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恋と嫉妬と暴走④

 ルーシェルがカサブランカの宮にやってきたのは、それから三十分もしないうちだ。


 緊張した面持ちでやってきたルーシェルは、すっかり見なれてしまった騎士の制服ではなく、ズボンにシャツ、ウエストコートに蝶ネクタイ。黒く少し硬めの髪はオールバックで、前髪を軽く横に流して大人っぽくしている。


「ルー、とってもおしゃれ! すごく格好いい!」

「え? そ、そうかな?」


 ミラに褒められて、ルーシェルはまんざらでもなさそうだ。


「ルーは騎士の制服もよく似合っているし、なにを着ても格好いいと思うわ! 今日の髪型も大人っぽくて素敵よ!」


 ミラの容赦ない褒め言葉はルーシェルの顔をどんどん赤くしていく。


「い、いや、もういいよ。そんなに言わないでよ」

「だって本当にそう思うんだもの。今日もルーは格好いいなって」


 ミラの褒め言葉はルーシェルにはもはや凶器と言ってもいい。


 もしこれが、ミラ以外の令嬢の下心込みの褒め言葉ならスンとするところだが、相手はミラだし、素直にそう思って言っているからいたたまれない気持ちになる。しかも下心を持っているのはルーシェルのほうなわけで……。


(何回も何回も格好いいとか……だめだ! 褒めごろされる……!)


 両手で顔を覆い天井を仰ぐルーシェル。その様子を見て呆れ顔のカサブランカ。


(ルーシェルがとんでもないくらいに動揺しているわね。あのままだと天に召されちゃうかもしれないから、その前に助けてあげたほうがよさそうだわ)


「ルーシェルも素敵だけど、ミラもとても素敵よ。ドレスがとてもよく似合っているわ。ねぇ、ルーもそう思うでしょ?」

「え? ええ」


 カサブランカがそう言うと、ミラはぱぁっと顔を輝かせた。


 ミラが着ているのは、身頃に銀糸で繊細な刺繍とレースが施された、コバルトブルーのプリンセスラインで、ギャザーが幾重にも重なったティアードスカートが特徴的な華やかなドレス。ミラの白い肌と銀色の髪によく合っている。


「このドレス、本当にかわいいですよね! 私、ずーっとこのドレスが着たかったんです。でも私はパーティーには行けないから、着られないのかなぁって思っていて。だから、今日着ることができて本当にうれしくて。ね、ルーもこのドレスかわいいって思うでしょ?」

「あ、ああ。とてもかわいいドレスだね」


 ミラの勢いに飲まれるように返事をしたルーシェル。


 カサブランカは、もっと気の利いたことを言いなさいよ、という思いを込めてキッとルーシェルを睨んだ。カサブランカと目が合ったルーシェルはぐっと唾を飲む。


「やっぱり? 私も、このドレスよりかわいいドレスはないんじゃないかって思うくらいかわいいと思っているの! つまり、最高にかわいいドレスってこと」


 ミラはドレスのスカート部分をつまんで、クルッと軽やかに回転をした。するとスカート部分のひだがふわりと広がり華やかさを増した。


 ミラはスカートの柔らかな広がりを楽しんで、顔を上げたときにルーシェルと目が合ってニコリと笑う。ルーシェルはドキッと顔を赤くしてうつむきながら口を開いた。


「ド、ドレスもかわいいけど、ドレスを着たミラはもっとかわいいよ……」

「え? なぁに?」


 ルーシェルが口ごもらせながらどうにか音にした言葉は、ミラの耳には届かなかったようだ。


(もう、ルーったら。相手に聞こえない褒め言葉なんて言ってどうするのよ!)


 これが普段女の子に対してそっけなくて、そこが素敵! なんて言われているモテ男の本当の姿だなんて情けない。


(せめて好きな子の前では格好よくあろうと頑張るべきでしょ!)


