西の塔の秘密⑤
「エレンティアラさま!」
クラフィール王国の王女エレンティアラ付きの侍女アンジェが、真っ青な顔をしてエレンティアラのもとまで駆けよってきた。
「どうしたの?」
エレンティアラはアンジェがなぜ慌てた様子なのかわからないと言わんばかりに聞く。
「私が、いったい、どれほど心配……したことか!」
アンジェは瞳に涙を浮かべ息を切らしながら訴えた。
貴族や他国からの賓客を招いたパーティーが開かれている中、庭園では子息令嬢たちのためのお茶会が催されていた。それなのに、アンジェが少し目を離しているあいだにエレンティアラが姿を消してしまい、騎士や侍従たちが必死になって捜しまわっていたのだ。
「ごめんなさい。でも……つまらなかったんですもの」
多くの子息たちがエレンティアラに話しかけてきたが、皆たいしておもしろい話もせずにエレンティアラに質問ばかり。
「私だって女の子とお話をしたいのに」
エレンティアラは初めてのお茶会をとても楽しみにしていたのに、エレンティアラの周りには男の子ばかりが集まってきてしまって、女の子の輪に入ることができずまったく楽しくなかったのだ。女の子たちはキャッキャしながら楽しそうにお話をしているというのに。
「皆さま、ティアさまと仲良くなりたかったのですね」
「あれが? あなたの好きなものはなんですか? 好きな色は? そんな質問に答えつづけることで仲良くなれるの? 聞いてもいないのに自慢話ばかりする人もいたのよ。ずっとニコニコしながら聞いているのはとても疲れるんだから。どうせ疲れるのならダンスを踊って疲れたかったわ」
これでもかといわんばかりの勢いで、エレンティアラは不満を吐きだす。
「まぁ、フフフフ。ティアさまはダンスがお上手ですからね」
ダンスの先生からは、兄たちよりずっと上手だとお墨付きももらっているし、父シベルツは、エレンティアラがダンスを見せるといつも、妖精が舞いおりたのかと思った、なんて言って抱きしめてくれるのだ。
「それに、ダンスを踊っているあいだはつまらない自慢話を聞く必要なんてないもの」
それでも自慢話をしてくる男の子がいたら、ステップを早くして、クルクル回って疲れさせてもいいかもしれない。なんていたずらを思いついて、クスクスと笑う。
「お茶とお菓子で時間を潰すよりずっとすてきな時間の使い方だわ」
「では、今度からダンスもできるように準備いたしましょう。ですから、もうこんなことはおやめください。それに……」
アンジェはちらっと西の塔を見た。
決して近づいてはいけないこの場所に、エレンティアラが行ってしまったことをシベルツに知られたら、どんな叱責を受けるかわからない。
「とにかく、パーティーを抜けだしたことで陛下からお叱りを受けることは避けられませんので、覚悟をしてください」
「わかっているわよ……」
少しふてくされた顔をしたエレンティアラ。
「それと、誰にもここに来たことを言ってはいけませんよ。二度とここに来てもいけません」
「え? どうして?」
「どうしてもです」
「でも、私あの古めかしい塔に住んでいる女の子と知り合いになったの」
その言葉にアンジェがぎょっとする。
「女の子……?」
「ええ、ミラっていうの。ミラは銀色の髪をしているんですって。あの塔に住んでいるの。とても小さい子だと思うわ。話し方がとても幼かったから」
(小さい子?)
いったいエレンティアラは誰のことを言っているのだろうか?
(もしかして、ティアさま以外のどなたかもこちらに来てしまったのかしら? でも、それなら住んでいるなんて言うわけがない。もしかして、幽霊?)
西の塔には重罪人を収監するための地下牢がある。そんな場所に幽霊が出る可能性は……十分にある!
