凍てつく彼女に掌を――
俺は、彼女の何に惹かれたんだろう?
彼女の容姿、気品、身に纏っている雰囲気。
それら全てに引寄せられたんだと思う。
でも、それらは核心では無い。
だが、俺は確かに彼女の持つ『何か』を感じ取っていた。
いつもの様に登校。いつもの時間に教室に入り、立花潤一は自分の席に鞄を放る。
ふと隣を向けば、いつも窓の外を眺める彼女。
――腰辺りまであるのに、隅々まで手入れの行き届いた黒い艶やかな髪。日焼けとは無縁の白い肌。凛とした態度。
容姿端麗って言うのは、きっと彼女のような人を指すのだろう。
「おはよう麻賀。今日も天気良いし、楽しい一日になりそうだな」
できる限り自然に、明るく、爽やかに。俺はいつものように笑顔を浮かべる。
だが、隣の席に座る彼女から返ってくるのは――
「――おはよう」
決してこちらに振り返る事無く、窓の外を眺めたまま僅かに呟いただけ。
『他人なんて興味ない』そう言わんばかりの態度。
いつもの事だが、俺はその態度に自然と溜息が漏れてしまう。
麻賀にも聞こえているだろうその溜息。だが、彼女は気にかけるような仕草は無く、視線は一定。こちらを振り返る事は無い。
そんな彼女を見ていると、心が落ち込みやるせない気持ちが沸きあがる。
――彼女に無視されたような疎外感。それから来る悲しみ、寂しさ。だが、彼女に対して「その態度をどうにかしろ!」と怒鳴りつける気は起らなかった。
彼女に好感を覚えるような事はまったく無い。
だが、俺は確かに麻賀に惹かれていた。
――麻賀はいつも何を見ているのだろう。
澄んだ瞳で見つめる先。
俺には『いつもそこにある町並み』にしか見えない。でも、彼女は何かを毎日見つけているのかも知れない――そんな好奇心がいつも俺の中にくすぶっていた。
麻賀流慰が備え持っていた容姿と気品。それらの印象が強く、とても綺麗なお嬢様。そんなイメージを皆に植え付けてこのクラスの一員となった。
しかし、高校を入学してから数ヶ月。彼女はいつも孤立していた。
友人になろうと近づく人。下心丸出しで言い寄る人はまぁさて置き。
彼女は誰も相手にせず、親しい友人も作らず。クラスの喧騒に交わる事無くそこにいた。
だが、麻賀は寂しそうな雰囲気も、周囲を羨む仕草も無かった。
そんな劣情は無いのではないか。そう思わせる程、彼女の存在は気高く、孤高だった。
そんな彼女の為に作られたような場所。クラスの一番後ろの席、窓際。その場所に彼女が居る限り、関われる人は極僅か。関わろうとする人は、ほぼ皆無。
――その『ほぼ』の中に居るのが俺だった。
クラスの皆からは『関わろうとしても無駄』という声が多数寄せられていたが、まぁ気にせず俺は麻賀とコミュニケーションを取ろうと試みた。――というか、試みている。
「そういえば、昨日9時からのドラマ見たか?」
「見てない」
「あのドラマ、良い終わり方だったぞ? 泣ける場面がありながらも、ちゃんとハッピーエンドで終わってくれてさ」
「そう」
「麻賀はドラマとか家で見ないのか?」
「見てない」
……いつもの事ながら、コミュニケーション取れているのか解らない。
こっちが問いを投げかけても、返ってくる言葉は高確率で短文、又は単語。しかも、回答がパターン化されている様な気がするし、もちろん彼女の視線は窓の外。
そんな麻賀に対して自然と肩が落ち、次に出す問いの選択で言葉が詰まる。
一時流れる沈黙――もちろん彼女から沈黙を破ることなんてありえない。
――こういう時は、麻賀でも飛びつきたくなるような話題を触れればいいんだが……
席が隣になって約一ヶ月。その間ずっとこんな感じで対話をしてきた。だが、それは言葉を交わしたというだけ。
結局その会話から彼女の趣味を知る事もできず、共有できる話題もない。
コレじゃダメだと、馬鹿馬鹿しい事を言って気を引こうとしたが、あまりとぼけた事を言うと、麻賀は完全無視モードに切り替わってしまう。
2度3度試した結果、取り付く島がなくなってしまう事が判明したので、もう同じ轍は踏むまい。
「――なぁ、前から聞きたかったんだが、そうやって窓の外ばっか見てるの楽しいか?」
