機械人形の心は揺れ動く─人間嫌いの技師と、週に一度の採掘師─
フィーロはこの世に二つと存在しない、機械人形の技師である。
精巧な磁器の人形を作り、内部に顔や身体を動かす回路を組み立てる。
ヴェロニカは元々、採掘師として名を知られた行商人だった。しかし機械人形の動力となる血晶石を採ってこれる人間として、今はフィーロが専属で雇っている。
彼女は三日かけて移動して山を登り、一日鉱山に籠もって採掘する。そして三日かけて街へ降りてくる。
二人は、フィーロが技師として貴族達のお抱えになってから二年間その生活を続けていた。
しかし人間嫌いで屋敷に籠もっているフィーロと、雇い主にあまり興味のないヴェロニカは接点のないまま今に至っていた。
「確かに受け取りました」
「じゃあ、また一週間後にね。先生」
「ありがとうございました」
血晶石を確認して、報酬を渡す。
いつも一言二言挨拶を交わすだけの会話。
お互いそのままで一向に構わず、心地良さすら感じていた。
ある日のことだった。
「はい、今回の分」
「ありがとうございます。報酬です」
フィーロは何気なく彼女の手元に目を向けて、視線を流しかけてもう一度見やる。
銀貨の入った袋を受け取る彼女の二の腕に血が滲んでいる。
フィーロは指摘するか躊躇したが、意を決して恐る恐る指差す。
「あの…」
「ん?」
「そこ、怪我してますよ…」
「え?…あぁ、本当だ」
ヴェロニカは気づいていなかったようで、腕を見て僅かに目を見開いていた。しかし何事も無かったように視線を戻す。
痛くないのだろうか。それとも旅人はみな、痛みに無頓着なのだろうか。
彼女は何食わぬ顔で怪我した腕を軽く上げた。
「じゃ、また一週間後に」
「待って下さい!薬があるので…も、持ってきます」
去ろうとした彼女を引き止めたのは、フィーロの几帳面さによるものだった。
怪我に気付いていながら、手当てをしなそうな彼女を放っておくのが許せなかっただけだ。
急いで薬箱を手にして戻ると、ヴェロニカは出窓に腰掛けていた。片膝を曲げて、膝の上で頬杖を付いている。
特別に所作が美しいとは思わないが、その佇まいが妙に絵になっていた。
彼女らしい。そう表現する他なかった。
「お待たせしました」
フィーロは薬箱を開けて、軟膏とガーゼを取り出す。
「塗って下さい。上にこれ貼りますから」
くすりと笑う声がして、フィーロは訝しげに顔を上げる。
「何ですか」
「いや…家から出ないのに、ちゃんと薬とかあるんだなと」
フィーロは眉を顰めた。
「馬鹿にしてます?」
「ふふ…他意はないよ」
その日以来、二人は少しだけ会話を交わすようになる。
初対面でも話すような、他愛もない言葉ばかりだった。
それも一週間に一度だけ。
しかし、ほとんど人に会わないフィーロにとっては大きな変化だった。
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「悪い、今回はあまり採れなかった」
「どうしたんですか?」
「鉱山の近くに狼の群れが来ていて。あんまり長居出来なかった」
フィーロは不安そうに視線を彷徨わせる。
「それは…大丈夫だったんですか?」
「木の上でテントを張る魔導具があってね。まぁいつも使ってるんだけど」
彼の様子をよそに、ヴェロニカは何でもないように答える。
フィーロは目を丸くしていた。
「…どうやって木に登るんですか?」
「ロープと鉤爪って知ってる?」
子供に質問するような口調に、フィーロは目を丸くした。
そして露骨に視線を反らして溜息を吐く。
「あはは、怒らないで」
ヴェロニカは可笑しそうに笑ってフィーロの背中を叩いた。
フィーロは慌てて飛び退く。
「きゅ…急に触らないで下さい!」
「え?あぁ…悪い」
彼女は肩で息をしているフィーロを見てもけろっとしていた。
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「先生って、髪切らないの?」
肩下まで伸びて、後ろで一つにまとめているフィーロの黒髪を指す。
「切りますよ。年に一度、理髪師に来てもらってます」
ヴェロニカは笑いながら自分の髪をいじる。
「いいなぁ。私もお抱えの散髪師がいたらこんなことにならないのに」
