2 歪み
キナは梢の上を飛んだ。
森の奥深くに一際激しい戦闘の色が見える。
爆発音、煙、閃光。
(あそこだ)
目指して一直線に飛ぼうとした時、
風の匂いに血が混じった。
キナは急降下して木々をすり抜ける。
森の中ほど、冒険者たちが必死の形相で魔物達に斬りかかっていた。
「【レスタウラティオ(回復)】!」
満身創痍の冒険者に光が届く。
その出所を振り仰ぐ余裕も礼を叫ぶ余裕も
冒険者達にはなかった。
キナは傷つき消耗した冒険者へ回復を飛ばし
目につく魔物を凍らせながら木立の隙間を飛ぶ。
森が深くなるにつれ、戦場は壮絶さを増した。
キナは倒れ伏した冒険者に回復の光を投げた。
けれど、その身が動く事はなかった。
歯を食い縛りキナは飛んだ。
戦線が一度途切れたところで再び高度を取る。
見失った方向を探して顔を巡らせたその時
「ドォォォォン!」
と、一際大きな地響きが鳴った。
キナは音の方を向く。
鬱蒼と茂る木立の上、目が合った。
木立より頭一つ抜けたそれは、ギョロリとした一つ目でキナを見据えていた。
(サイクロプス……)
キナの背筋が怖気立ち、自分に照準が合った事を悟る。と同時に、サイクロプスへ向けて風を切った。
(ここから離れろ。師匠は必ずあそこにいる。)
アスランは切りもなく湧いてくる魔物の群れに次々と氷の矢を降らせていた。
(結界柱が程近いここに、『歪み』が生まれるはずはないのだ)
顔を顰め新しい群れへ手を振ると
被弾した魔物は射抜かれる前に爆散した。
もうもうと上がる氷煙の中、爆散と氷結を免れた個体を冒険者達が掃討して行く。
やがて魔物に切れ目ができた。
アスランは機を逃さず詠唱を開始する。
「我が血脈に刻まれし
古き誓いの御名において命じる
門の番人よ
次元の番人よ
位相を正し
点と点を解きほどけ
束の間の眠りから目覚め
その狭間を埋めよ
【コレクティオ・パーズィス(位相修復)】」
足元に魔法陣が生まれる。
そこから立ち昇る魔力が大気を揺らす。
アスランは両手を高く掲げた。
魔力が渦をなし『歪み』になだれ込む。
と、その裂け目から巨大な手がヌッと突き出た。
空色の目が見開かれ、籠める魔力が膨れ上がる。
メリ、メリ、と嫌な音が裂け目から響き、
アスランは歯を食い縛る。
耳をつん裂く音と共に地面が激しく震えた。
「位相修復」が完成し、「歪み」は己の内側に収束するように消える。
そして、舞い上がる土煙の中、その巨躯は聳え立っていた。
アスランは眉間の皺を深め、それを睨み上げる。
その時。
「……ぅ、ぅ、うぉぉおおお!!!」
己を鼓舞するような雄叫びが背後から聞こえ
アスランは怒鳴った。
「邪魔だ、人間が!退け!目を合わせるな!!」
遠くから、アスランの身も蓋もない怒声が響いた。果敢にサイクロプスに立ち向かおうとしたであろう冒険者達が、キナの目の下を退いていく。
視線を上げた先、巨躯が眼前に近づき、キナの身が僅かに強張る。
息を詰め、その脇をすり抜けようとした瞬間
「!!!」
キナの予想を超えた速度でサイクロプスの腕が振り回された。「ブンッ!」と耳元で音が鳴り、風圧がキナの身体を打つ。飛行の制御を失いかけるのを腹に力を入れて持ち直した時、
「キナ!!!」
アスランの声が眼下から響いた。
「師匠!ごめんなさい!目が合った!」
「チィッ!捕捉されたか、急ぐ!」
「引きつけます!イグニ……じゃない、【ハスタ・アクエア(水の槍)】!」
ここは森だ。キナは火球の魔法を咄嗟にキャンセルし、サイクロプスへ水の槍を叩きつける。
耳をつんざく怒声と共にサイクロプスはキナへと腕を伸ばす。
キナはひらり、ひらりと身を翻しながら再び水槍を放ち、サイクロプスの射程ギリギリを舞った。
「森の理よ 我が名において
今 冬の月を呼べ
我が声 氷の律となり
我が意 凍土の掟と成る
深淵の孤独の如く
絶望に凍てつけ」
アスランの詠唱が森に響く。
キナは目測を誤る。
(ヤバ。)
思った瞬間、巨大な手の平が頭上を覆った。
キナは飛翔術をキャンセルし、残る魔力を身体強化に叩き込む。
衝撃を覚悟した瞬間、アスランの魔術が発動した。
「【アブソルータス・ニヒル(絶対零度)】」
キン、と空気が凍った。
バキバキと音を立てて白い冷気が巨躯を駆け上がる。手を振り上げたまま凍りつき、サイクロプスはガラガラと足元から崩壊を始めた。
揚力を失ったキナが丸まったまま落ちてきて、
ズン、と地面に激突した。
アスランは、勢いで足元に転がって来るキナを
むんずと掴んで引き起こす。
キナはアスランに掴まれたまま、
サイクロプスが白く崩れ去り、雪の結晶のようにキラキラと風に運ばれて行く様に目を奪われていた。
「美し…「どういうつもりだ。」
キナの美の賛美もキャンセルされる。
(うわー……ここも絶対零度だ……)
「何故勝手な真似をした。」
「だって、みんなパニクってて、将棋倒しになりそうで、急いでたから……」
アスランの手を振り切って城門へ向かった理由を口にするが、アスランからの冷気は止まない。
「それにしても、だ。」
「サイクロプスにタゲられたのは本当に不運だったんだよ。わざとじゃな…… あ、れ……?」
先回りして言い訳を始めた途端、視界がぐにゃりと歪む。瞬き一つ、キナはアスランの腕の中にいた。
「魔力の使いすぎだ、馬鹿者。
【テレポルタティオ(転移)】」
有無を言わさぬ発動と共に、再びキナの視界がぐにゃりと歪んだ。
(有言実行、ほんと容赦ないな……)
思いつつ、キナの意識はクラクラと落ちていった。




