に驚いた様子を想像していると、自然と笑みが浮かできて、私の足はより軽やかになった。

読んでいただき、ありがとうございます。

本当は短編として一気に投稿したかったのですが、バタバタとしておりまして時間が足りず、連載と言う形で投稿させていただきました。

予定では2話で完結です。

1月中には後篇を投稿できるようにしたいと思います。

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