癖のある赤毛は邪魔にならないように上で一つにまとめられているが、彼女もサロンまで足を運ぶのは面倒な性分なのだろう。
「でも…そんなに人嫌いでよく人形を売れるね?」
「それも専属の人間が持っていくので」
「貴族のお抱えなんて、なりたくてもなれるものじゃないのに」
ヴェロニカはふと思い出し、髪を指で弾く。
「この間、新聞の記事を見たよ。十九歳で王立魔導協会から表彰された天才なんだってね。史上最年少!って大きく見出しが書いてあってさ」
「はぁ…そうみたいですね」
フィーロの気のない返事にヴェロニカは肩を竦める。
「折角なんだから、権威を味わったら?案外楽しいかも」
「貴女なら、貴族しかいないパーティに呼ばれて喜んで行きます?」
「行かない」
「僕もです」
二人は視線を交わした。
少し沈黙が落ちる。
「…そういえば、貴女っておいくつなんですか?」
「んー、先生の五つ上だね」
「……なるほど」
フィーロは何かを言い淀み、難しい顔をして頷いていた。ヴェロニカは意地の悪い笑みを浮かべて睨む。
「納得したな?」
「いえ、あの…意外だと言うのも、わかりますと言うのも失礼な気がして…」
「なら最初から聞かなきゃいいのに」
けらけらとヴェロニカは笑った。
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「やぁ、先生」
「…お疲れ様です」
ヴェロニカが扉を開けると、フィーロの隣に優美な貴婦人が立っていた。
磁器の艶めく肌をした機械人形は、調整中で俯いているためにどこか物憂げに見える。
鞄から出した血晶石を渡すと、ヴェロニカは間近でしげしげと人形を見つめた。
「これ、完成品?」
「ええ。あとは貴女が持ってきた心臓を埋めたら完成です」
「埋め込むところ、見てもいい?」
返事を聞く前にヴェロニカは手近な椅子に腰掛けて、フィーロの手元を注視している。
フィーロは何も言わずに彼女に背を向けると、血晶石を台に乗せて特殊な楔に金槌を打ち付けた。
石が綺麗に二つに割れる。
フィーロは人形の背中を開くと、割った血晶石の片割れを金具に嵌め込んだ。
「心臓なのに背中なんだ」
「胸元に蓋があると美観を損ねるので」
「そんなもんかぁ」
フィーロは無表情のまま、人形の滑らかな肌に触れて位置を調整する。
「…機械人形は色々な用途がありますから」
「ふーん?」
ヴェロニカは人形の美しい胸元を見た。
着せられたドレスは人間用の物だ。鮮やかな赤いドレスに金色のリボンとパールがあしらわれている。
「このドレスだけで銀貨何枚分なんだろう」
「まぁ…あなたの一往復分くらいですかね」
「うぇ」
ヴェロニカの口から漏れた声に、フィーロは少し笑う。
「人形がその20倍くらいしますから」
「へぇ…貴族に相応しいご令嬢だね」
蓋を閉じ、ドレスの背中のボタンを留めるとフィーロは正面に回った。
先程割った血晶石のもう片方を翳して命令する。
「歌え」
人形は瞼を動かしてゆっくりと瞬きをした。僅かに開いた唇から歌を歌い始める。
笛の音をガラスで反響させたような、鳥の長鳴きのような、不思議な音色だった。
「すごいなぁ」
ヴェロニカは感嘆の声を上げて拍手した。
「血晶石の片割れがあるから命令を聞くんだ」
「引き合う性質があるんです。これはブローチに加工して、持ち主が命令する時に身につけます」
彼女は、分かったような分かっていないような顔で頷く。
「これは確かに、貴族も古いだけの骨董を集めるより夢中になるだろうね」
「そう思いますか?」
「うん、すごいよ。あんた天才なんだね」
素直に頷いたヴェロニカに、フィーロは咳払いして顔を余所に向けた。
「そんなの、周りが勝手に言ってるだけです」
ヴェロニカは少しむっとして語気を強くする。
「違うよ。私が、今、あんたを見て天才だと思ったの」
彼女は大股でフィーロが顔を背けている方に回り込んでじっと目を合わせた。
「分かる?」
好奇心と活力に溢れた瞳は、フィーロにとっては昼間の直射日光のようだ。
「分かりました。分かりましたから…離れて下さい」
宥めるように手のひらを向けて目をそらすフィーロに、ヴェロニカは満足そうに目を細めた。