 それなのに、ミラに微笑まれて真っ赤になったルーシェルが、手で両目を覆っている。 


「だめだ。かわいいミラを摂取しすぎて目が潰れそう……」


 なんてわけのわからないことを呟きながら。


 重症だ。


 もうルーシェルにかまっていたら、ことが進まない。


「さぁ、二人とものんびりしていられないわ。さっさと練習を始めるわよ」


 早速三人はダンスの練習をする専用の部屋へと移動した。部屋にはすでにヴァイオリニストとピアニストが待ちかまえていて、準備は万端だ。


 さて、とカサブランカが向かいあう二人を見てうなずいた。二人の身長差のバランスはいい感じ。

 実は、ミラとルーシェルの身長の高低差は何度か入れかわっている。


 二人が出あったばかりのころは、歳の離れた兄と妹くらいの身長差があった。それが、ミラがしっかり食事をし、運動をして健康的な生活をするようになると、どんどん体が成長していき、気がつけばミラがルーシェルを見おろすという逆転現象が起きていたのだ。


 そうかと思えば、今度は成長期に入ったルーシェルの身長が一気に伸びだし、少しずつミラと視線が並ぶようになり、いつしか自身の視線がミラより上になった。それに気がついたとき、ルーシェルは思わずガッツポーズをしてしまったくらい喜んでいた。


 それに気分をよくしたルーシェルは、もっと身長が伸びるようにと熱心に祈り、食事をモリモリ食べてがむしゃらに体を動かし、少しでも長く睡眠をとることを心がけ、どうにかここまでの身長差にすることに成功をしたというわけだ。


 果たして、その努力にどれほどの効果があったかはわからないが。なぜなら父のエデルも身長が高く、遺伝で伸びた可能性も十分に考えられるから。


 なにはともあれ、ルーシェルはミラのパートナーとしてはちょうどいい、というお墨付きをカサブランカからもらうことができたのだからルーシェルは大満足だ。


「さ、まずは体ならしをしましょうか」


 カサブランカの言葉を合図に始まった曲は、ワルツの中でも比較的テンポが遅めで初心者むけ。とても踊りやすいため、デビュタントが最初に踊る曲として使われているものなのだが――なぜ二人のダンスはあんなに激しいのだ?


 彼らの身体能力の高さがなせる業なのか、フロアを大きく使い、ワルツを踊る基本の動きもリズムも完全に無視をして縦横無尽に動きまわる。もし彼ら以外の人たちが踊っていたら、跳ねとばすこと間違いなしの勢いで。


 ふとミラがルーシェルの耳元に顔を寄せてなにかを囁いた。ルーシェルはだたでさえ赤かった顔を、ミラが顔を寄せたことでさらに真っ赤にしたが、ミラの言葉にうなずくと、タイミングを合わせて二人で高速回転をし始めた。


 それはもう、クルクルなんてかわいらしいものではない。グルグルグルグルッと回りながら、さらにフロアを高速で移動し、挙句ルーシェルがミラの腰を持って、ミラを高く持ちあげて回転をする。それに最初こそ驚いた顔をしていたミラだったが、すぐに満面の笑顔を見せた。そして曲が終わると二人は向かいあってていねいにあいさつ。


「あー、楽しかった」


 開口一番にミラが満足そうに息を吐く。


「ルーはダンスもとっても上手ね。それに、私のことを持ちあげちゃうなんて!」


 これまでリフトなんてしてもらったことがない。もちろんルーシェルだってしたことはない。が、ミラが大喜びをしているし、またやってあげたら――。


 なんてちょっと浮かれていた二人のもとにカサブランカ。


「二人とも」


 カサブランカの低い声にミラとルーシェルの肩がビクッと震える。


「いったい今のは、なにかしら?」

「え? いえ」

「まさかと思うけど、夜会であんなダンスを踊るつもりじゃないわよね?」


 カサブランカの背後からゴゴゴゴという効果音が聞こえてきそうな迫力で、二人はシュンと縮こまった。


「ごめんなさい……」


 いつもよりずっと小さな声でミラが謝る。続けてルーシェルも。


「一度、クルクル回ってみたくて……」


 ミラがますます小さな声で言う。


 幼いころ、ダンスはクルクル回るのだと思っていた。それが、実際に練習をするとほとんどクルクル回らないどころか、同じステップを繰りかえしてばかりだし、周りの人に合わせて同じ方向に移動するだけ。想像していたよりずっとおとなしくて、あまり楽しくなかったのだ。


「でも、ルーと踊っていたら楽しくなっちゃって。ルーは悪くないです! 私が、ルーを悪の道に誘っちゃったんです! ごめんなさい」


 そう言ってミラが深く頭を下げる。


 ……悪の道?


