1 露天風呂再び
歩き出すアスランの背を追いながら、キナはふと思いつく。
「アスラン。」
声を掛けて呼び止めると、その横から覗き込むように
空色の瞳を見上げる。
「お宿、またあの露天風呂のお宿が良いです。」
転移で戻らねばならない宿をわざわざ指定してくる
キナに、アスランは驚いた顔をする。
けれど、それもほんの一瞬。
「なるほど、君はあの『旅人の泉亭』をいたく
気に入っていたからな。
では、今日の宿はそこで決まりだ。」
あっさりと承諾するアスランに、今度はキナが目を
見開く。
「……いいの?」
「何か不都合でも?」
自分で言い出したくせに、と面白がるようにキナの
額をトン、と小突いた。
宿に着くとカウンターには女将がいた。
キナは嬉しそうに近づく。
キナにとってこの女将も「美しいもの」だ。
物腰、佇まい、どれをとっても風情に溢れている。
キナたちの姿に気づくと、女将はゆっくりと顔を上げた。
「あらまあ、あなた様は……おかえりなさいませ、
旅人の泉亭へようこそ。」
女将は花が開くような笑顔を向ける。
「こん……ううん。
ただいま、女将さん。今日も麗しいですね!
またお世話になりたいのですが、お部屋は空いていますか?」
キナにキラキラした瞳で真っ直ぐに見つめられ、
女将はふふ、と頬に手を当てて笑んだ。
「まあまあ、こんな年増に嬉しいお世辞をありがとう存じます。お部屋は空いておりますよ?」
「いいえ、いいえ、その重ねた年輪こそが貴女の
美しさなのです。艶やかでありつつも凛とした静けさ
を纏うその佇まい……」
アスランが「また始まった」と言いたげな顔で割って入る。
「先日と同じ部屋は空いているか?」
女将はどこかホッとした面持ちで宿帳に目を落とす。
「ええ、ええ、空いております。」
言葉を切った女将は、アスランを見て束の間逡巡してから口を開く。
「……実は先日お泊まりになった時は、北門に魔物が現れた後でしてね?
ギルドや騎士団が、討伐に貢献したという魔術士の
親子連れを探して騒がしくしていまして。」
「親子……」
「まあ、間違っては……」
アスランの言葉が終わる前にキナの肘打ちが決まる。
「でも、親子連れには見えませんものね?
騒動に巻き込まれず、ようございました。
お食事はいかがいたしますか?」
女将はにっこりと二人を見やる。
アスランは一つ頷いて答えた。
「食事は部屋でいただこう。」
「かしこまりました。では、こちらがお部屋の鍵で
ございます。ご案内いたしましょうか?」
女将が差し出したのは、美しい桜の意匠が施された
鍵だった。キナは一瞬で目を奪われる。
「鍵まで美しい……」
「……きみは本当に、全てのものに美を見出すのだな。」
そのやり取りに女将がころころと笑う。
「お客様は、本当にお目が高うございますね?
宿の鍵はすべて、その道百年の職人が丹精込めた物に
ございます。」
「匠の技…… アスラン!お家の鍵、取り替えましょう!」
アスランは気の毒なものを見る目でキナをしげしげと見下ろした。
「……君、我が家に物理の鍵など、あったか?」
「……ぎゃふん。」
反論の余地もなく、キナは階段へトボトボと向かう。
「……女将、案内は結構だ……」
アスランが深いため息と共に、キナの後に続いた。




