4 美
長い静寂だけが過ぎていった。
キナは、そっとキッチンへ立つ。
湯を沸かし、蜂蜜のような甘い香りの茶葉を
ティーポットに掬い入れる。
やがてキナが二つのカップを手に戻ってくると、
アスランが顔を上げ、一つを受け取った。
「……すまない。話を戻そう。」
疲れの滲む面持ちに、それでも意志の光を湛えた瞳。
キナは、眩しげにアスランを見つめた。
「……つまり君は魔女となり、
管理者の『正しさ』の定義を書き換え、
管理者の役目を終わらせた、という事か?」
キナは甘い香りを吸い込みながら頷く。
「『我、夜天は
”其の“正しさより排除され
”其の“庇護より追放される』
対価としてこう提示して、
私はまず、『管理者』の管理下から外れた。」
「……なんだ、それは。」
アスランが絞り出した声はひどく掠れていた。
「それでは、まるで……最初から、君は消えるつもりだったのか?……管理者を、消して……」
キナはゆるゆると首を振る。
「確かに、賭けだった。
『“其の“正しさ』、
つまり管理者が定義する正しさから排除されて、
『世界は壊れず
ただ
正しさの向きを変える』
そう詠った。
『正しさ』の定義が更新されれば、
私はその中には居られると踏んでた。
でもはっきり『古き正しさ』とか言っちゃうと
『対価』にならないのバレちゃうでしょ?
わざと曖昧にしなきゃいけなかったから
思惑通りに行くかは、賭けではあった。
でも、自分ごと消すとか、
そんなつもりじゃなかったよ?
私はちゃんと生き延びる努力は捨てなかった。」
アスランの返事は、もう言葉にはなっていなかった。
ただ、呻くような声が漏れるだけだ。
「そこで終わるはずだった。
でも『世界』は新しい管理者を求め、
私に次の世界を創造しろと言ってきた。
私は、そんな者にはなりたくなかった。
けれど否と答えた時、世界がその秩序をどう再定義するのかもわからなかった。
だから私は、世界にこう命じたの。
『新しき世界は
その秩序を美しさと定め
生きとし生ける命に変わらぬ営みを与えよ。
新しき創造はその営みを持って成し
古き理より排除されし者は
それを統制するに非ず。
ただ、美しき秩序の中の
一つの魂として在る。』」
アスランは完全に沈黙した。
キナが紡いだ言葉が頭の中で反響する。
「“其の“正しさより排除され庇護より追放される」
そんな対価を差し出しながら、「正しさ」の基準を置き換える。
「美しさ」を新しい秩序と定め、古い秩序から排除された自分を美しさの中に生かす。
同時に、世界を何物にも管理させず、変わらぬ営みを約束させ、その自律を定める……。
それは、目眩がするほど途方もなく、大胆な戦略だった。
「……新しき創造を、創造主にさせぬために……
自分を、秩序の統制者に据えぬために……」
アスランは、信じられないものを見るような目でキナを見た。
「そんなことが……可能なのか……? 君を世界から抹消するという名分で、実質的には君の生存を世界に認めさせる……そんな交渉が……」
「美の、勝利だね?」
キナは得意気に、うふふん、と笑った。




