天才魔導師の散らかった部屋と、地下に蠢く黒い太陽
「さあさあ師匠! どうぞこちらへ! むさ苦しいところですが、お気になさらず!」
魔導都市の最高権威たるシルヴィ・フォン・アークライトの執務室は、文字通りの『惨状』だった。
足の踏み場もないほど散乱した羊皮紙、飲みかけで干からびた謎の薬液、謎の幾何学模様が壁一面に書き殴られた黒板。
「うわぁ……」
エリスが思わず顔を引き攣らせる中、アッシュは「紙がいっぱいだね」とのんきに言いながら、積まれた本の山をひょいひょいと避けて部屋の奥へ進む。
「こら、ボサボサ女! アッシュの服が汚れるじゃない!」
「ひぃっ、申し訳ありません師匠の従魔様! すぐに片付けますから燃やさないでください!」
シルヴィが涙目で散らかった書類を脇に蹴り飛ばし、かろうじて座れるソファを確保する。
先ほどまでの威厳はどこへやら。天才魔導師はアッシュを上座に座らせると、自分はその足元の床に正座して、キラキラとした尊敬の眼差しを向けていた。
「それで、師匠! 先ほどの『命令を省いて概念で精霊に語りかける』という理論ですが、あれはどのような術式展開で……」
「あの、シルヴィ殿」
興奮気味に身を乗り出すシルヴィを、エリスが冷ややかな声で遮った。
いくら残念なボサボサ頭とはいえ、相手はこの魔導都市の最高権威だ。これ以上アッシュのペースに巻き込まれる前に、本来の目的を果たさなければならない。
「私たちは魔導の講義をしに来たわけではありません。この都市で起きている『異変』について、院長であるあなたに問いただしたいことがあるのです」
エリスは革袋から、街の広場でアッシュが斬り裂いた『魔獣の鋼鉄首輪』を取り出し、ドンッと机の上に置いた。
「……っ!」
それを見た瞬間、シルヴィの目の色が変わった。
狂信的な研究者の目から、人類最高峰の魔導師としての、冷徹で知的な目へ。
「これは……精霊の魔力を強制的に吸い上げ、反転させて『穢れ』を生成する禁忌の術式。こんなおぞましい魔導具、一体どこで?」
「つい先ほど、この都市の広場です。暴走した荷運びの魔獣につけられていました」
シルヴィが首輪を手に取り、裏側に刻まれた『黒い太陽』の紋章を鋭く睨みつける。
「……私のいる街で、こんな真似をしている連中がいるなんて」
「セフィラ殿、お願いできますか?」
エリスが促すと、傍らに立っていたセフィラが、覆いのない瑠璃色の妖精眼で部屋の床……否、魔導院のさらに深き『地下』を見つめた。
「はい。……シルヴィさん、信じられないかもしれませんが、この首輪と同じ、とても冷たくて濁った魔力の渦が、この建物のずっと下から感じられます。無数の精霊たちが、そこで泣き叫んでいます」
セフィラの言葉に、シルヴィはギリッと奥歯を噛み締めた。
「……地下の封鎖区画ね。旧時代の危険な魔導書や、呪われた武具を厳重に保管しているエリアよ」
「院長であるあなたが、そこでの異変に気づかなかったのですか?」
エリスの鋭い追及に、シルヴィは気まずそうに目を逸らした。
「そ、それは……ここ三ヶ月ほど、あの『千年の大魔導式』を解くのに夢中で、部屋から一歩も出ていなかったから……。実務や地下の管理は、副院長のバルバスに丸投げしていて……」
「それでも院長ですか」
「うぅっ、反論できない……!」
エリスの冷酷なツッコミに、シルヴィは涙目でうなだれた。
だが、すぐに顔を上げ、その瞳に強い怒りの炎を宿した。
「でも、見過ごすわけにはいかないわ! 私の愛する魔導院の地下で、精霊を虐待して『穢れ』を生み出しているなんて! そんなの、魔導への最大の冒涜よ!」
シルヴィが勢いよく立ち上がる。
魔力が周囲に満ち、ボサボサだった彼女の金髪が、静電気を帯びたように美しくふわりと舞い上がった。普段は残念でも、彼女が『七天の聖座』にも迫ると言われる天才魔導師であることは間違いない。
「師匠! いいえ、アッシュ様! あなたの目的も、その地下にあると見ました。どうか私に同行させてください! 案内なら任せてください!」
「うん、いいよ。風や土のみんなが苦しんでるなら、助けに行かなくちゃ」
アッシュはゆっくりと立ち上がり、いつものようにふんわりと微笑んだ。
だが、セフィラの妖精眼にははっきりと見えていた。アッシュの周囲を舞う精霊たちが、地下の悪意に対して、かつてないほど静かな『怒り』を湛えて震えているのを。
「よし、決まりね! エリスちゃんにリリィちゃん、セフィラちゃんも、私の後ろについてきて! 地下封鎖区画への隠し通路は、この部屋の本棚の裏に……」
シルヴィが意気揚々と本棚の仕掛けを動かそうとした、その時だった。
――ズドォォォォォンッ!!!