 その場にいたミラ以外の人たちの頭の中に、疑問符付きの三文字が浮かぶ。そして吹きだした。あれは悪の道というにはあまりに大胆で、それでいて優雅だった。


 ブレない体幹と滑らかな回転。楽しそうな笑顔と信頼のリフト。もし競技があれば、一番になれるのではないかと思うくらい魅力的なダンス。そう、確かに彼らが踊ったのはワルツではなかったけど、ダンスとしてはうつくしく素晴らしかったのだ。


「……まぁ、いいわ。でも、ゲールズバーク侯爵夫人の前では、絶対にあんなダンスを踊ってはだめよ?」

「はい……」


 もし、先ほどのように好き勝手に踊りだしたら、きっとゲールズバーク侯爵夫人が失神してしまう。彼女はしきたりを重んじていて、融通の利かない人だ。


「すみません」


 ルーシェルもまじめな顔をして謝る。


「さぁ、しっかりと反省をして、次はちゃんとしたワルツを踊ってちょうだい」


 カサブランカが手を叩くと、奏者たちが先ほどよりも速いテンポのワルツを演奏し始めた。どうやら二人のダンスを見て、曲のレベルを一気に上げたようだ。このワルツは数か所に変則的なリズムが組みこまれていて、ステップを複雑化することで他の曲との差別化を図っている。いわゆる上級者向けの曲で、あまり夜会などでは演奏されない、ある意味残念な曲でもある。


 それなのに、二人は変則的なリズムなどものともせず優雅にステップを踏んでいく。


(二人は息もぴったりだし、ミラにも教えることなんてもうないわね)


 実はゲールズバーク侯爵夫人にもそう言われていて、彼女にとってミラは最も自慢の生徒なのだそうだ。しかし、それを公言することができず、とても残念に思っているとか。


「ねぇ、ルー」

「なに?」

「今度の鍛錬ではルーと手合わせできる?」

「うーん、それを決めるのはヤニックだからな」

「それなら、ヤニックさんに聞いてみる」

「いや、なんで僕と手合わせしたいの?」

「だって、私もルーみたいに強くなりたいの。ルーと手合わせをすれば、私もルーみたいに強くなれるでしょ? だめ?」

「だ……だめとかじゃなくて。でも、僕的にちょっと無理かな……。くっ……!」


(……褒めごろされる……!)


 ルーシェルとしてはできればミラとは手合わせをしたくないのだ。ミラが騎士見習いになる前はよく手合わせをしていた。でもそれは、確実にルーシェルのほうが剣の腕が上で、ミラをコントロールすることができたからだ。


 でも、今は違う。


 ミラはラガナスと一、二を争う実力者で、ルーシェルが手を抜いたり、うまくコントロールしたりできるような相手ではなくなってしまったのだ。それに以前ならともかく、今はミラに負けたくはない。そこはなにがなんでも譲れないところ。


 その結果、むきになってミラにけがをさせたり、痛い思いをさせたりしたら、と思うと、とてもではないが手合わせなんてできない。


 しかし、そんなルーシェルの気持ちなんて知る由もないミラは、じっとルーシェルを見つめる。そして「なんで? どうして?」なんてかわいい顔をして聞いてくる。


(ああ、勝てる気がしない。もう、最初から負けている)


 その日ルーシェルはミラの、かわいい、無邪気、褒めごろし、という三大凶器に、これでもかというくらいやられまくったのであった。



読んでくださりありがとうございます。

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