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「東通りの串焼き屋台、行ったことある?美味しいからいつもそこに寄ってから来るんだ」
「僕が、あると思いますか?」
「くく…あるかもしれないでしょ。私が知らないだけで、串にかぶりついてる可能性だって」
血晶石を確認する作業の手を止めずにフィーロは答える。
「僕は意外性の無い男なんです」
ヴェロニカはきょとんとした後、大きな声で笑った。
「今度買ってきてあげようか?」
「結構です」
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ある日差しの強い日。
アトリエの窓から差し込む光は、カーテン越しにも温度が伝わってくるようだった。
「ふぅ…」
息を吐いて上着をぱたぱたと仰ぐヴェロニカにフィーロが声をかける。
「外は暑いみたいですね」
「ここはいつ来ても涼しいから助かるよ」
「磁器と塗料が劣化しないように、一定の室温になる魔導具を壁に埋め込んでいるので」
それを聞いてヴェロニカはきょろきょろと部屋を見回す。
アトリエの漆喰の壁にはカーテンと燭台があるだけだ。燭台の下に埋め込まれた魔導石を見つけると、ヴェロニカは首を伸ばして覗き込む。
「すごいな、お金持ちの御屋敷にしか無いやつだ。冬は寒くないの?」
「さぁ…僕は体温が低いみたいで」
ヴェロニカはフィーロの手を握る。
「本当だ、冷たい」
「なっ…」
慌てて手を引くと、勢い余って後ろに尻もちをつく。
「何を…するんですか!」
「はは、まだ慣れないの?」
床の上で狼狽するフィーロを、ヴェロニカは笑いながら見下ろしている。
「純粋だね、先生は。あんなに色っぽい人形を作ってるのに」
彼女はそう言ってから、自分の言葉を確かめるように首を傾げる。
「逆か?女を知らないから、人形でも人間でもない顔になるのか」
よろよろと立ち上がりながらフィーロは彼女に目を向ける。
「それは、どういう…?」
「美しいだけでもないし、かと言って明確な感情があるようにも見えない。多分、そこが心を奪うんだ」
ヴェロニカは顎に手を当てて、作りかけの人形の顔をじっと見つめている。
「見る人間が、自分に都合の良いように見えるようになってる。絵でも、彫刻でも、色気ってのはよく分かんないから滲むものなんだろ。あんた、ここまで計算したの?」
「…いいえ」
フィーロもヴェロニカの視線の先にある人形に顔を向けた。
柔らかそうな頬のふくらみ、形の良い鼻、閉じている目に落ちる長い睫毛。
「人形の美しさって、生きている人間には無いものなんですか?」
「んー…理想ってあるじゃん。でも、人間はそんな都合良く作られてない。外も中もね」
ヴェロニカは何かを面白がるように人形を眺めている。
「先生の人形って、理想に近いけどちょっと違う気もする。だからいいんじゃないかな」
フィーロはゆっくりと人形からヴェロニカに視線を移した。
白磁とは全く違う、日焼けした肌と小鼻に浮いたそばかす。しかし生命力に溢れた瞳には、その色合いがよく似合って見えた。
「貴女は、僕の作品をそんなふうに見ていたんですか」
「芸術なんて分かんないけどさ。私は好きだよ、先生の人形」
その瞳がフィーロを捉える。
目が合った瞬間に、目元が柔らかくなったのが分かった。
「あんたがすごいから、私もこの仕事を誇らしいと思える」
フィーロは心臓が大きく脈打つのを感じた。
血が巡った首筋が熱い。
「……そうですか」
今までに感じたことのない何かが、彼の中に生まれていた。
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その一週間後。
外は激しい雨が降っていた。ヴェロニカはフードを目深に被り、灰色の街を駆け抜ける。
足に跳ねる雨水がブーツを黒く染める。
フィーロの屋敷に辿り着くと、軒下で濡れた外套を剥ぎ取った。
「…これ持って入ったら怒るか」
彼が遠慮がちに苦言を呈するのを想像して、口の端に笑みを浮かべる。
マナー違反ではあるが玄関の柵に引っ掛けて乾かすことにした。
鞄の蓋を少しだけ開けて中を覗く。幾重にも布で巻いた血晶石は無事なようだ。
「今日は串焼き屋には行けないなぁ…」
黒い雲を見上げてぼやくと、真鍮製の打ち金を握って2回ドアをノックする。
