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エリート魔導師の絶望と、息をするように奇跡を紡ぐ青年


魔導都市『ルミナス』へ向かう荒野の旅は、過酷なものになるはずだった。


しかし、現実はエリスの予想を(いつも通り)大きく裏切っていた。


「アッシュ……足が痛い。おんぶして」

「はいはい。じゃあ、背中に乗って。落っこちないようにね」

「えへへー、アッシュの背中あったかい」


太陽が照りつける灰色の荒野のど真ん中で、アッシュは人間の姿になった白竜リリィを背負い、さらに街の人々から持たされた大量の食料が入った大袋を抱えながら、涼しい顔で歩いている。


汗一つかいていないし、息も乱れていない。大地から湧き上がる微かな風が彼の体を包み込み、重力や疲労を肩代わりしているからだ。


「……あの、アッシュ殿。少しは荷物を持ちますよ? いくらなんでもリリィ殿を背負いながらでは……」


「大丈夫だよ、エリス。リリィは羽みたいに軽いし、風が背中を押してくれてるから。エリスこそ、重い鎧を着てて疲れてない?」


「私はこれでも聖堂騎士ですから。……ですが、本当にあなたという人は」


常識外れの体力を前に、エリスがため息をつこうとした、その時だった。


ドゴォォォォォンッ!!

前方の荒野から、大地を揺るがすような爆発音が響き渡った。


「なっ……戦闘ですか!?」


エリスが咄嗟に剣の柄に手をかけると、数十メートル先の土煙の中から、激しい炎の柱が吹き上がるのが見えた。


そして、その炎を取り囲むようにして、お揃いの豪奢なローブを纏った十数人の男女が、杖を掲げて必死に呪文を詠唱していた。


「あいつら、ルミナスの魔導院の人間だわ」


アッシュの背中で、リリィが鼻をひくつかせて言った。


「魔法の匂いがする。でも、すごく焦ってて、不味い匂い」


エリスも目を凝らす。彼らが取り囲んでいるのは、全身から赤黒い瘴気を噴き出す、巨大な四つ足の獣だった。


炎をまとった獅子の体に、毒蛇の尾。


「あれは……炎の精霊が穢れに取り込まれた魔獣、『キマイラ』! なぜあんな上位の精霊がこんなところに!」


「下がれ! 陣形を崩すな!!」


魔導師たちの先頭で指揮を執る、金髪の若い魔導師が悲痛な声を上げた。


彼の胸には、ルミナス魔導院のエリートであることを示す銀の勲章が輝いている。彼らは辺境の穢れを浄化するために派遣された討伐部隊だった。


「第三小隊、氷結結界を展開! 絶対にここを通すな、防衛線を破られれば魔導都市に被害が及ぶぞ!!」


「は、はいっ! 『大いなる氷の精霊よ、我が魔力を糧とし、絶対零度の檻を――』」


魔導師たちが一斉に複雑な呪文を唱え、巨大な魔法陣が宙に浮かび上がる。


何重にも展開された分厚い氷の壁がキマイラを囲い込んだ。エリート魔導師十数人がかりの大魔術。並の魔物なら、一瞬で芯まで凍りつくはずの絶対零度だ。


だが。


『ガァァァァァァァァッ!!』


キマイラが苦痛と怒りに満ちた咆哮を上げた瞬間、赤黒い炎が爆発的に膨れ上がり、分厚い氷の壁をあっさりと水蒸気に変えてしまった。


「なっ……バカな!? 我々の最高位階魔術が、たった一撃で……!」


金髪のエリート魔導師が、絶望に顔を歪ませて尻餅をついた。


穢れの瘴気によって狂乱した上位精霊の力は、人間の浅知恵で編み出された魔法などでは到底抑えきれない次元に達していたのだ。


キマイラの赤黒い瞳が、尻餅をついた金髪の魔導師を捉える。


巨大な炎の爪が振り上げられた。魔導師たちは死を覚悟し、目を閉じた。


「あーあ。そんなに冷たいものをぶつけたら、びっくりして余計に怒っちゃうよ」


絶望の戦場に、間の抜けた、ひどく平和な声が響き渡った。


金髪の魔導師が恐る恐る目を開けると、自分の目の前に、麻の服を着たみすぼらしい青年が立っていた。しかも、背中に銀髪の少女をおぶったままである。


「き、貴様!? どこから……いや、早く逃げろ! そいつは穢れに侵食された上位の精霊だ、素人が近づいていい相手じゃ……!」


「うるさいなぁ。アッシュに指図しないでよ、下等生物」


「ひっ!?」


背中の少女がギロリと睨みつけただけで、エリート魔導師は蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまった。


