第11話 出立の儀
投稿遅れました〜
毎日は大変になってきました
王都セフィティナは、いつもより張り詰めた空気に包まれていた。
夕刻の鐘が鳴ると同時に王城の奥深くで火が灯され、広間に並ぶ燭台が一斉に金の光を放つ。
病に臥せる国王に代わり、今夜の出立の儀を主導するのは王太子ライトだった。
白亜の柱にかけられた緋色の旗がわずかに揺れ、宮廷楽団が低く荘重な序曲を奏でる。
夜会のように着飾った貴族たちが集い、赤い絨毯の中央を空けて王太子が入場するのを待っていた。
ライトは肩章の付いた青い軍装に身を包み、剣帯をしっかりと締めていた。
眉間には深い皺が寄っており、その瞳の奥には焦燥と苛立ちが色濃く宿っている。
(黙って側にいればいいものを。魔王になど惑わされおって)
歩みを進めるたび金具がかすかに鳴る。
今夜、この場で自ら奇襲部隊の先頭に立つことを宣言し王国の威信を示さねばならない。
それが王太子としての責務であり王座に至るための試金石でもあった。
視線を巡らせるとホールの奥でカロリーナが小柄な姿を正して待っていた。
桃色の髪をふわりとまとめ、白いドレスに淡い薔薇の飾りを散らしたその姿は、夜の花園の精のようだ。
彼女の父であるヴァスティナ伯爵も隣に控え、老獪な笑みを浮かべている。
ライトは一瞬だけ表情を和らげ、カロリーナに頷いた。
だが、その胸の内では別の計算が渦巻いている。
――伯爵が用意する薬があれば、父王の魔力を抑え込み、摂政として実権を握る道が開ける。
それに成功するためならばカロリーナを正妃に据えるのも悪くない。そう考えているライトにとってアイラとの婚約破棄をしてでも手に入れたいのは絶対的な権力――
だが今は、結界の弱体化という副作用が想定以上に響き、魔獣の侵入を許した。
多少の弱体化はあっても魔獣が侵入する程でもないだろうと思っていたのは大きな誤算だ。
奇襲部隊を編成するのは、その失点を覆い隠すためでもあった。
楽曲が止むと同時に、司会役の老貴族が声を張り上げる。
「これより、王国の威信を示す出立の儀を執り行う!」
場内に拍手が響き、ライトは壇上へと進む。
青い外套の裾が絨毯を払う音だけが、やけに大きく耳に残った。
ライトは壇上の中央に立つと、鋭い眼差しで集う貴族たちを一瞥した。
「今宵より、我が王国は新たな一歩を踏み出す。
魔獣が南境を越えて侵入した。これは王国を侮る行為にほかならぬ。
我が率いる奇襲部隊は、必ずやこれを討ち払い、平和を守り抜くとここに誓う。」
朗々たる声が高天井に反響し、場内から再び拍手が巻き起こる。
その表情は凛然としていたが、心の奥には別の感情が渦巻いていた。
(魔獣討伐は名目だ。真の目的は――アイラ。必ず取り返す。俺のものだ。)
式典が続く中、カロリーナがそっと一歩前に進み出た。
白い手袋に包まれた指先が銀盆の上で震えている。
彼女の役目は出立を祝う盃をライトに捧げること。
しかし彼女の胸中は、別の緊張に支配されていた。
(今日こそ、殿下の隣に立つ資格を示さなきゃ……。あの女に負けるわけにはいかない。)
ライトが盃を受け取ると軽く微笑んで見せた。
その一瞬だけ、カロリーナの心は花が咲くように明るくなる。
だが、ライトの視線はすぐに別の方向へ――ヴァスティナ伯爵のほうへ向かった。
式典が一区切りついた後ライトは自然な流れを装って伯爵に近づいた。
伯爵は恭しく頭を下げるが、その口元には老獪な笑みが浮かんでいる。
「殿下、陛下のお加減はいかがで?」
「変わらぬままだ。」
ライトは声を潜め、短く答える。
「例の薬は?」
伯爵は懐から小さな水晶瓶を取り出し布で包んで差し出した。
瓶の中には、透明ながら淡い青光を帯びる液体が揺れている。
「補心鎮、当分はこちらで足りるかと。
これを続けて服用なされば、陛下のお身体は安定を保ちます。」
「……安定、か。」
ライトは瓶を受け取り、わずかに眉を動かす。
(父上が目覚めることは今の俺には障害でしかない。)
伯爵はさらに声を潜め、耳元で囁く。
