2 邂逅
降下するキナの目に映ったアスランは、結晶の牢獄の中、闇色の蜘蛛の巣に囚われていた。
床へと降り立ったキナが駆け寄る。
ねっとりと満ちる闇色に、解けた翅がキラキラと尾を引いた。
「アスラン!アスラン!!アスラン!!!」
結晶の壁をガンガンと拳で叩く。
耳で白がチリリと鳴いた。
キナはハッと手を止め、一度息を深く吸う。
そして結晶の間を探ろうとその魔力糸を伸ばしかけた
瞬間。
ぞわり、と背筋が粟立った。
「どうやって、ここまで来たの?」
無邪気な声が響いた。
キナは怖気立つ背中と耳に届くその声に、
眉を顰めながら振り返る。
視線の先には誰もいない。
つんつんと背中を突かれ視線を落とす。
そこには、一人の少年が笑っていた。
キナは驚きに固まった。
「でもね?来てくれて嬉しいよ、お姉さん。
僕と遊んでくれる?」
少年は、ゆる、と首を傾げて問う。
キナは、キッと闇色を見返した。
「なぜ、あの人を攫ったの?」
少年は、闇色の睫毛を伏せた。
「だって、寂しかったんだ……」
「え……?」
夜色が揺れる。
「だってさ……お姉さんが壊しちゃったでしょう?
『ミハイ』を。」
キナは息を呑み、闇色を見つめた。
「ミハイはね、僕のたった一人の『腹心』だったんだよ。だから僕もう、ひとりぼっちなんだ。かわいそうでしょう?」
少年は言葉を切って、一足踏み出した。
キナは一足、後ずさる。
「だからね?僕にちょうだい?
お姉さんの『腹心』を、代わりにちょうだい?」
少年はにこにこと笑いながら距離を詰める。
キナは知らず後ずさり、結晶の壁に背をつけた。
「お兄さんのお日様の色と青空の色。キラキラしてて
綺麗だよねぇ。」
闇色の少年はこてん、と首を傾げた。
そして、両手を後ろで組む。
「……僕、お日様が見れないの。
でもお兄さんがいれば、僕、僕だけのお日様を手に
入れられるんだよ!僕、とっても強くなれるよ!」
キナは呆然と首を振る。
少年はもう一歩を踏み出すと
覗き込むようにキナを見上げる。
キナは視線から逃れるように顔を背ける。
(……白、黒のところへ。アスランを守って。)
念じると白珠は、夜色の髪の帳の影で、そっと耳朶を
離れる。そしてその背に身を隠し、己の片割れの元へ
と飛んで行った。
「お姉さん、そんなに嫌わないで?」
哀しげな声が響く。
「お姉さんがミハイ壊しちゃったのがいけないんだよ?
『腹心』いっつもすぐ壊れちゃうんだ。
『ずっとお傍に』って言うくせにね?
お姉さんの『腹心』は、大丈夫かなぁ?」
少年がひょい、と身体を傾げて、
キナ越しにアスランへ視線を送ろうとした。
咄嗟にキナの身体から魔力が爆ぜた。
バチン!と音がして、少年が床へ転がる。
キナは思わず駆け寄りそうになるのを堪え
少年がアスランに背を向けるように対峙した。
アスランへと視線を走らせる。
白と黒はお互いを引き合い、くるり、くるり、と円を
描いていた。その中心は、アスランだ。
白と黒が巡る軌跡に不可視の糸が紡がれる。
その糸が触れたところから蜘蛛の糸が解けているのを
見て取った時、啜り泣きが響いた。
「ひ、ひどいや、お姉さん……」
キナがギョッとして目をやると、片膝を抱えて蹲る
細い肩が揺れていた。
「お膝、すりむいちゃったよ……どうして僕をいじめるの……?」
「え…… だって……その……」
「僕のこと、そんなに嫌いなの……?」
闇色に縁取られた顔が哀しげに憂いを帯びる。
細い白い首がことりと傾げられ、
涙をいっぱいに湛えた闇色が、震える唇と共に
キナへと向けられた。
「……だって……だって、あなたが……」
闇色は、ただ幼くキナを見つめる。
キナの瞳が揺れる。
思わず一歩、踏み出しかけた時、
双珠がチリチリと鳴いた。
その微かな音は、ここには届かない。
「痛いよぅ、お姉さん……」
少年が唇を戦慄かせ、ホロリと涙を落とした。
「……!……ご、ごめんね?ごめん……!」
キナは思わず駆け寄り、膝をつく。
少年に手を伸ばしたその時
にぃ、とその唇が吊り上がった。
「……ねぇ?お姉さんが僕のモノになってくれる?
そしたら、お兄さんは諦めてあげるかもね?」
笑みを深めた赤い目が光った。
ぞわりと背筋を這い上る冷たさに、
キナは本能で跳ぼうとする。
が、幼い肢体からぶわりと溢れた闇色が
キナをその場に絡め取った。
「うふ。ごめんね?お姉さん。」
闇色の声がくすくすと響いて遠のく。
(バカバカバカバカ!!!)
キナは己を呪いながら、薄れて行く視界にアスランを
映す。
——アスランは、今や蜘蛛の糸から解き放たれ、
白と黒の不可視の繭に守られている。
キナは、安堵の息と共に掠れた声で呟いた。
「……夜天の魔女が希う……
月光よ
境界を我が背子とし
不可侵を完成させよ……
【フィニス……ディアナエ……(月女神の境界)】」
アスランを月色の半球が覆った。
闇色が、チィっ!と舌を打つ。
キナは暗闇に落ちる刹那
白珠の光を見た。