言葉につまり、口から突いて出た言葉。それは麻賀と関わろうと思ったきっかけであった疑問。
だが、その問いに彼女は即答しない。彼女が浮かべるのは考えているのか、聞き流したのか分からない無表情。
一拍置いた後、彼女の口から淡々と紡がれたのは意外な言葉が飛び出す。
「じゃぁ、貴方は私に話しかけていて楽しい?」
問いかけを問いかけで返すなんて珍しい。彼女の事だから、キッパリと「楽しい」とか「つまらない」とか否定肯定するのかと思っていたのに。
麻賀の対応に戸惑いを感じながらも、とある答えが頭に浮かぶ。
この言葉で、彼女の表情が変化するかもしれない。そんな期待からか自分の表情が明らかにニヤつき、心が弾む。
出来るだけ平常心で。何でもない様に。何気なく自然に――
「そうだな、麻賀がこうやって話してくれれば楽しいけど――楽しませてくれるのか?」
麻賀の心内を覗こうと、ついつい恥ずかしい事を言ってしまう。
この一ヶ月間、彼女はほとんど感情を表に出す事をせず過ごしていた。
だから、今日こそ何かしらの表情を引き出せるかもしれないと期待に胸が高鳴る。
――だが、そこで自分の失態に気付き、表情も心も凍りつく。
――って、これで「貴方を楽しませる筋合い無い」みたいな事言われたら終わりだろ!? 俺の完全なミスチョイスだから、頼む! 無視か聞き流してこの話を終わらせてくれ――
ついつい悪戯心が先走りすぎて、彼女の対応まで考えていなかった。
湧き上がるマイナスの思考。何とかしたいが、述べた言葉はもう引っ込みがつかない。つけようがない。
焦りと、この話題を終結させたいという願い。こんな小さな事でも、神頼み。彼女の返答を聞くのが怖いような気がして、反射的に顔を背けて両目をキツく閉じる。
妙な間がそこに生まれ、スルーされたと判断するにはまだ微妙な時間。なんだか心臓が高鳴り、気分は高校、又は大学の合格発表を見に行く受験者のよう。
「――さぁ?」
そんな気持ちを抱いていた俺に送られたのは抑揚なく言い放たれた僅か二言と疑問符のみ。
その言葉に飛びつくように彼女に向き直る。
緊張感丸出しだった俺が理解するのに、たった二言でも時間を要した。
口を半開きにして呆ける俺。その視線の先には、いつもと変わらず外を眺める彼女の姿。
――これって、聞き流された事になったのか?
キッパリと否定する事無い曖昧な返事。彼女の心内を結局覗く事ができなかった。
麻賀が持つ真意を測りかねていると、授業の始まりを告げるチャイムがなる。
室内の喧騒はその鐘の音と共に収まり始め、皆もそれぞれの席へ座り教科書やノートを取り出し始める。
それにならって俺も教科書を取り出そうと机の中をまさぐるが――
ごく自然に。やっちまったよ、おい。ってな雰囲気を醸し出しつつ、
「あっ、悪い麻賀。教科書忘れたから、見せ――」
「持ってきてる」
間髪入れずに突き放される俺。教科書を一緒に見てコミュニケーションをと思っていたが――作戦失敗。
ちぇっと不満を漏らし、俺は口を尖らせながらも、鞄の中からちゃんと持ってきていた教科書を取り出す。
その後も、「ノートが――」「筆箱を――」「消しゴムが――」と立て続けに繰り出しては見たが、全て麻賀の「持ってきてる」の一言で粉砕。――まぁ。毎日のようにこんな事を繰り返しているんだから、ばれるよな。
――だけど、その中でホントに無くなっていたシャーペンの芯だけ、素直にくれたのには驚きだったな。
今日一日の終了を告げるチャイムが鳴る。
クラスの皆は、部活をする者、仲間内で遊びに行く者、教室内で話を続けている者。
それぞれの放課後を充実させようと点々バラバラに行動を開始する。
――そんな中、麻賀だけは取り残されたように窓の外を眺める。
俺はそんな彼女を横目に、のんびりと帰り支度を進める。――ワザと時間を稼ぐように。
時間が経つにつれ残っていた人達は家路に着き、残ったのは俺と麻賀の二人だけ。
日が落ちるのも早くなってきたのか。すでに太陽は空を赤く染め始め、青い空を侵食していく。
「――貴方も結構物好きね」
