ラガナス①
騎士団の訓練場の横に人目のつかない場所がある。そこは、これまで何人もの新人騎士見習いたちが先輩騎士見習いに呼びだされ、殴られ蹴られ罵声を浴びせられている、ある意味歴史のある場所だ。そんな歴史のある場所に呼びだされたのはラガナス。
呼びだされたというより、たまたま歩いていたら先輩騎士見習いに呼ばれ、声をかけられるままにその場に行ったらあっという間に囲まれたというだけ。
「お前、平民のくせにずいぶんと態度がでかいな」
ラガナスよりずっと年上と思われる二年組の騎士見習いのノーマンが、ニヤニヤしながらラガナスの肩を押す。しかし、思いきり押したつもりが、実際にはラガナスの肩が少し揺れた程度。
「は?」
まったくバランスを崩すこともなかったラガナスにイラッとしたノーマンは、ラガナスの胸倉を左手でつかむと、ぎゅっと握りしめた右手でラガナスの腹を思いきり殴りつけた。するとそれを合図にほかの四人の先輩騎士見習いたちもラガナスの腹や背中、足を蹴ったり殴ったり。あっという間に集団リンチの様相を呈した。顔を殴らないのは、暴行したことがばれないように。
ラガナスは抵抗することもなく殴られ蹴られていた。時間にすると五分程度だろうか。昼食後の短い休憩時間ということもあり、先輩騎士見習いたちはある程度満足をしたところで、その場に倒れこんでいるラガナスに唾を吐きかける。
「平民のくせに、でかい顔してんな」
「どうせ叙爵もできないんだから、さっさと辞めろ」
「また遊んでくれや」
そんな暴言を吐いてその場をあとにした。
先輩騎士見習いたちがいなくなったのを確認したラガナスは、うつ伏せの姿勢から仰向けになり腹を押さえた。
「いてぇ……」
体中に力を入れて、受けるダメージを抑えたから打撲と擦り傷程度ですんでいるが、これから午後の鍛錬があると思うと気が重い。
「平民のくせに。……叙爵もできない、か」
その言葉が正しいとは言えないが、間違っているとも言えない。平民でも教官のトーマスのように叙爵しているものもいるからだ。しかし、それは彼が処世術に長けているというのも大きく関係しているだろう。反対にラガナスは気の利いたお世辞のひとつも言えない武骨な男だ。
騎士団に入団をして騎士見習いを卒業しても、叙爵できなければ従騎士という名の兵士。
でも、人生のほとんどを鍛錬に捧げることになっても、戦争が起これば真っ先に前線に送られる立場だとしても、従騎士でいられれば給金がもらえ、寝床と食べるものを手に入れることができる。
「十分だ……。その日暮らしをしていたころを思えば、今の生活だって贅沢すぎるくらいだ」
寄宿舎に帰れば寝るところがあって食べるものがある。それ以上なにを望むというのか。
「……」
シャンヌは、将来王妃殿下の護衛騎士になると言っていた。なりたいではなく、なる、と。
「ずいぶん大きな夢だ」
女の身ではラガナス以上に難しいだろうに。いや、彼女にはペンデンス公爵という後ろ盾がある。自分とはまったく立場が違うのだ。
「おーい、ラガナスぅー」
遠くからシャンヌの声が聞こえる。それに気がついて、ラガナスは足を振り子のように振って体を起こし、スクッと立ちあがった。
「いててて」
体を伸ばすと腹に痛みが走る。
「やりたい放題やってくれたな」
ラガナスは腹を押さえながらその場を離れ、ミラの声がするほうへと向かった。すると、ラガナスを見つけたミラが手を振りながら近づいてくる。
「いたいた、なにしているの? もうすぐ午後の鍛錬の時間だよ」
「ああ、わかってる」
「……どうかしたの?」
「え? なんでだ?」
「服に泥が付いているから」
ミラがそう言ってラガナスの背中を指さす。
「ああ。昼寝をしていたんだ」
「そっか」
ミラはなんとなく違和感のある背中の汚れ方に首を傾げたが、それ以上追及することなく訓練場へと戻っていった。
それからも昼食が終わるとラガナスはふらりとどこかに行って、鍛錬が始まる時間になると戻ってきた。
「ラガナスはお昼のあとなにをしているの?」
周回走をしているとき、珍しくきつそうな顔をしながら走っているラガナスの様子が気になって、ミラが聞いた。
しかし、ラガナスは「昼寝だよ」と答えるだけ。
「そっか。寝不足はお肌によくないからね」
ミラはとんちんかんな言葉で返したが、実のところまったく納得できていない。
昼寝をしたあとのラガナスは、いつも体調がよくなさそうだし、手合わせをしていてもキレがないし、打ちこむ剣に重みもない。
(なんでかな……?)
しかしその理由をミラが知ることはできなかった。
「でも、ラガナスはなにも言っていないのでしょ?」
「はい、昼寝としか」
夕食の時間。毎日その日の出来事をカサブランカに話しているミラは、話のついでにラガナスの言動について相談してみた。
人の心の機微に疎く、察しの悪さに定評があるミラは、空気の読める女になるために、じっくりと人を観察する習慣がついてしまった。もしかしたらそのせいで、過剰にラガナスのことが気になっているのかもしれない。
そう思ってカサブランカに聞いてみたのだ。
「昼寝をしたあとはいつも調子がよくなさそうなんです。ラガナスはもしかしたら……お腹が空いていて、それで元気がないのでしょうか?」
騎士見習いたちは寄宿舎にある食堂を利用することができるのだが、ラガナスはいつもあっという間に食べおえてしまい、さっさとどこかに行ってしまう。その様子を見ているミラは、体の大きなラガナスには、あの食事量では足りないのではないか、と心配をしているのだ。
カサブランカはそれを聞いて思った。ミラが察しのいい女になるにはあと五年はかかる、と。
「気にする必要はないと思うわよ。騎士の早飯は基本だし、昼寝のあとに体がだるく感じることは誰にでもあることよ」
「そうなのですね! あー、よかった。もしラガナスがなにかに困っていたらどうにかしてあげたかったけど、そうではなかったんですね」
ミラはカサブランカの言葉に安心したようだ。止まっていた手が動きだし、みるみるうちに皿の上の料理を平らげていった。
次の日カサブランカの宮にエデルが呼ばれたが、ミラはそれを知らない。
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