第3話:恐怖!判子リレーと稟議書の森!
週明け、月曜日の朝。
東京の空は薄曇りで、週末の解放感から強制的に引き戻された人々の足取りは一様に重い。
神崎美玲もその一人だった。
満員電車に揺られ、オフィスに着く頃には、すでにHPは半分以下だ。
彼女のショルダーバッグの奥深く、化粧ポーチの隣で小さな気配がもぞもぞと動いた。
「美玲しゃん、月曜の朝からそんな幽霊みたいな顔してちゃダメでしゅ! 新しい一週間の始まりでしゅよ! 元気を出して、Let's GOでしゅ!」
「……静かにしてて、ペンデュルン。会社でしゃべる妖精が見つかったら、社会的に私が終わるから」
美玲がヒヤヒヤしながら小声で咎めるが、バッグの中の妖精はケロリとしている。
「心配無用でしゅ! ワタチの姿と声は、美玲しゃんが許可した相手にしか認識できないでしゅから!」
「それ、もっと早くいってよ!」
思わずツッコミを入れる美玲をよそに、ペンデュルンは得意げに続けた。
「それより美玲しゃん! 先日の昭和野製作所の件、ワタチという最高のサポーターがいたからこその勝利! もっとワタチを敬い、称え、そしてお供え物をするべきでしゅ! 高級なナッツとか!」
「はいはい、今度ね」
適当にあしらいながらPCを起動すると、受信トレイに『昭和野製作所 百々』の名前が光っていた。
恐る恐る開くと、先日とは打って変わって前向きな文面で、DX推進キックオフミーティングの候補日がいくつか列挙されている。
大きな一歩に、美玲の口元が知らず知らずのうちにほころんだ。
「よかった……。まずは日程調整の返信を……」
カタカタとキーボードを叩き始めると、バッグの中から再び抗議の声が上がる。
「美玲しゃん、その文面は弱気すぎでしゅ!『〇〇様のご都合のよろしい日時をいくつかお教えいただけますでしょうか』では、相手に無限の選択肢と主導権を渡すだけでしゅ!『この日時でFIXしましょう!我々は常に前進あるのみ!』くらい情熱的にいくでしゅ!」
「そんな圧の強いメール送ったら、また怪人化しちゃうでしょ……」
ペンデュルンと小声で口論していると、ふっと背後に人の気配がした。
冷ややかな香水の匂い。
「神崎さん、さっきから独り言が多いようだけど。ストレスで幻聴でも聞こえ始めた?」
声の主は、同期の堀口梓。完璧なメイクと隙のないパンツスーツ姿で、梓は美玲のPC画面を覗き込む。
その視線は、美玲の挙動不審な様子と、画面の文面とを値踏みするように往復している。
「ち、違うの! ちょっと考え事してただけ! ほら、昭和野製作所の件、前向きに進みそうだから、どうやって進めようかなって!」
「ふぅん……。最近、何か変よ、あなた。仕事の進め方も、少し強気になったみたいだし。何かいいことでもあった?」
梓の鋭い指摘に、美玲の心臓が跳ねる。
「そ、そうかな? いつも通りよ!」
「そう」
梓はそれ以上追及せず、意味深な言葉を残して自分の席に戻っていく。
「まあ、この会社にいると、誰だっておかしくもなるわよね」という呟きが、妙に耳に残った。
その時だった。
フロアの反対側、経理部のエリアから、空気を震わせるほどの大きな叱責が飛んだのは。
「三浦くん! 君ねぇ、この稟議書のハンコ、何度言ったら分かるんだ!?」
声の主は、経理部長の根津。
彼の前では、新人の三浦由奈が、まるで蛇に睨まれた蛙のように体を固くして俯いている。
「も、申し訳ありません……。すぐに、押し直します……」
「そうじゃない! ハンコは会社の顔だ! その押し方一つに、仕事への熱意と責任が現れる! この微妙な傾き具合、許容範囲外だ!朱肉のつき具合も均一ではないし、押印後の『ふぅ』という魂の息遣いも感じられん! 君には、このプロジェクトを成功させようという気概がないのか!」
常軌を逸した叱責に、周囲の社員たちは見て見ぬふりを決め込んでいる。
誰もが根津部長を恐れ、彼の作り出す息苦しい空気に逆らえないのだ。
彼は社内でも有名な「ハンコの番人」。
全ての書類は紙で出力し、彼の厳格な(そしてその日の気分次第の)基準で押印されなければ、決して承認の判は下りない。
彼のせいで、どれだけの業務が停滞し、どれだけの社員が疲弊していることか。
美玲が胸を痛めていると、その日の午後、ついに恐れていた事態が起こる。
経理部を中心に、空気がずしりと重くなり、禍々しいプレッシャーが渦を巻き始めたのだ。
蛍光灯が不気味に明滅し、PCの動作が異様に遅くなる。
「なぜだ! なぜ誰も紙とハンコの神聖さを理解しない! 俺は、この会社を不正と怠慢から守ってきたんだ! デジタルなどという実体のないもので、仕事の責任が取れるものかァァ!」
根津部長の絶叫が響き渡る。
次の瞬間、彼の体から赤黒いオーラが噴き出し、おびただしい数の書類が竜巻のように舞い上がった。
オフィスの床や壁がメリメリと音を立てて歪み、見る間に巨大な書類の木々が生い茂る不気味な森へと変貌してしまった。
「きゃあ!」
逃げ遅れた由奈が、独りでに動く書類のツタに絡め取られ、森の奥へと引きずり込まれていく。
「由奈ちゃん!」
「美玲しゃん、来るでしゅ! 新たな社会の理不尽、怪人の誕生でしゅ!」
絶望的な光景を前に、美玲は唇を強く噛みしめた。
もう、逃げるわけにはいかない。あの子を、助けなければ!!
次回、魔法少女ミラクルミレイDX!
「第4話:激闘!承認印は電子化の夢を見るか?」
社会の理不尽、私がきっちり最適化します!