突然、床の下から突き上げるような激しい爆発音が響き、執務室全体が大きく揺れた。
本棚が倒れ、積まれた書類が宙を舞う。
「きゃあっ!?」
「な、何事ですか!?」
エリスが咄嗟に剣を抜き、シルヴィが体勢を立て直す。
床の揺れは収まらない。いや、地下から『何か』がすさまじい勢いで上層部へと突き進んでくる震動だ。
『緊急事態! 緊急事態! 地下封鎖区画より、超高濃度の『穢れ』を持った大型生体が上昇中! 結界、突破されました!』
廊下に設置された魔導通信機から、悲鳴のような報告が響き渡る。
シルヴィが杖を構え、迎撃の魔力陣を空中に展開した。
「アッシュ殿、リリィ殿! 私の後ろへ!」
エリスが騎士の盾となるべく前に出る。
直後。
執務室の分厚い大理石の床が、内側から爆発するように粉砕された。
「ギガァァァァァァァッ!!」
巻き上がる瓦礫と土煙の中から姿を現したのは、全身を禍々しい魔導機巧の鎧で覆われ、赤黒い瘴気を噴き出す巨大な多頭の蛇――『穢れのヒュドラ』だった。
その複数の首には、広場で見たのと同じ鋼鉄の首輪が食い込み、無理やり狂乱状態にさせられている。
「なんておぞましい姿……! 精霊の成れの果てを機械で改造するなんて!」
シルヴィが怒りに顔を歪め、杖を振り下ろす。
「吹き飛べ! 『極大雷華』!!」
天才魔導師が放つ、空間そのものを焦がすような極太の雷の槍。
それはヒュドラの頭の一つに直撃し、強烈な閃光と共に大爆発を起こした。
「やったか!?」
だが、煙が晴れた後。
雷を浴びたヒュドラの頭は、一瞬で傷を再生させ、逆に雷の魔力を吸い取って赤黒い瘴気をさらに膨れ上がらせていた。
「嘘……私の最高位魔術を、吸収して再生した!?」
「シルヴィ殿、下がって! あれはもう生物ではありません、魔力を喰らう兵器です!」
ヒュドラの複数の頭が、鎌首をもたげ、エリスとシルヴィに向かって殺意を向ける。
絶体絶命の窮地。
しかし、その場にいる一人の青年だけは、全く別の感情でその怪物を見上げていた。
「……ひどいね」
静かな、本当に静かな声だった。
アッシュは、瓦礫を踏み越え、前に出たエリスの肩をそっと優しく押し退けて、ヒュドラの真正面へと歩み出た。
「こんなに痛いものをたくさん埋め込まれて。……誰だい、君たちをこんなに泣かせたのは」
アッシュの灰色の瞳が、これまでにないほど冷たく、そして深く沈んでいた。
それは、純粋な大自然の愛し子が見せた、初めての明確な『怒り』だった。
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