「ティアさま、あの塔は人が住む場所ではありません」
「でも!」
「ご存じのはずです。西の塔には地下牢があって、罪人を収監する場所だったということを」
「……そうだけど。でも、本当に女の子がいたのよ」
「では、姿を見たのですか?」
「……いいえ」
エレンティアラは小さく首を振る。
「では、ティアさまの勘違いという可能性もありますね?」
「……そんなはずは……! だって――」
エレンティアラはなにかを言いかけてふり返った。そしてぎょっとする。
石造りの塔はとても古めかしくて飾り気がないし、日の光を浴びていないため薄暗くとても寒々しい。小さな窓らしきものがふたつ見えたが、それ以外に窓はなく、とてもではないが人が住んでいるとは思えない外観だったのだ。
「……そうね。たぶん……私の勘違いだわ。あんな場所に人が住んでいるはずがないもの」
残念ともかなしいとも受けとれる顔をしたエレンティアラ。どうやら先ほどまであった興味が一気に削がれたようだ。アンジェは、ホッとして小さく溜息をついた。
(西の塔……)
唯一塔を管理しているテルニだけが出入りを許されている場所。テルニはかつて王妃パステルの侍女を務めていたほど優秀な女性で、その能力が評価されて西の塔の管理を任されていると聞いたことがある。
あるとき、偶然テルニに会った際に西の塔について聞いてみたことがあった。世間話をするような軽い気持ちで聞いたアンジェに対して、テルニは厳しい顔をして、「西の塔について話題にすれば、あなたの命は保障できないけど、大丈夫?」と言われた。
アンジェはそのときの感情のないテルニの声を今でも覚えている。それ以来、西の塔について知ろうとはしていない。
いったい西の塔にはなにがあるのだろうか? エレンティアラが言っていた女の子に関係をしているのだろうか?
いや、これ以上考えるのはやめよう。もし知ってしまえば、本当に命の保障はないのかもしれない。
「アンジェ?」
エレンティアラの声ではっと我に返ったアンジェ。
「あ……いえ……そうそう! ティアさまにお伝えしなくてはならないことがありました」
口調を明るくして、別の話題を提供するアンジェ。
「先ほどアヴィリシア王国からの賓客が到着いたしました」
「アヴィリシア王国? ツノなしの?」
「そうです」
事情により到着が遅くなるため、祝賀会には参加できないかもしれないという話だったが、どうにかパーティーには間に合ったようだ。
「確か参加されるのは、ロックフォード公爵だった?」
「さようでございます。さすがティアさま。しっかりお勉強されていますね」
「当然よ」
ホスト国であるクラフィール王国の唯一の王女として恥ずかしくないように、しっかり準備をすることは当然のことだ。
「ロックフォード公爵閣下とご一緒に彼の国の第一王子ディクソンさまも同行されており、すでにお茶会の席にいらっしゃいます」
「まぁ、そうなの。それならあいさつしないといけないわね」
実はエレンティアラがツノなしと会うのは今回が初めて。
話によると往々にしてツノなしの容姿はそれほどうつくしくないらしい。彼らはツノありのことを獣なんて呼んでいるらしいが、蛮人と呼ばれている彼らこそよほど品がない、なんて大人が話をしているのを聞いたことがあるし、いったいその子息というのはどんな容姿をしているのか、と少し怖くもあるのだが。
「ねぇ、アンジェはディクソンさまと会ったの?」
「いいえ」
アンジェが首を振る。
「私がティアさまを捜しているときに伝言を受けたのです」
アンジェはそう言ってエレンティアラを見る目を少し細める。エレンティアラは首をすくめた。
「それで、そのご子息はいったいどんな容姿をしているのかしら? ツノなしは野蛮だと聞くし、やっぱり恐ろしい顔をしているのかしら? それともオオカミみたいに獰猛な牙を持っているとか?」
エレンティアラは本気でそんなことを心配しているようだ。
「フフフ、そんなことはないと思いますよ」
「どうしてそんなことがわかるの? だって、蛮人と呼ばれているのよ?」
「ティアさまが直接見ていないのに、人の言葉を鵜呑みにしてしまうのはよくありませんね」
「だってぇ」
「わかりました。もし、王子殿下がオオカミのような牙を持っていたら、私がその牙を折って差しあげます」
「まぁ、アンジェったら」
アンジェの頼もしい言葉を聞いて、エレンティアラの緊張が少し解けたようだ。
お茶会が行われている庭園まで行くと、先ほどとは雰囲気が変わっていた。令嬢の輪の中に見なれない子息がいたのだ。ほかの子息たちは? と辺りを見まわすと、侍従が近くまで来て、エレンティアラがいなくなったため、彼らは令嬢たちを放ってお茶会の会場を出ていってしまったという。
「まぁ、令嬢たちがいるのに?」
いくらなんでもそれは失礼な話だ。とはいえ、自分がその場を離れてしまったことがそもそもの原因だから強くも言えない。そして、令嬢たちだが……。見なれない子息の話を、引きつった笑みを浮かべて聞いていた。
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