2 魔力回路
首を屈めて入口をくぐるアスランの後を、キナは背筋を伸ばして続いた。
「יהי אור」
アスランが口にすると、塔の内側の壁に仄かな灯りがともった。
(また、知らない言葉だ……)
問たキナの視線が、アスランに届く前に止まる。
そこには銀色の、もう一つの塔が聳え立っていた。
「塔の中の塔……」
「ああ、こちらが結界柱の本体だ。これから魔力回路のどの部分に不具合が生じているかを調べる。
……やってみるか?弟子よ。」
「……はい、師匠。」
キナはこくりと息を呑んだ。
銀色の柱に近づき、ぐるりと一周する。
そして上を見上げ、唱えた。
「月夢揚羽(蝶の羽ばたき)」
背中から、キナの魔力を透かした様な青く光る一対の
翅が生まれる。
それをはためかせ、キナはふわりと飛び立った。
塔の周りを螺旋状に飛翔して、キナは戻ってくる。
「君…… それは必要なのか?」
「全体像を把握するのは必要かと。」
アスランはこめかみに指を当てる。
「……その翅だ。なくても飛べるだろう。」
「なくても飛べます。」
即答に、アスランは頭痛を堪える様に眉根を寄せた。
キナはその顔を目にして内心ほくそ笑む。
が、何食わぬ顔をして翅をしまい込み、悠然と柱に
手を当てた。
「【センサス・アクティウス(能動探知)】」
唱えた瞬間、ピリッとした抵抗を感じ、キナは瞬時に
術をキャンセルする。
首を捻るキナを、アスランは何も言わずに見守る。
やがて、一つ頷いたキナが再び柱に手を当て目を閉じる。しばしの後に目を開け、「ルクス」と唱えた途端、銀色の柱全体に、青く輝く魔力回路が浮かび上がった。
銀色の柱に緻密に組まれた回路が青く光る様は、
まるで人智を超えた何かが創造した紋様のようだった。
息を呑んだキナが「美しい……」と呟く前に、
「ほぅ」と漏れたアスランの低い声が聞こえる。
キナは意識を引き戻し、緩みそうな頬に鞭打って、
努めて平坦な声を出す。
「この回路を私は知らないので、全体を探って違和感のある場所を特定しようと思いました。
探知魔法は抵抗を感じたので、純粋な魔力を流し込んで可視化させています。
正面、中ほどの位置に引っ掛かりがあります。」
アスランは、ふむ、と頷き
「そうか。私の魔力は弾かれないから忘れていた。
悪くない判断だ。」
そして翅なしでふわりと浮かび、キナの指摘した箇所を目視する。
キナの隣へ降り立つと
「君が指摘した箇所につまりがあった。
滞った魔力が溢れて勝手に幾つか迂回路を作っている。
修復して全体を調整する必要があるな。
キナ、ルクスはそのまま保持しておけ」
言うと、アスランは柱に当てたキナの手に
己の手を重ねた。
キナは驚きに肩が跳ねそうになるのをぐっと堪える。
アスランはそのまま、キナの流した魔力の中に細く細く、自分の魔力を通していった。
青い光の中、髪の一筋ほどの金色が、柱に枝を伸ばしていく。
自分の魔力の中をアスランの魔力が探るように進んでいくことに、なんとも言えないむず痒さを感じる。
キナは誤魔化すように口を開く。
「……魔力同士が『仲良し』なのって、便利ですね?」
「ん?ああ……反発しないのは便利だな。
しかし仲が良すぎて私の耳飾りまでが
魔力の区別をつけられないのは困りものだ。」
小さく笑みを含んだアスランの声が耳をくすぐる。
「今更私に、認識阻害、必要です?」
キナが返すと、アスランは今度こそ明確に、
くつくつと肩を揺らした。
そのままアスランが無言になる。
重なった手に僅かに力がこもり、キナはアスランが
集中していることに気づく。
キナも倣って呼吸を整えるうちに、手の温もりは離れていった。
「良いだろう。魔力を戻して良いぞ。」
アスランの声に夢から醒めたようにキナは目をパチパチと瞬く。
塔は光を失い、元の銀色へと戻った。
薄明かりの塔から外に出ると、日差しはもう真上から降り注いでいた。
キナはもう一度、パチパチと瞬きをする。
それでもどこか、まだ現実に戻り切っていないような、不思議な心地がする。
「さて、仕上げだ。」
アスランの声に、まだやる事があるのか、とキナが振り向いた。
「洗うぞ。」
「洗う。」
キナの鸚鵡返しにアスランは頷く。
「さあ、掃除の時間だ、弟子よ。」
キナは自分の鼻を指差して首を傾げる。
アスランは重々しく頷く。
「……」
キナは大人しく塔へと向き合った。
遥か先端に術が届くよう、両手を天に掲げる。
(洗う……)真っ先に浮かんだ呪文をそのまま口に出す。
「……ラワーティオ(水洗い)」
塔が流れ落ちる水に包まれた、と思った刹那、
塔が魔術を弾いた。
無防備に術を使ったキナは目を白黒させる。
「わ!?わわわわわ!?!?!?」
キナは塔に弾かれた水を、「バシャーン!」と盛大にひっかぶった。
呆然と立ち尽くす足元に、ボタボタと雫が落ちる。
「……ふっ……」
アスランの小さく吹き出す声が聞こえ、キナは恨めしげに振り向いた。
「君…… 回路の時に、弾かれていただろう。
なのに……っ… なぜ学習しないんだ……!」
ついに堪え切れなくなったアスランが声をあげて
笑う。
息をするのも苦しそうに笑い続けるアスランを、
キナは珍獣を見るような目で見つめていた。
が、そのうち、
「……っふ…… だ、だって…… もう!
そ、そんなに笑わなくてもっ…… っ、あはははは!」
ついにキナまでつられて笑い出してしまう。
びしょ濡れで笑いながら、
(笑ってる師匠が一番好きだ)
そう、キナは思っていた。




