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竜のやきもちと、騒がしい旅の始まり



翌朝。エリスが宿屋の一室で目を覚ますと、隣のベッドから信じられない光景が目に飛び込んできた。


灰色の髪の青年――アッシュの胸元に、純白のワンピースを着た銀髪の少女が、まるで木に登るコアラのようにしがみついてスゥスゥと寝息を立てていたのだ。


「……っ!? あ、アッシュ殿! なぜ未婚の男女が同じベッドで……!」


エリスが顔を真っ赤にして叫ぶと、アッシュは目をこすりながらのんびりと身を起こした。胸に張り付いた少女――人間の姿になった伝説の白竜リリィは、アッシュの動きに合わせてズルズルと引きずり上げられているが、絶対に離れようとしない。


「おはようエリス。いやぁ、リリィがどうしても一緒に寝るって聞かなくてさ。昔から寂しがり屋なんだよね」


「昔からって……相手は人間の姿をしているのですよ!? 少しは貞操観念というものをですね!」


「ふにゃ……アッシュぅ、うるさいメスバエが飛んでる……燃やしていい……?」


「こらこら、エリスは大事なお友達なんだから駄目だよ」


寝ぼけ眼で物騒なことを呟き、小さな口からチロチロと白い炎を吐き出すリリィの頭を、アッシュは優しく撫でた。撫でられたリリィは「えへへ」とだらしなく頬を緩め、再びアッシュの首元に顔を埋める。


伝説の白竜が、ただの甘えん坊の子供になり下がっている。


エリスは深いため息をつき、乱れた金髪をかき上げた。昨日、この街の枯れ井戸を間欠泉に変えただけでも大騒ぎだったのに、神話の竜までパーティに加わってしまった。この先、自分の胃は果たして保つだろうか。


「ほらリリィ、起きて。街の人たちが朝ごはんを用意してくれたみたいだから、下に行こう」


アッシュに促され、三人は宿の食堂へと降りた。


テーブルには、昨日アッシュが浄化した水で淹れた温かいスープと、ふっくらと焼き上がったパン、そして色鮮やかな野菜のサラダが並べられていた。昨日まで泥水と腐りかけの干し肉しかなかった街とは到底思えない。


「さあ、リリィもちゃんと野菜を食べるんだよ」

「えー、お肉がいい。竜は草なんて食べないもん」


リリィがぷいっとそっぽを向くと、アッシュは困ったように眉を下げた。


「でも、森のみんながリリィは最近野菜不足だって心配してたよ? ほら、あーん」


「……アッシュが食べさせてくれるなら、食べる」


アッシュがフォークで刺した野菜を口元に運ぶと、リリィは顔を真っ赤にしながらパクッとそれに食いついた。そして、チラリとエリスの方を見て、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべる。


『どう? アッシュは私のこと一番可愛がってるのよ』と言わんばかりのドヤ顔だ。


「……あのですね、リリィ殿」


エリスは耐えかねて、静かにフォークを置いた。


「あなたは仮にも神話に名を残す気高き白竜。そのような、人間の子供のような振る舞いは……」


「はぁ? なに説教してんの、人間のくせに」


リリィの瞳が、ふいに縦に割れた竜のそれへと変化した。周囲の空気がビリッと凍りつき、圧倒的なプレッシャーが食堂を満たす。宿屋の主人がヒィッと悲鳴を上げて厨房の奥へ隠れてしまった。


「私はアッシュの竜なの。アッシュ以外の人間なんて、みーんな私のブレスで消し炭にしてやってもいいんだから。あんたも、あんまりアッシュに気安く近づいたら……」


「リリィ。こら」


ピシャリと。

アッシュの静かな、けれど有無を言わさぬ声が響いた。


途端に、リリィの肩がビクッと跳ねる。


「僕の前で、そんな怖い顔しちゃ駄目だ。エリスは僕を外の世界に連れ出してくれた恩人で、大切な仲間だよ。仲良くできないなら、森に帰すよ?」


「あっ、あ……ご、ごめんなさい……っ! 帰さないで、アッシュ、ごめんなさいぃ……!」


先ほどの威圧感はどこへやら、リリィはポロポロと大粒の涙をこぼし、アッシュの袖を必死に掴んで首を横に振った。アッシュはため息をつき、再びその銀髪を撫でる。


エリスは呆然としていた。


自分のような人間など虫ケラのように見下す絶対的な強者が、アッシュの一言で泣いて謝っている。強さの次元が違いすぎるのだ。


「ごめんねエリス。リリィはちょっと人間が苦手でさ。昔、ひどい目に遭ったことがあるから」


「……いえ、私も少し言い過ぎました。これからよろしくお願いします、リリィ殿」


「……ふんっ。アッシュが言うから、仕方なくよ」

リリィはそっぽを向きながらも、渋々といった様子で頷いた。


こうして、神を語る青年、生贄の姫騎士、そして人嫌いの白竜という、世界を揺るがしかねない規格外のパーティが結成されたのである。


朝食を終えた三人が街の門へ向かうと、そこには街中の人々が集まっていた。


「御遣い様! 本当に、本当に行ってしまわれるのですか!?」


「どうか、せめてもう少しこの街に留まって……!」


「アッシュおにいちゃん、ばいばい! お水、ありがとね!」


昨日助けた少女が大きく手を振っている。アッシュも笑顔で手を振り返した。


「うん、バイバイ! みんなも元気でね! お水、大切に使うんだよ!」


「あぁっ……御遣い様に大精霊の御加護があらんことを!」


街の長をはじめ、数百人の人々が一斉にその場にひざまずき、深く頭を垂れる。


「だから、大精霊の御加護も何も、僕ただの人間なんだけどなぁ……」


「……もう諦めなさい、アッシュ殿。彼らにとってあなたは、文字通り救世主なのですから」


首を傾げるアッシュの背中を押し、エリスは街を後にした。


足元には、すっかり懐いて人間の姿のままアッシュの手を握る白竜。


振り返れば、土下座をして見送る街の人々。

前を見れば、世界を蝕む『穢れ』に覆われた果てしない荒野。


「さて、エリス。次はどこへ行こうか?」


「そうですね……まずは、この『穢れ』について詳しい情報を集める必要があります。ここから北へ十日ほど歩いたところに、知識人が集まる魔導都市『ルミナス』があります。そこへ向かいましょう」


「うん、分かった! 行こう、リリィ!」

「えへへ、アッシュと一緒ならどこでも行くー!」


呑気な二人を見つめながら、エリスは静かに天を仰いだ。


(……どうか神よ。せめて次の街が、これ以上彼によって常識を破壊されませんように)


そんな彼女のささやかな祈りが、見事に打ち砕かれる運命にあることを、エリスはまだ知らない。

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