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夜天の魔女  作者: 宵宮 詠
第7章
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3 乾杯


 キナが部屋を出て行ってからまもなく、

コン、コン、と丁寧なノックが一人の部屋に響いた。

アスランは立ち上がり鍵を開ける。

扉の向こうには女将が、遠慮がちに佇んでいた。


「恐れ入ります。

お客様、もしよろしければ、お食事は『観月の間』に

ご用意いたしますが、いかがでございましょう?

今宵は満月で、庭の眺めも大変良うございますので。」


アスランは「ふむ」と頷く。


「『観月の間』か。あの子が喜びそうだな。」


女将は、我が意を得たりというように、笑顔を咲かせる。


「ええ、ええ、きっとキナ様のお眼鏡にも叶うと存じます。お席が整いましたら仲居に案内させますゆえ、

それまでお寛ぎくださいまし。」


女将はゆったりと頭を下げて、去っていった。


 先に部屋へと通され、並んだ座布団の片方に腰を下ろしたアスランは、気の利いたつまみを前にちびりちびりと手酌酒を飲んでいた。

手早く風呂を済ませたのか、浴衣姿で長い金髪を一括りにしている。


やがて襖の向こうから、キナを案内してきた者の

「失礼いたします」という声が静かに届いた。

アスランはゆるりと首を巡らせ声をかける。


「おかえり。ずいぶんと長風呂だったな。

顔が赤いぞ?」


「露天風呂はついつい長湯しちゃうね。

頭が涼しいからのぼせないみたい。」


言いつつ、キナは並べられたお膳の前に腰を下ろした。


目の前の庭は、整えられた木々が絶妙な間隔で配置され、その間からぽかりと丸い月が覗いている。

敷かれた白い砂には水紋が描かれ、

石灯籠の灯りが幻想的な陰影を生み出していた。


「綺麗……」


キナが珍しく言葉少なに見惚れている間に、

仲居が温かな料理を並べていく。


「ああ、見事な庭だ。

君流に言うと、大変風情がある。かな?」


アスランはくすりと笑うと、キナの盃を満たす。

キナは嬉しそうに盃を持ち上げた。


「美し糧と今日の出逢いに。」


アスランは自分の盃を、チン、と軽く合わせ、

こくりと一口、酒を喉に流し込む。きりりと冷たい酒が芳醇な香りを残しながら喉を滑っていった。


「出逢いというなら、君と私が初めて会った日にも

杯を交わすべきだったかもしれないな」


アスランが悪戯めいて言うと、キナはくっくと笑い


「ミルクで乾杯、ですねぇ。」


と、小鉢の中の青菜の胡麻和えに箸を伸ばす。


アスランもくつくつと笑いを零しながら、また盃を

満たした。


「……そうだな。私が一番覚えているのは、

君が初めて魔法を成功させた時の祝いの酒だ。」


目を細めて箸を手に取ると、間髪入れずに


「それはジュースで乾杯、ですね。」


と返ってくる。

アスランは堪えきれずに声をあげて笑い出す。


「そうだな、気づかなかった。

ミルクとジュースで、乾杯しておくべきだった。」


「じゃあその分を、今日乾杯しましょう?


……魔女の私で良かったら。」


アスランはぽそりと付け足された言葉に

弾かれたようにキナを見つめた。


「……魔女だろうが何だろうが、君は君だろう。」


噛み締めるように言うと、盃を掲げる。


「今日の、そしてこれからの、全ての出会いに。

乾杯。」


キナはアスランの視線を受け止めながら盃を持ち上げ


「これまでの私たちにも。乾杯。」


と、音もなく杯を合わせる。

杯に口をつけると、美しく盛り付けられた刺身を口に運び、次いで酒を口に運ぶ。この組み合わせが気に入ったらしく、良いペースで盃が重ねられていく。


月は先ほどよりも遠く高くなり、それに照らされる

庭は、一幅の絵のようだった。


そこに、キナが息を吸い込む音が小さく混じった。

僅かの静寂の後、その息が言葉に変わる。


「ねぇ?ちょっと馬鹿なこと言ってもいい?」


アスランは箸を止め、キナへ視線を向ける。


「なんだ?君が馬鹿なことを言うのは今に始まった

ことではないが……言ってみなさい?」


「ぐはっ……!


いや、気を取り直して言うよ?

ほんとにほんとに馬鹿な事だから、

絶対絶対笑い飛ばしてね?


……アスランが私との昔話をすると……

ほんの少しだけ、本当に少しだけ、

『もういないキナ』を懐かしんでるんじゃないかって、そんな風に思っちゃうんだ。

魔女じゃない…… 元の魔力の、あの『キナ』を。」


アスランは、すっと血の気が引いていくのが自分でも

わかった。一瞬、呼吸を忘れ、沈黙が落ちる。

風が残す葉擦れの音が響いた。


「……馬鹿な、ことを……」


「……うん。……馬鹿、だよね。

でも、アスラン……笑ってない、よ?」


ハッとしたように顔を上げると、揺れながらも真っ直ぐに向けられた夜色の瞳にぶつかる。


月の光を受けて、混じる金色が星のようだ。


その美しさに、アスランは手を伸ばす。

流れてもいない涙を拭うかのように

親指を頬にあて、キナの輪郭を包んだ。


「笑えると、思うか?……そんなことを言われて。」


「……そう、だよね。

ごめん、ほんと馬鹿な事だった。

あ、今に始まったことじゃなかったね!」


キナは逃れるように盃に手を伸ばす。

が、アスランの手の平はそれを許さない。


「……君はいつか、

『千年生きた実感はない』と言ったな?


あれは私も同じだ。

君といる千年は、駆け足のように過ぎていく。

君はこんなにも成長して、こんなにも強くなってしまった。


もう還らない、幼かった君を……

守ってやらなければいけなかった『キナ』を、

愛おしく懐かしむ権利ぐらい、この老ぼれにもあるだろう。……わかったか、小娘。」


頬から手を離し、アスランはキナの鼻先を

つん、と突いた。


キナは無意識に鼻先を押さえながら、アスランを茫然と見つめていた。

幾度かゆっくりと瞬きを繰り返すその睫毛には、

零れなかった小さな雫が揺れている。

そっと指で拭うと、だんだんとその顔が笑みに彩られていく。


「……老ぼれ……って……」


くす、と笑いが零れ、そのままくすくすと肩を揺らす。


「ああそうさ。私ほどの長命種がどこにいる。

そんじょそこらの老ぼれでは敵わん、筋金入りの老ぼれだぞ。君、たまには肩ぐらい揉んだらどうだ。」


「……外見、詐欺……!」


キナはついに、ヒィヒィと笑い転げる。


その様子を見ながら、

アスランは満足そうに盃を傾けた。


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