鬼も十八、番茶も出花
「日本で最初に鬼が出てきたのって何の話か知ってる?」
突然そんな話を振られたのは夜勤明けに寄ったチェーン店でカツセットを貪り食べている時だった。
夜間入ることが多かったのでシステムの入れ替えを深夜やるから手伝ってほしいと声がかかったのだ。
深夜時給につられた貧乏学生の悲しい性である。
朝日がまぶしいと思いつつ、朝ごはん食べて帰ろうか、ご飯味噌汁お代わりできると連れていかれた格安の店内は歓楽街の直ぐ側というのもあり、ホストのお兄さん達や青少年には眩しいお姉様方で賑わっていた。
セルフのお茶を飲み企業努力に感謝をしつつ久しぶりの肉を食べ終えて顔を上げれば目の前でチキンカツを食べる先輩が珍しく唇をサラダ油で輝かせながら笑う。
「肉久しぶり?」
「ですね。貧乏学生なめちゃいかんですよ」
ヴィーガンみたいな見た目で肉をしっかり食べる先輩の違和感マシマシな姿は店内の俗に塗れた雰囲気から浮いていたが、誰もがすれ違う他人など気にせずSNSを注視する世だからこそここに居るを許されている感すらある。
江戸期の藩の面子がかかった相互補助がっつりの時代とは違うのだ、と先日書いたレポートの江戸期の大社参拝を名目とした出稼ぎ労働についてのレポートを思い出しながら先輩の顔を見た。
不審者である。
おっといけない、さとりの前では思考を乱さない事が鉄則だ。
で、鬼である。
「中国の鬼市が日本に入ってきたタイミングですかね?書物で言うなら追儺が始まったころ?」
「さすが史学やってるだけあるねぇ。でも不正解」
薄い玄米茶を飲み干しておかわりと無遠慮に差し出されるプラスティックの湯飲みを受け取り自分の分もついでに淹れて戻る。
茶も飲み放題というのは実に嬉しい。
平安時代は輸入高級品だった茶は栄西が日本に持ち込み最初の茶の木はここから一時間バイクを走らせれば気持ちのいい山越えを楽しめる脊振にあるという。
まあ茶を庶民が遠慮なく楽しむようになったのは実は近代であるが。
明治になり武士の階級が糊口をしのぐ為に茶を作り始めたのが有名な静岡茶で大量に海外へ輸出されていったらしい。
中国茶のシェアに食い込んでいったわけだが、それをイギリスの紅茶に奪われ紅茶が定着した頃に税を増やしたら海に投げ込まれたと。
それを人はボストン茶会事件という。
現在ボストンでは茶箱を海に投げ入れる事ができるらしい。ぜひともやってみたいものだ。
イギリス支配からの脱却の象徴として地産地消?のコーヒーをアメリカは飲み象徴として誇りに思っているとは留学生のオリバーの談である。
とにかく茶が売れなくなったので内需に消費を頼った事で目出度く緑茶を庶民まで飲めるようになっていく流れになったというわけだが、それまで飲まれていた地方の茶が廃れていき現在では滅びたものもあるとか、という嘆きは民俗学の講義で聞いた話だ。
おっと思考の脱線甚だしいな、目の前の視線が煮込み魚みたいである。
鬼ね。
ここいらでいえば日本三大火祭りである大善寺の鬼夜だがあれは仁徳天皇の御代の事件が元だったか、その時代なら記紀に載っているのではなかろうかと思えば「正解、半分ね」と。
やはり妖怪サトリである。
「半分ってどういう意味です?」
「記紀はあっているけれど、仁徳天皇じゃあないねぇ。斉明天皇の崩御の際さぁ」
にやりと哂う。
斉明天皇崩御となると朝倉の地だ、何だったか。
担当教官から怒られそうではあるがどうにも思い出せない。
朝倉といえば日本最古の神社候補である大己貴神社があってそこの看板に書いてあった羽白熊鷲を討った神功皇后の話を思い起こす。
翼人だったと記されていたような。
先輩の顔を見れば不正解とわかり、スマホの電子書籍を開き検索をかける。
鬼、日本書紀。
是の夕に朝倉宮の上に鬼有りて大笠を着て喪の儀を臨み視る。
「せーかーい」
このていたらく、恥ずかしいな。
多分この話は講義で聞いた覚えがあったからだ。
ああ悔しい。
「何故鬼なんですか?」
二杯目の味噌汁が五臓六腑に染み渡る。
ご飯と季節の野菜とか適当にぶちこんだみそ汁さえ食べてれば死なないとは親族の言葉だったがまさしくまさしく。
発酵食品で上手いし元気が出る。
味噌が値上がりしなきゃ毎日食べたいんだがな。
お代わり無料なら食い溜めしておかねばと白米と交互に口にしながら基本的な疑問を投げる。
相も変わらず小さめの下顎骨をもにょりと動かしてキャベツを食べながらカツのはしっこを一切れこちらへよこす。
親切ではなく硬くて食べるのに疲れたからだろう。
「鬼って何だと思うかい?」
「ジャンルによって違うから一言では言えないですね、だってそのあとは怪としての鬼になっていきますでしょ。
久留米では牛鬼の伝承もあるし。
朝倉の鬼は異形であるけれど何をしたわけでもない勝手に見た人が怖がっただけだ。
そのあとは桓武天皇の御代に鬼火が出ましたっけ?