遠くに部活をしている生徒達の声が聞こえるだけの、喧騒から離れたこの空間。
その静けさの中に溶け込むような呟き。相変わらず感情の篭っていない端的な言葉。
その言葉を受けた俺は、麻賀に視線を向ける。その瞬間、目の前の光景に心打たれて息を呑む。
――オレンジ色に染まる空を背に、いつもの席に腰掛ける麻賀。
驚いた事に、いつも外に向けられていた視線は、ハッキリと俺を見据えて逸らさない。
そして俺の視線も、麻賀の吸い込まれるような漆黒の瞳に釘付けとなって逸らせない。
相変わらずの無表情ではあるが、太陽の暖かい光を浴びてどこか神秘的な雰囲気を纏っているよう。
彼女をいつもと違う角度から見ている為か、今俺が目にしているのは誰かが作った芸術品に見えた。
「――いきなり、どうしたんだ?」
麻賀から話しかけてくるのも、面と向かって話すのも初めてかもしれない。
そんな中改めて彼女の美しさを実感した俺は、言葉を詰まらせ心音が速まる。
「貴方に、一つお願いがあるの」
麻賀から感じる真摯な気持ち。重みのある言葉。いつもと違う雰囲気に戸惑いながらも、俺は小さく頷き、続きを促す。
「……もう、あんまり私に関わらないで欲しい」
彼女の言葉が刃となって胸に突き刺さり、痛みが鼓動と同調して体に広がっていく。
唐突に告げられた俺を拒否する言葉。頭の中では『何故?』と疑問で埋め尽くされる。
だが、俺の喉は詰まってしまい、それを声として吐き出すことが出来ない。口をパクつかせるだけで、何も言えないまま固まってしまう。
それを、『何も言わずに肯定』と彼女は受け取ったのか、手早く身支度を済ませて立ち去ろうと席を立つ。
「――ちょっと待ってくれ!」
『このまま麻賀を行かせてはダメだ』と直感し、俺は咄嗟に彼女の腕を掴み引き留める。
目を見開き、驚いたように振り替える麻賀。この時初めて、無表情以外の顔を見た気がするが、嬉しくもなんともない。
「麻賀……俺、なんか悪い事したか? ――いや、厚かましくてウザかったかも知れないけど……俺と話すの、そんなに嫌だったか?」
麻賀は目を伏せ、静かにかぶりを振る。込み上げてくる感情を抑えるように口を噤み、思いつめた表情で。
「……別に、貴方が悪い訳じゃない。これは私の事情。私がちょっと変だから。――だから、もうあんまり話しかけないで……」
掴んでいた俺の手が、麻賀のもう一方の手によって優しく払われる。
彼女の手を力任せに掴んで引きとめている事はできた。
――でも、そんな事できる訳がなかった。
別れの言葉を言い放つ麻賀の表情。今にも崩れ落ちそうで、今にも泣き出しそうで、今にも感情が壊れてしまいそうで。
そんな彼女の表情を見ては居られなかった。見たくなかった。
麻賀が立ち去り、教室に残ったのは俺一人。
夕焼けに染まっていた空は、もう既に夜の帳を下ろし始めていた。
立ち去ってしまった彼女を思い、教室の出口を見つめる。
そして、湧き上がる自分の無力感と、劣等感。ただそれをぶつける事が出来ず、俺はひたすら強く拳を握ってそれに耐える。
――俺は、いったい何がしたかったんだろう。
麻賀を引き留めて、未練がましく俺の行動を問うて。結局、彼女を悲しませて追い込んだだけ。
結局、俺は本当に見たかった彼女の表情を引き出す事ができなかった。
いつも彼女に浮かべて欲しかったその表情。出来れば、俺に向けて欲しかった彼女の――
――麻賀流慰の、見ることの出来なかった明るい笑顔を。
そんな事のあった翌日。麻賀はいつもの様にその席に座り、窓の外を眺めていた。
ただ呆然と眺めているのではなく、凛とした表情で世界を見渡す彼女。
そこで、改めて気付く。
俺が麻賀に対して関心を持って接触しようが、係わり合いを持とうが、居なくなろうが。彼女にとっての日常は何も変わらない。動じる事はない。
彼女はたとえ一人であったとしても、気高く、孤高な存在。高校に入ってから、誰とも寄り添わず、誰に頼る事無く学校生活を送ってきた強き存在。
――俺なんかじゃ及びもしない存在だって、始めから解っていた。
でも、頭で理解していても心は握りつぶされたように痛み、その現実に打ちひしがれる。