扉の向こうは静かなままだった。
ヴェロニカはもう2回ノックする。
「先生ー?」
ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
濡れたブーツを脱ぎ、靴下も脱いでブーツの中に突っ込む。血晶石を包んでいる布を一枚取り出して手脚を拭くと、ようやく床に足跡が付かなくなった。
これもマナー違反だが裸足のまま大理石の廊下を歩き、2階のアトリエへ向かう。
フィーロが製作に夢中になる余り、アトリエの外の音が聞こえなくなるのは時折あることだった。
「先生、いる?」
ドアノブをそっと捻る。
ヴェロニカはその異様な光景に息を呑んだ。
ランプが消えたアトリエにはいくつも作られた人形の上半身が転がり、床には破れた製図と零れたインクが飛び散っている。
その中心で、フィーロが顔を覆って座り込んでいた。
シャツについたインクは乾ききっている。いつからそうしているのか、ヴェロニカには分からなかった。
「先生」
その声を聞いた瞬間、フィーロの目が彼女を見据える。
薄暗い中で目が光っている。
雨が窓を叩いている音だけが響く。
「大丈夫か…?」
部屋へ踏み入ろうとしたヴェロニカに、フィーロは鋭い声を上げた。
「君のせいだ!!」
彼女は反射的に止まる。
足先がひやりとした。
冷たい床から伝ってくるフィーロの声は、怒りと恨みが籠もっていた。
「こっちへ来るな。もう僕に話しかけないでくれ。作れないんだ。人形の顔が…何度やってもだめなんだ。もう僕はおしまいだ。君のせいだ」
フィーロの頬には涙が伝っていた。
ヴェロニカはテーブルに据えられていた人形を、暗い中で目を凝らして見ようとした。
「顔…?」
そして眉を顰める。
一歩踏み出し、転がっている他の人形の顔も一つ一つ確認する。
どれも、同じ顔をしていた。
アーモンド型の瞳に小さな鼻、緩く笑みを浮かべた薄い唇。
「これは…私か?」
「君ではない」
フィーロの否定は、自らに言い聞かせるような言葉だった。
「どうしてこうなるのか分からない。こんなの、僕の作品じゃない。君のせいだ。今までどうやって作っていたのか、思い出せないんだ…」
ヴェロニカは俯いたフィーロの頭を見ていた。
そして一歩、ニ歩と裸足のまま汚れたアトリエに入っていく。
座り込んだままのフィーロに近寄って膝を折ると、彼はびくっと身体を震わせて後ろに引く。
「来るな…」
怯えた顔がヴェロニカの瞳に映っている。
「馬鹿だなぁ、先生」
ヴェロニカは軽く笑って、フィーロの頬の涙を親指で拭った。
「初めてあんたを見る人間に出会ったから、理想の顔を忘れちゃっただけだよ」
ヴェロニカを見上げて戸惑うフィーロの頬に、彼女はそっと口付けした。
「…っ!!」
フィーロは身じろぎして離れると、顔を真っ赤にしてヴェロニカを見つめている。
けれど罵倒することも、逃げることもしない。
そんな彼を見てヴェロニカは揶揄うように首を傾げた。
「私のこと、知りたいんだろう?そうすれば、すぐに人形のことも思い出せる」
「え…?」
「人間の欲求なんてそんなものなんだよ。大丈夫、あんたは何も失くしてないよ」
ヴェロニカの唇が弧を描く。フィーロは呆然とその唇を見つめていた。
彼女のことを、初めて妖艶だと思った。
ヴェロニカはそっと腕を取ると、フィーロを触れ合いそうな距離まで引き寄せる。
「私にも教えてくれる?全然知らないからさ、先生のこと」
「僕のこと?どう、やって…」
彼女の言葉を待つように見上げるフィーロに、ヴェロニカは喉の奥から笑いを漏らす。
「…ちょっと先生は、可愛すぎるね」
「うるさいぞ、ヴェロニカ」
ヴェロニカはそれを聞いても機嫌を損ねるどころか、嬉しそうに笑った。
「私の名前、知ってたんだ」
「雇い主だぞ。君こそ、僕の名前を知っているのか」
フィーロが一瞬、不安気な顔をしたが彼女は余裕たっぷりに頷く。
「フィーロでしょ、覚えてるよ」
「じゃあ、どうしてそう呼ばない」
ヴェロニカはきょとんとした後、肩を揺らして笑う。
「くく…じゃあこれからはフィーロって呼ぶ。それでいい?」
「…許す」
「我儘な先生だね」
彼を見て頬を緩ませるヴェロニカを、フィーロは眩しそうに見つめる。
鞄に仕舞われた人形の心臓が、僅かに光をたたえていた。




