第12話 霧の城に囁く声
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霧が深い。
魔国の朝は、王都セフィティナとはまるで異なる顔を見せる。城壁に絡む黒蔦の葉が夜露に濡れ、月光をわずかに反射していた。
アイラは重い瞼をゆっくり開けた。昨日から続く微かな胸の痛みが、鼓動と共にじんわりと広がる。夢の中で、誰かが自分の名を呼んだ気がする。けれどその声は靄の向こうに消え、記憶の端だけが温かく疼いていた。
窓の外には、薄灰色の朝霧が森を覆い尽くしている。王都の明るい朝日とは対照的な、静かで重たい空気――だが不思議とその景色に、懐かしいものを見出してしまう自分がいる。
背後から、低く、深く、響く声がした。
「目覚めたか、アイラ。」
心臓が跳ねる。
振り返れば、漆黒の外套をまとった魔王が、ゆるやかに歩み寄っていた。彼の紅い瞳は夜明け前の闇よりもなお鮮烈で、視線を受けた瞬間に胸の奥まで貫かれるような感覚を覚える。
アイラは息を呑み、思わず後ずさる。
「……お、おはようございます……。」
魔王はかすかに口角を上げる。その仕草は獰猛でありながら、どこか慈しみに似た温かさを帯びていた。
「まだ眠れぬ夜を過ごしていたな。夢にうなされていたのか?」
「……夢……?」
アイラは小さく首を傾げる。確かに夢を見ていた――が、その内容は霞がかかったように思い出せない。
魔王は彼女の一歩手前で立ち止まり、深紅の視線をまっすぐに注いだ。
「お前は……何を思い出そうとしている?」
低い声に、アイラの胸の奥で何かがざわめく。答えを探そうとしても、霧のように記憶が手から零れていく。
「わかりません……。ただ……懐かしいような……でも、怖くもあって。」
正直に言葉を紡ぐと、魔王は彼女を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。
「懐かしい……か。やはり、まだその奥に眠っているな。」
「……え?」
問いかける前に、魔王はそっと彼女の頬に手を伸ばした。
大きな手のひらは驚くほど温かく、指先から淡い力が流れ込んでくるようだ。
「お前の目に宿る光……私の記憶の中の、あの瞳と同じだ。」
その言葉に、アイラは戸惑いを隠せなかった。
「……誰かと、私を……?」
「そうだ。」
魔王は微笑むような、けれどどこか哀しみを含んだ表情を見せる。
「その答えは、お前が自分で取り戻す日まで待とう。急ぐ必要はない。」
アイラは俯き、胸を押さえた。魔王の視線を受けていると、不思議と恐怖よりも安心が勝る。それがなぜなのか、自分でも説明がつかない。
「なぜ……私をここに?」
勇気を出して問うと、魔王の瞳がわずかに細まる。
「お前を守るためだ。」
「……守る?」
「人間の王国には、お前を縛る鎖が多すぎる。」
魔王の言葉は静かだが、鋭い棘のように刺さる。
「私の側にいれば、誰にも触れさせぬ。お前は……光そのものだ。愚かな者たちに奪わせはしない。」
その声音に、心が一瞬だけ熱くなった。
(……どうして、この人の言葉は……こんなに、胸に響くの?)