俺が麻賀に関わろうとした時間が無かったことになっている様で。彼女の中から、俺という存在が抹消されているようで嫌だったし、怖かった。
だがそんな思いとは裏腹に、次の日も、その次の日も、そのまた次の日も――
朝の登校時、放課後帰る時。いつも交わしていた挨拶はもうない。特に俺からも、当然麻賀からも話そうとはしない。二人のコミュニケーションは全く無い。
――ただ、席が隣同士になる前の関係に戻っただけ。
……と言うのは俺の体面上だけ。
会話の無かった数日間。麻賀のことが心のどこかに引っかかり、気持ちが落ち着かない。
それは、俺の気持ちを吐き出す前に、麻賀から強制的に関係を断ち切られてしまったからかもしれない。
ハッキリとした理由も言わず、麻賀は強引に関係を断ち切ってしまった。
何故突然あんな事を言ったのか。彼女はどんな気持ちだったのか。彼女は俺のことをどう思っていたのか――
麻賀流慰の事。ただその一つに対して悩み、想像し、過去を振り返ってまた考えた。
――最後に俺の中から生まれた一つの答え。麻賀が起こした不可解な行動。そしてその原動力。
彼女はそれに気付いていないのか、気付いていない振りをしているのか。
そんな答えにたどり着いた時、俺は彼女に引寄せられるようにして声をかけていた。
「――麻賀はいつもそうやってるけど、何を見てるんだ?」
俺に呼ばれた事がそんなに驚きだったのか。
窓の外を見ていた麻賀は背をビクつかせ、勢い良く振り返る。
もう時間は放課後。数日前、彼女に俺との関わり合いを断ち切られた日と同じ時間。同じ夕焼け。同じ状況。
麻賀は俺と交わっていた視線を外して目を伏せる。
「――別に。ただ何となく見てるだけ」
「『ただ何となく』なら、話す時くらい今みたいに向かい合ったほうが良いぞ。そっぽ向いたまま話すってのはやっぱり相手に失礼だろ? クラスの何人かも、それで怒ってたからな」
「……そう」
興味無いと言わんばかりに、また外の景色へ視線を投げる麻賀。
――コレが彼女のスタンス。常にそっぽを向いたまま会話……というか、こちらの問いかけに返答する。
相当くだらない事や馬鹿馬鹿しい事を言わない限り、彼女は律儀に、言葉少なだが返してくれる。
それに彼女は、どんな失言に対しても揚げ足を取ったり、それをタネにして相手を卑下したりはしない。
彼女の感情を引き出そうと、相当恥ずかしい事を言った時。その時も、俺を侮蔑する訳でもなくうやむやにしてくれた。
もし、彼女が『相手を嫌っている』なら、そっぽを向いて会話なんて甘い行動取らないと思う。
そういう相手が居るなら、面と向かってハッキリ『嫌いだから話しかけないで』って言い放 ち、その後は無視って感じ――だと思う、イメージ的に。
「――そう言えば、この間シャーペンの芯くれただろ? 教科書とかノートとかは見せてくれなかったのに、良くそれだけ無いって分かったな?」
突然の話題の変化からか、俺の真意を読み取ったのか。
彼女は表情を固くし、体が僅かに揺れる。
「……それは貴方が嘘をつくのが下手なだけ」
少々間を置いて、少しばかり居心地悪げに呟く麻賀。
まぁ、『私に関わらないで』と突き放した相手からコレだけバシバシ話かけられたら、居心地も悪くなる。
――そう。シャーペンの芯をやり取りした後、その言葉によって俺は突き放された。まずそこが分からない。
絶縁を突きつけようとする相手に、そんな優しい態度を取るだろうか? ハッキリとした物言いをする彼女の事だから、きっとそんな事は無いと思う。
そして、今の状況もオカシイ。ハッキリ言って変。
普通、ハッキリと拒絶した俺の話しになんて付き合わない。俺だったら無視するか、立ち去るかだと思う。
それらの矛盾が、俺の心に引っかかった。
引っかかった物を取り上げ、噛み砕いて、俺の都合の良い様に解釈して。そして、出てきた答え。
――一瞬、彼女にその答えをぶつけようか戸惑い、口ごもる。
だけど、心に湧き上がった彼女と関わり合いたいという願い。その願いを実現させる為に、言わなくちゃいけない。
答えが間違えて居たら、きっと彼女に嫌われる。
