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はしれポンコツくるま

作者: Blood orange

ここは、暗い倉庫の中。

むかしここで、車が作られていたことを知る人なんていないだろう。

高度経済成長と言われた時代を作った車が、この暗い倉庫の中でひっそりと眠っていた。


ある日、1人のおじいさんがぼくを見つけてくれた。

ぼくの名前はSA型。

ぼくがうまれたのは、1947年。

まだ日本では、戦争のがれきの中からはい上がろうと、みんなでがんばっていた時代だ。

この時代の道路には、コンクリートもアスファルトもなかった。道路も空襲くうしゅうや火事でボロボロだったからだ。

まだまだ、土の道路があちらこちらにあった時代だ。

だから、道路はいつでもでこぼこだらけだった。雨がふれば、水たまりができる。それを小さな子供達がカサで突いたり、長靴で入ったりして遊んでいたんだ。

むかしは、車もそんなに通ってなかった。

車を持っている人は、お金持ちだけだった。だからみんな仕事や学校に行く時は、歩きか自転車で通っていたんだ。

車を持つなんて、夢のまた夢という時代だった。


そんな時に、僕はある人の落書きから生まれたんだ。

その落書きを見た工場のお偉いさん達が、この車を作ってみようと言う事になった。

せまい日本の道路を走るために、小さな車を!トラックじゃなくて家族みんなを乗せる車を作ろう!

みんなが買える車を作ろう!


彼らの夢をのせた車がようやく形になって、この世に出て来たのは1947年だった。

この車の名前はSA型と呼ばれたんだ。

車体の色は七色。まん丸いヘッドライト、シートはヴェージュ系の明るい色で、カーラジオも着いて来た。

この時のカーラジオは、真空管ラジオといって大きなラジオがダッシュボードいっぱいに取り付けられたんだ。

車の中でラジオを聞けるなんて、当時の日本ではそんなになかったから、みんなは驚いていたんだ。

本当は、エアコンもつけようと話になったけど、それを付けるには、ぼくの車は小さすぎてムリだった。

こうしてぼくたちSA型と呼ばれる車は、お店に並んだ。

だけど、普通の人達にとってまだ車は、手の届かない物だったんだ。

ぼく達SA型は、1952年まで細々と作られた。

今では、ぼくらSA型の姿をもう街で見る事はない。

だって、ぼくらはたったの200台しか作られなかったからだ。

ぼくも、他の仲間達と同じ様にスクラップされて、鉄くずになっちゃうんだと思っていた。


だけど、ぼくはもう走れない。

だってぼくの部品を作ってくれた人も、ぼくを直してくれた人もみんないなくなってしまった。

ぼくは独りぼっち。

ぼくが生まれた工場もつぶれてしまった。

あんなにいた人達も、もういない。



そんなある日、ぼくを探しに来たおじさんが、ホコリまみれのぼくを見て、飛び上がって喜んでいた。

だけど、ぼくはもう走れないよ。

タイヤだってもうないんだよ。

ぼくがそう言うと、おじさんは笑ってる。

「大丈夫だよ。君はもう道路を走る事は出来なくても、博物館の中でみんなが来るのを待ってられるだろ?」


そして、現在 ぼくは車の博物館の中で今日も子供達が来るのを待っている。

ぼくには、真新しいタイヤがつけられた。だけど、もう道路は走らないよ。


今日も、小さな子供達がこの車の博物館にやってくる。

ぼくは子供達の夢の中で走るんだ。


実際にある車を元に書きました。

この車が製造された事でのちの車業界に布石を置くことになります。


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