具体性が無い、おそろしきものが鬼と評されているからその先の呼び名な行為ごとにわけないといけない。
人ならざるものとでも言うべきでしょうか。
元人も含めて」
「元、ひと」
ふうん、とまたもや茶のお代わりを求められる。
仕方ない、端っこといえども肉のお礼として茶汲みはしてやろう。
寒いのか湯気を包み込むように手のひらを被せた先輩は首を傾げた。
「生成ですよ。能の面でありますでしょう」
生成、般若(中成)、真蛇(本成)の順で人から離れていく女面の事だ、先輩が知らない筈は無い。
「最初の鬼は異形なだけと考えているんだね。
だから君には放っている」
店内は明るく本日相手した客の話をネタに高い笑い声をあげたお嬢さんの声が響き、反対側では先輩の面倒くさそうな説教をへらへら笑いながら返事をしている男性の声が間間に聞こえていた。
「だって、別に害はないでしょう。
鬼にだって生活もあるでしょうし」
天使が通った。
一瞬妙な間があったが店内BGMが途切れただけだろう。
「人間だけでも魑魅魍魎盛りだくさんなんですからそこに鬼が混じってもたいしたこっちゃあないですよ。それにまあ鬼の中にも女性がいるでしょうから。世界中の女性を差別しない主義なんで」
「そうかい」
お代わり、と茶を要求されながら何杯目だと呆れる。
「中国の市場の老人が店番しながら一日中蓋碗に湯を足し続けながら飲むみたいな事やってそうですね先輩。てか飲みすぎですよ、頻尿になりますよ」
「ここのは玄米茶だから大丈夫だよ」
しょうがない人だなぁと茶を入れていると後ろから可愛らしい地雷系のお姉様が肩をたたいてきた。
思わず声がワントーン上がる。
「お兄さん、今日までのクーポンなんだけど唐揚げ食べない?私もう食べきらなくて」
細く長い爪につままれたクーポンを差し出される。
「いいんですか?ありがとうございます」
あ、幸せ。
きれいなお姉様とお話できただけでもできないスキップするほどなのに肉ももらえるなんて!
カウンターに行ってさっそくお願いしようとすると、ホストらしきお兄さん達の集団から手招きされた。
「兄ちゃんよく喰うね、これもあげるよ」
光り輝くエビフライのクーポンである。
「あざっす!!!」
更に他のお兄さんからも次回使える割引券を渡された。
「あざーっす!」
もうほくほくである。
カウンターにスキップぽい足取りで向かうとチョコレート色のお肌のセクシーな店員さんが既に聞きつけて揚げていてくれたらしく、「カラアゲネ」と差し出してくれる。
「エビフライも今食べますか」
「はい!」
なんっていい日だろう。
席に戻って唐揚げを食べようとするとじっとりと見つめられた。
「茶」
忘れてた。
「のんきな奴だねぇ」
茶を差し出しながらあきれたように先輩に世の真実を伝えよう。
「だって、かわんないでしょ」
飯は旨いし、お得なのには変わらないのだ。
店内からさざめくように笑い声が広がった。