でも、このまま麻賀と無関係になってしまうのなら、このわだかまりを全部吐き出して終わった方が良い。
自分勝手な考えだけど、そう思い込んでしまったから、もう止まらない――
俺は息を呑み、静まり返った教室でそっとその答えを紡ぎだす。
「なぁ麻賀。――お前ホントは寂しかったんじゃないか?」
本当に都合の良い、俺だけの為にあるような解釈。
彼女に断ち切られた関係を繋ぎ直そうと必死になって、未練がましく考えて、作り上げた答え。それなのに――
麻賀の無表情に固められた顔が歪む。
引き結ばれていた唇は何かを伝えたそうに開き、瞳はにじみ出てくる物をこらえるように何度も何度も瞬く。
律儀にも膝の上に置かれていた彼女の手は堪える様に硬く握られ、小刻みに震える。
「――私はっ……そんな事、思ってない」
搾り出された声は裏返り、動揺を隠し切れずに言葉が詰まってしまう。
そして、勢い良く立ち上がり、彼女の口から激しい怒号の雨が降り注ぐ。
「私は、寂しいなんて思ってない! 皆を羨んでも居ない! 私は一人で平気なの!」
言葉に詰まったのを隠したかったのか。それとも、彼女の感情が爆発してしまったのか。
麻賀は長い髪を振り乱しながら、俺の言葉を激しく否定。だが、一度あふれ出してしまった感情は、そんな言葉じゃ抑えられない。
「皆に話しかけられなくたって、関わり合いが無くたって、私は気にならない。なにも感じない!」
表情と言動が噛みあわない。誰にでも分かる幼稚な嘘。
「だって私はそうじゃないとダメなの! 感情を殺さないと、生きていけないの!」
――だけど、麻賀はそのあからさまな嘘に頼らないと生きていけなかったのかもしれない。
堪え切れなかった涙を流し、叫び続けた為か肩で息をする麻賀。俺はというと、彼女が吐き出した気持ちに動揺して呆然としてしまう。
彼女が抱えていた大きな悩み――『感情を殺さないと生きていけない』
予想外な彼女の思いに打ちひしがれる一方、その言葉で彼女の『矛盾した行動』に説明が付いた。
人に無関心を装っていつもそっぽを向いていたのも。麻賀から人に近づこうとせず、いつも教室の隅で座っていたのも。俺との関係を突然切ってしまったのも――感情が生まれる原因を潰そうとしていた。
「麻賀は感情を殺したいのかもしれないが、そんな事は無理だろう?」
麻賀の激情とは対照的に、俺は自然と落ち着いていた。――心の中は、彼女を諭すように。傷つけないように。温かく包み込むように。
止め処なく涙を流す彼女。それを堪えるように食いしばられる歯。だが、しゃくりあげる声はいくら口を引き結んでも漏れてしまう。
感情を殺そうとしても、無理だった麻賀。
そう、彼女は決して気高くも、孤高でもなかったのだ。
感情を殺そうと必死になって強がって、誰の手も借りず、誰にも頼ろうとはせず、誰にも干渉しない事で無心を保とうとしていた。
だが、彼女の考えとは裏腹に、心がそのプレッシャーに耐え切れなかった。
――だって彼女の本心は、いつも人を求めていたのだから――
人を避けようとそっぽを向いても、会話という人との関わりを蔑ろにしなかった。
俺がついた嘘と、本当を見分けられる程に、彼女は人を良く見ていた。
そして、今――「関わらないで」と決別しながらも、心は必死に繋がりを求めている。俺にはそう思えた。
だが、彼女はそんな心の悲鳴を聞きたくないとばかりに髪を振り乱す。
「でも、それでも! 私の周りには敵ばっかりだから。だから、傷つけられても平気なように、なにも感じないように。そうやって心を殺さなきゃいけないのよ――」
生み出されていた激情が全て吐き出されたのか。麻賀は肩を落とし、意気消沈したように力なく椅子に腰を落とす。
麻賀をそこまで追い詰める状況――先日別れ際に行った『私の事情』――が絡んでいるんだと思う。
でも、その事は今回置いておこう。
「ハッキリ言って、俺は麻賀の私生活について何も知らない。だからお前の周りに敵が多いって言うのを否定できない――」
俺の言葉に耐え切れなかったのか、目を伏せてしまう麻賀。
――あぁ、もう、そんな事言いたかったんじゃなく!