「殿下。あとは殿下が勝利を収め、王位継承を正式にされるのみ。我が娘カロリーナも……殿下の威光に添えるよう、日々努力しております。」
「……そうだな。」
ライトは短く答え視線をカロリーナへ投げた。
彼女は父親が話している内容など知る由もなく、無邪気にライトを見つめている。
カロリーナの心にはただ一つ――
殿下が振り向いてくれた、それだけでいい……。
その純粋さが、ライトには好都合であった。
式典が終わると、夜空には無数のランタンが解き放たれ、王都セフィティナの広場が幻想的な光に包まれた。
出立を祝う舞楽が響き、貴族の子女たちは絹のドレスや礼装をひるがえし、優雅に舞を続けている。
その華やかさの中心でライトは深く息を吐いた。
(この輝きは俺のものになる。
父上が退けば、玉座も、国も――そしてアイラが戻れば魔国さえも俺のものだ。)
ライトは視線を人々の頭上越しに投げ、王城の最奥、病床の国王が眠る塔を思い描いた。
あの人の静かな瞳、決して自分を軽んじない真っ直ぐな眼差しが、今も脳裏を焼く。
(だが、もう必要ない。王としての父ではなく、ただの影となるべきだ。)
ヴァスティナ伯爵は、カロリーナを伴って退出する際、意味ありげにライトへ会釈をした。
ライトは頷き返すと、指先でポケットの水晶瓶をなぞる。
その微かな冷気が皮膚を刺し、胸奥の焦燥を逆に落ち着かせた。
夜更け。
出立式の余韻がまだ王城に漂う頃、クロードは一人、執務室に戻っていた。
窓辺にはまだ灯が揺れている。
ライトの机に残された地図や作戦書を静かに整えながら、彼は心の中で呟いた。
(殿下はあの薬の真価を理解していない。
国王陛下が長く眠れば、王城の結界はさらに弱る。それは……さらなる魔獣の侵入を招く。だが、これも“盤”を動かすための一手だ。)
机の上に置かれた伝令書の端が風でふわりと揺れた。
コーデリア領から届いたあの花の報せ――
駒は動くのか――――
殿下はどう動くのか――
これからの盤上を見据え、この国のためになることを――
クロードは静かに立ち上がり、執務室を後にした。
向かう先は、使われていない書庫。
昨夜、クロードが密書を送ったあの場所だ。
書庫は冷え切っており、壁一面の古書が湿気を帯びて重く沈黙している。
薄月光が窓格子から斜めに差し込み、埃の粒を銀色に浮かび上がらせていた。
クロードは黒の外套を羽織り、棚の奥から取り出した羊皮紙に新たな文を綴った。
「明朝、南門より出立。境界線の霧、要観測。」
それだけの短文だったが、彼の筆致には躊躇がない。
蝋を垂らし、黒い印章を押した瞬間、背後の窓が風でカタリと鳴る。
彼は密書を棚の奥に隠し、伝鳥筒を作動させた。
ほのかな魔力光が一瞬走り、すぐに消える。
それを見届けると、クロードは無表情に外套の襟を立て、夜の回廊へ姿を消した。
夜の回廊を抜けクロードは南門の方角に目をやった。
月明かりに照らされた城壁は白く冷たく、まるで沈黙の刃のようだ。
(殿下……この盤がどう転ぶか、見届けさせてもらいましょう)
外套の裾を翻し、彼は闇に溶けた。
翌朝、まだ夜明けの薄明が王都の尖塔を染める前、王太子ライトが率いる奇襲部隊はセフィティナ城を後にした。
厚い雲の切れ間から一瞬だけ月が覗き、その光が兵たちの鎧に青白く反射する。
カロリーナは遠くのバルコニーからその姿を見送り、小さく胸に手を当てた。
彼女の隣では父ヴァスティナ伯爵が目を細め、何かを呟く。
「……すべては、計画どおりに。」
その頃、王都から遥か遠く離れた魔国の森は夜霧に閉ざされていた。
黒い塔の頂きで、アイラは重いまぶたを開ける。
胸の奥で、昨夜から続く微かな痛みが鼓動とともに響いていた。
夢の中で誰かが名を呼んだ気がする――けれど、その声が誰だったのかは思い出せない。
今は夜なのか昼なのか朝なのか書いてるシーンの時間帯がわからなくなってくる
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