「こらリリィ、口が悪いよ。……ごめんね、ちょっと通るよ」


アッシュは腰を抜かしている魔導師たちをひょいひょいと躱し、怒り狂って炎を撒き散らすキマイラの真正面へと歩み出た。


「バカな、死ぬ気か!?」


魔導師たちが悲鳴を上げる中、アッシュは振り下ろされる炎の爪を避けることもなく、ただまっすぐにキマイラの目を見つめた。


「痛かったね。熱かったね。……もう、無理して燃えなくていいんだよ」


アッシュがすっと手を伸ばし、キマイラの炎に包まれた鼻先にそっと触れる。


その瞬間。


大気を震わせていたキマイラの狂暴な炎が、まるで嘘のようにピタリと止まった。


「――っ!?」

魔導師たちは己の目を疑った。


複雑な呪文も、魔法陣も、魔力の波動すら一切ない。


ただ、青年が触れて言葉をかけただけで、燃え盛っていた赤黒い瘴気が、春の雪解けのようにスゥッと消え去っていったのだ。


『……ルゥゥ……』


狂乱していたキマイラは、子猫のように甘えた声を出してアッシュの手に頬ずりをした。


そして、その巨大な体は眩い光に包まれ――次の瞬間には、手のひらサイズの可愛らしい火の鳥へと姿を変えていた。


火の鳥はアッシュの指先にちょこんと止まり、チュンチュンと嬉しそうに鳴いている。


「うん、元の姿に戻れてよかった。気をつけて帰るんだよ」


アッシュが指を空に向けると、火の鳥は美しい軌跡を描いて、空の彼方へと飛んでいった。

後に残されたのは、浄化された清らかな空気と、唖然として固まるエリート魔導師たち。


「……は?」


金髪の魔導師の口から、間抜けな音が漏れた。

「な、なにを……貴様、一体何をした!? 我々ルミナス魔導院の精鋭が束になっても敵わなかった大災厄を、無詠唱で……いや、魔法陣すら……!?」


パニックになり、震える指でアッシュを指差す魔導師たち。


アッシュはきょとんと首を傾げた。


「何って、熱が出ちゃってたみたいだから、少し冷ましてあげただけだけど? 君たちのお水(氷結魔法)、すごく冷たくて綺麗だったから、もったいないことしちゃったね」


「なっ……!?」


自分たちの決死の最高位階魔術が、ただの『綺麗なお水』扱い。


悪気など一切ない、純度百パーセントの善意からの言葉だからこそ、彼らのエリートとしてのプライドは粉々に打ち砕かれた。


「ふふんっ。アッシュの凄さがわかった? あんたたちみたいな石ころが束になっても、アッシュの足元にも及ばないんだから!」


背中でリリィが勝ち誇ったように胸を張る。


そこへ、遅れて駆けつけてきたエリスが、深く深い絶望のため息をつきながら歩み寄ってきた。


「……アッシュ殿。少し目を離した隙に、また世界の常識を破壊するのはやめていただけませんか」


「えっ? 僕、何か悪いことした?」


「いえ、誰も死ななくて本当によかったと、心から大精霊様に感謝しているところです……」


胃の辺りを押さえる美しい姫騎士と、背中でドヤ顔を決める伝説の白竜、そして全てを無自覚に解決してしまった灰色の青年。


ルミナス魔導院のエリートたちは、規格外すぎる三人の旅人を前に、ただ言葉を失い、地面にへたり込むことしかできなかった。

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