俺は内心言葉の選択ミスをした事に強く後悔したが、前の言葉を吹き飛ばすように声を張り上げる。
「だけどだ! ここには、このクラスには麻賀が思っている敵なんて居ない。だから、感情を殺さなくてもお前はちゃんと生きていける。今までの行動を気に食わないって思ってる奴は居ると思うが、素直に謝れば皆許してくれるだろ。――うちのクラスは能天気で良い奴ばっかりだからな」
「……でも私、ここで感情を出しちゃったら、他で潰れちゃうかもしれない」
俺の言葉に警戒してはいるが、心は意外と素直なのかもしれない。――それとも、何かの言葉に縋らないといけないほど心が潰れかけていたのか。
渋りながらも乗り気になりかけている麻賀。彼女が抱いている不安を取り払って、良い方向へ心を向けさせようと、必死になって言葉を探す。
「だから学校って場所を、潰れかけた心を休める場所って考えろ。ここで友達でも、恋人でもなんでも見つけてゆっくり休め。それで、他で潰れない様、負けない様にすれば良い」
なんにしても、感情を出す事を前提とし始めている麻賀。きっと、もう後一押しなのかも知れない。
「でも私には、心を休める場所も、友達も、恋人も、居ない――よ?」
彼女の瞳は赤く充血してはいたが、涙はもう浮かんでいない。不安げに上目遣いで見上げる彼女。
何かを期待するような、何かを求めるような。初めて聞く、麻賀の甘えるような声。
ここ数日、なりを潜めていた感情が顔を出す。
――この感情があったから、きっと麻賀に突き放されても諦めなかったんだと思う。ここまで来れたんだと思う。一歩踏み間違えると危険な感情。だけど、俺にとっては大切な感情。
その感情に任せて、俺は答える。麻賀にとってそれは十分な答えになるかどうかは分からない。
「……なら、俺が麻賀の友達第一号だ。だから、もうそっぽ向いて話すなよ?」
恥ずかしさ余って、頬に熱が篭るのが自分でも感じる。
それが彼女に伝染してしまったのか、麻賀も頬を染めて息を呑む。
だが、それもほんの一瞬。すぐに頬は緩み詰まっていた言葉も――
「――うん。よろしくね、潤一!」
初めて呼んでくれた俺の名前。それはとても嬉しかった。
でも、それ以上に嬉しかったのは――
もう、空は完全にオレンジ色に侵食されている。
その温かみのある光に包まれた、初めて見せる麻賀の笑顔――
それは、太陽の光に負けず劣らず、明るく温かい。
そんな麻賀の笑顔に呼応して俺の中で顔を出していた感情がざわめき出す。
その感情の名前は――きっと好奇心だろう。
言い切れるのは、この感情が『麻賀への愛』では無いということ。
だって、俺は彼女の事を何も知らない。今回はただ俺の理想を押し付けたら、彼女も同意してくれたってだけ。
――でも、麻賀の抱える悩みを知り、打ち解け、共有する時を多く持つ事ができたら、好奇心は何か他の感情に変わるのかもしれない。
今はまだこの感情がどうなるのか、彼女と関わる事で何が変わってしまうのか。何がどうなってしまうのか全くわからない。
でも、もう彼女との学校生活はスタートしてしまっている。
なら、その『わからない出来事』の多くを楽しい事に作りかえようじゃないか。
俺はこれから始まる彼女との友人関係に僅かな期待を胸に秘め、飛び切りの笑顔で彼女を迎え入れてあげる。
「――あぁ、今日からヨロシクな。流慰――」
このサイトに載せる第三作目です。文章構成が上達してきていたらなぁ〜と思いますが……
『語彙が少ない』、『ベターな展開』この二つの言葉が悩みの種なんですが、コレを乗り越えて次作に励むので、ヨロシクおねがいします。
――まぁ、そんなにうまくいかないのが世の常ってことで。