3 小さな秘密
(見慣れた天井だ……)
キナは目を覚まし、思った。
気配に視線を動かすと、ベッドの横の椅子にアスランが腰掛けている。
肘掛けに両肘をつき、組んだ拳に額を埋める姿にハッとして、キナは声をかけた。
「師匠……?」
「目が覚めたか。」
弾かれたように顔をあげたアスランから、そっと手が伸びて、キナの目元にかかった夜色の髪を撫でるように払う。
「ごめんなさい……」
キナの第一声にアスランは僅かに息を詰めた。
「……いや。私こそ、悪かった。
君は正しく行動したのに、頭ごなしに叱ってしまった。しかも魔力切れも見抜けず……。」
アスランの顔に苦い後悔の色が浮かぶ。
キナは何も言えずその顔を見つめ続ける。
長い長い千年という時の中で、初めて見るアスランの表情だったから。
少しの沈黙の後。
苦い表情のままアスランは口を開いた。
「だが君、あれはやり過ぎだ。大地の慈悲、
【ミセリコルディア・テルーリス】など……
何故あんな大魔法を使った?
いや、いったいいつ覚えた。」
「咄嗟に……あれしか浮かばなくて……
最近、本で読んだから……」
アスランの眉がクイ、と吊り上がり、キナは慌てて言葉を足した。
「ほら!イメージできればだいたいの術は出来るから!」
アスランは開きかけた口を閉じ深く息を吐く。
「……その稀有な才があったとて、君はまだ経験が足りていない。
どこでどの魔法を選ぶべきかもっと考えなさい。
魔力配分の事だけではない。
あの場であのような大魔法を展開すれば、君が耳目を集める事になる。人々が向けるのは感謝や賞賛だけではな……」
アスランはハッとして言葉を切った。
キナは息を呑んで目を見開いていた。
「……いや、良い。今言うべき事ではなかったな、
すまない。」
再び沈黙が落ちた後、キナがぽつりと口にした。
「……露天風呂入れませんでした。ごめんなさい。」
アスランはまじまじとキナを見つめ、
やがて、ふっと小さく笑った。
「君は、全く…… 宿にはまたいずれ行ける。
それよりもう少し眠りなさい。
私も少しベッドで休む。
さすがに今日は寿命が縮んだからな。」
キナはきょとんと目を丸くしてから、クスクスと笑い出した。
「何千年も生きてるのに、一日分縮んだって誤差ですよ、誤差。」
アスランは椅子から立ち上がるとキナの額を軽く指で弾いた。
「口の減らない弟子め。」
キナは額を押さえて唇を尖らせ、おもむろに口を開く。
「けど師匠。『邪魔だ、人間が!』はないと思いますよ?それ、なんのためにつけてるんですか。」
キナが自分の耳をトントンと叩きながら言えば、アスランはつられた様に耳に手をやった。指先が耳飾りを模した魔道具に当たる。
「せっかく長いお耳を隠してるのに、
人間は人間に人間が!とか言いませんからね?
ほんと師匠はそういうところ…… ふが。」
アスランがキナの鼻をきゅっと摘んだ。
「よく回る口だ。その様子ならもう大丈夫だな?」
そのまま背を向け扉へ向かったアスランの、その長い耳の先が赤く染まっていたのを、キナは見逃さない。
ほくそ笑んで追撃に口を開きかけた時、アスランは取っ手に指をかけたままふと足を止め、
「……とにかく。あまり、心配させてくれるな……」
背中越しに言い置き、扉の向こうへと消えた。
キナはぽかんと口を開いたまま、閉ざされた扉を見つめる。
「……ごめん、なさい……」
ぽつり、呟くと、モゾモゾと布団の中に潜り込む。
頭まですっぽり覆われた暖かな暗がりの中、
キナはキュゥと身体を丸めた。
瞑った瞼の裏に、拳に額を埋めたアスランの姿と
苦い後悔の表情が過ぎる。
咄嗟にあの詠唱が浮かんだ。
それは嘘ではなかった。
けれどそれは、魔力消費の多い術を選ぼうとする癖が出たのだと、キナには自覚があった。
「良いかい、とにかく魔力を使うこった。
使った後に濃ーーーーい魔力を貯めていく。
遠く見える道が一番の早道ってことさ。」
宵森の魔女の言葉が耳に蘇り、キナは更にキュッと小さく丸まった。
意識を深く深く自分の内側に沈めていくと、
夜色の魔力を湛えた器が見えてくる。
(濃い、濃い、魔力……もっと深い、夜……)
そのイメージに応えるように、魔力の器に凝縮された夜の雫が滴って行く中、キナはもう一人の魔女の声を思い出す。
「一個だけ例外があってさ、喧嘩しない仲良しの魔力をもらっちゃうってゆーチートもあんの。
けどそんな魔力激レアだから、チートってゆーかミラクルってゆーか?」
夜の雫がぽたりぽたりと頭の隅で落ちる音を聞きながら、にっこり笑顔で「師匠!魔力ください!」と言っている自分を想像する。
(……絶対零度より低い温度ってあったっけ……)
寒気にますます身を縮めたキナは、チクチクと痛む胸に小さな秘密を抱いて、眠った。