魔王はアイラの顎に指を添え、ゆっくりと顔を近づけた。
「怯えるな。私はお前に傷一つ付けはしない。……ただ、思い出してほしいだけだ。お前が誰で、何を愛していたかを。」
その言葉に、アイラの中で何かが強く脈打った。
――何を、愛していたか。
胸の奥に、真白な花弁が一瞬だけ舞い散る幻が見えた気がした。
魔王はアイラの動揺を察したように、ふっと笑みを漏らす。
「今はまだ良い。いずれ時が来れば、お前の口から、その名を呼んでくれるだろう。」
アイラは頬を赤らめ、視線を逸らす。
「……わかりません……。」
「それでいい。今は、ここで休息をしていればいい。」
魔王はそう言ってアイラの肩に外套をかけた。
外套の温もりが、不思議と心地よい。王都で感じたどの暖かさよりも、深く包み込まれるようだった。
アイラの肩に外套をかけたまま、魔王はふと視線を落とした。
細い肩、薄い首筋、わずかに震える指先。
どれも、あの夜に抱きしめた彼女の面影と重なる――だが、今の彼女は“――――"ではない。
それでも。
その瞳に浮かぶ迷いと光を見つめるたび、胸の奥が焼けるように痛むのだ。
(今度こそ……二度と失わせはしない。)
アイラの視線が逸れたその隙に魔王はわずかに眉を寄せる。
感情を抑え込んでも、彼女の気配に触れるだけで記憶が鮮明に疼き出す。
真白な花が風に舞う夜。
彼女が最後に残した微笑みと、指先の温もり。
時間さえも凍るような、あの別れの瞬間を。
魔王は唇を結び、静かに目を閉じた。
(――――いや......アイラ。お前が誰であろうと、私は……)
――ふと、背後の空間に揺らぎが走った。
「……随分と、甘やかな空気ですね。」
低く、抑揚のある声が霧の向こうから届く。
次の瞬間、影が空間を裂いて現れる。漆黒の軍装をまとい、銀の仮面を片手に提げた男――ラグナスだった。
「……気配を隠す訓練は怠っていないはずだが。」
魔王は淡々と返すが、その声には微かな苛立ちが混じる。
ラグナスは肩をすくめ、苦笑めいた表情を見せた。
「まさか、我が主の視線が一人の娘にここまで吸い寄せられているとは思わず。いや、光景としては美しいものですよ。情と魔の狭間――そういうの、私は嫌いじゃない。」
「言葉を慎め、ラグナス。」
「は。……ですが。」
ラグナスは少しだけ真顔に戻り、主のそばへと歩み寄る。
その手には黒皮の封筒が握られていた。
「王都セフィティナから“兆し”が届きました。
聖環が動く。結界が――裂け始めているようです。」
魔王の眉がわずかに動く。
霧の城に、緊張が一筋、走った。
「……時は近い、ということか。」
「ええ。ですが、問題は“光”がその楔となれるかどうか。」
その言葉に魔王はアイラの背中を一瞥した。
彼女は静かに外を見つめている。霧の向こうに何かを探すように。
「信じている。」
魔王の声は揺るがなかった。
「たとえ彼女がすべてを思い出さぬままでも、私の手で……守り抜く。」
「……なるほど。まるで“愛”ですね。」
ラグナスはそう言ってふっと笑い、仮面を指先でくるりと回した。
「愛などではない。これは――誓いだ。」
朝の霧は次第に薄れ、鈍く光る空に、城の尖塔が浮かび上がっていた。
魔王はアイラの肩にかけた外套を、そっと整えるように手を添えた。
「冷える。まだ無理をするな。」
その声は、かつて聞いたことのないほど優しい。けれど、その温もりの裏に隠された悲しみを、アイラの胸は微かに感じ取っていた。
遠くで鐘の音が鳴る。朝の合図。だが、その音も、今のアイラには遠い異国の音に思えた。
「……この城には、誰もいないのですね」
ぽつりと呟くと、魔王は答えた。
「ここは、選ばれし者しか踏み入れられぬ場所だ。」
その言葉に、アイラの眉がわずかに寄る。
「選ばれし……者?」
「ああ。ここは、かつて魔国と王国が友を誓い合った場所。両国の希望と未来を託し、ある妃が暮らしていた。」
その瞬間、アイラの胸の奥がざわつく。なぜか、その話を初めて聞いた気がしない。
「その妃は、王国から魔国へ嫁いだ。そして、この地に“光の名”を刻んだ。」
「……光の名……?」
魔王はうなずき、外を見やった。
「この霧の中に咲く、白き花を知っているか? 夜明けとともに開き、昼には散る。永遠を約束するには、あまりにも儚い――それが、セフィティナだ。」
アイラの唇が震える。なぜか、その花の名が胸に強く響いた。
「……聞いたことがあります。……セフィティナは、初代国王と魔王が交わした友好の証だと……お妃教育で。」
「そうだ。そして妃はその名を残し、消えた。」
その言葉に、アイラの鼓動が速くなる。
(“妃”……? 誰……?)
頭の中に、白い花弁が舞う幻が浮かんだ。風の中で微笑む誰かの姿。背を向けて去っていく黒い外套の男。その背中を、泣きながら呼び止めようとした少女の声――。
「……わたし……」
胸を押さえる指が、震えていた。
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