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西の塔の秘密②

 王女の乳母。


 わずかに残っていたそんな矜持は、そのときすべて塵となりマドナはすべてを諦めた。


 西の塔を取りかこむ塀にあるふたつの門のうち、人目につかない裏手の門から、見張りの隙をついて塔を抜けだし、街に出ては酒を飲むようになったのだ。


 それと同時にミラに対するすべての世話をやめた。食事や水も与えなかった。当然そのまま餓死をすると思っていた。


 それなのに、ミラはどんなに長く放置しても生きていた。ベッドに横たわったまままったく動かず、しかし静かに呼吸をして目だけを動かし、マドナを見ていたのだ。


 それを気持ち悪がったマドナは、ますます西の塔に寄りつかなくなり、ときどき戻ってきてはミラの生死を確認し、まだ生きていたのか、と唾を吐く。


 気まぐれに食べ物やどこからか拾ってきた服を与え、常にベッドに横たわっているミラに「死ね」「悪魔」と暴言を浴びせて暴力を振るう。


 機嫌が特に悪いときは、狂ったように泣きさけび、自分の運命を呪っていた。


 ミラはそんな劣悪な環境下で生きるために、ほとんどの時間をベッドに寝ころがっていた。腹が空いていて動けなかったというのもあるが、本能的に動かないことが生きながらえる術だと知っていたようだ。


 体を清めたことはなく、排泄物もほとんどない。不衛生なベッドで何年も何年も横たわったまま。


 普通なら生きることを諦めるような環境、いや、普通なら生きながらえることができない環境、が正しい。それを八年も――。


 テルニがミラの侍女になったのは二年前。それは本当に偶然の出来事がきっかけだった。


 クラフィール王国では、国王もしくは王妃が亡くなると翌年から八年間、毎年決まった日に『霊送の儀』を行うことになっている。


 そして八回目となるパステルのために行われる最後の霊送の儀の日。


 テルニは、それまで王都に近づくこともなかったが、せめて最後だけはパステルの御霊を見おくりたいと思い、宮殿に程近い場所で静かに祈りを捧げていた。


 では、なぜそれまでテルニは王都に来なかったのか。


 それはパステルが亡くなったとき、ミラのツノを見てしまったテルニも、ほかの使用人と同じようにシベルツに殺されていたかもしれなかったからだ。それが運よく生きて宮殿を出ることができたのは、監視付きの口止めと、パステルから寵愛されていたという理由から。


 あれ以来、ミラのことを考えないように、忘れるように努力をした。当然努力でどうにかなることではなかったけれど。


 王都に足を踏みいれたときからテルニの体は震えていた。宮殿を目にすれば血まみれの部屋と断末魔が蘇り、恐怖が呼び起こされる。


 祈りを終えても震えが治まることはなく、馬車を待たせている場所まで向かうあいだに、だんだん呼吸が浅くなり、まっすぐ歩くことさえ難しい状態になったテルニは、どこかに休める場所はないかと周囲を見まわした。そして出あってしまった。彼女に。


 たまたま目を遣った大衆酒場で、酒を飲んでいたみすぼらしい身なりの女性。しかしその女性はテルニと目が合うとさっと表情を変え慌ててうつむく。テルニはなぜか気になって女性から目を離せずにいた。


 女性はしばらくうつむいていたが、ようやく顔を上げたとき、目の前にテルニが立っていることに気がついてぎょっとした顔をした。


「……マドナ?」


 テルニは真っ青な顔をしてその名を呼ぶ。


 マドナはビクンと肩を震わせた。苦しそうに顔をゆがめ、「なんでここにいんのよ……!」とうなるように声を発し、テルニを憎々しげに睨みつけ唇を震わせ、突然立ちあがると唾を飛ばしながら喚きだした。


 ミラのことを悪魔と呼び、自分がどんな仕打ちを彼女にしているかをまくし立てる。そこに罪悪感などなく、ただ、ミラがどれほど恐ろしい生き物で、自分にそんな仕打ちをした国王が、どれほど残酷であるかを暴露しているようだ。


 とはいえ、ろれつが回っていなかったり、起伏の激しい感情が先行して、全然話がまとまっていなかったりと、事情を知らない人が聞いたらなんのことだがまったく理解ができない内容。でも、テルニには、そのおぞましい事実をすべて理解することができた。


 そのときになって初めてテルニは、あのとき生まれた二番目の王女がどんな環境にいるのかを知ったのだ。いや、想像しただけで実際には想像を絶する環境下にいたわけだが。


 テルニはその足でシベルツに謁見を申しこんだ。ミラの世話をするためだ。


 偽善者。


 正直に言えば、テルニは自身のことをそう思っていた。


 口ではかわいそうに、なんて言いながら、本心ではパステルの命を奪った姫を、かわいそうだなんて思ってはいなかったし、少なからず憎んでいたし、恐怖していたから。


 できればこんなこと知らずにいたかったし、叶うことものならすべて忘れてしまいたかった。


 しかし、妹姫とて望んでヴィッツェルノのツノを持って生まれたわけではなく、それを理由にぞんざいに扱っていいはずもない。それに心優しいパステルがこのことを知れば、きっと涙を流すことだろう。テルニが敬愛するパステルはそんな女性だ。


 だからテルニは、恐怖を押しころしてシベルツに会いにいった。殺されることを覚悟して。


 今思えば、なんの気の迷いだったのだろうと思う。恐ろしくて王都に近づくこともできなかったのに、シベルツに会いに行くなんて正気の沙汰ではない。でも、テルニは会いにいった。妹姫の世話をするために。


 しかし、シベルツは首を縦には振らなかった。きっと彼は妹姫の死を望んでいたのだろう。だからマドナがどんな行動をとっていても見ぬふりをしていたのだ。


 直接手を下さなくても、子を殺すことはできる。


 テルニはそんなシベルツに対して失望を覚えた。今、目の前にいるのは本当にあの実直な王なのか? と。


 しかし、感情に流され子殺しの大罪を犯せばシベルツは失脚し、歴史に非道な罪人として名を残すことになる。そうなればパステルは罪人の妻ということに――。


 それだけはなにがなんでも阻止しなくてはならないと思ったテルニは、震える手でもう一方の手をぎゅっと握りしめ、自分が勝手にすることだから給金はいらない、息をひそめて静かに暮らす、だから妹姫の世話をさせてほしい、とシベルツに懇願してミラの侍女になった。


 その日のうちに西の塔に足を踏みいれたテルニは、顔をしかめて鼻を手で覆い、反対の手に持つランプの明かりだけを頼りに廊下を進んでいった。


「ひどいわね」


 掃除はまったくしていないとわかるし、鼻を突くような異臭がする。窓が少ないため昼なのに建物の中は薄暗く、人の気配がない。いったいいつから放置されていたのだろう?


 王女を捜して塔の中を歩きまわったテルニは、ようやくたどり着いた小さな部屋で、ベッドに横たわっている生き物らしきものを見つけ、ヒッと悲鳴にも近い声を上げた。背筋には冷たいものが流れ、あまりに凄惨な光景に呼吸をするのも忘れてしまったほど。


 それはマドナから聞いた話よりずっとひどい状態だった。子殺しの大罪を犯していると言っても過言ではないほどに。


 ベッドに横たわっていた少女の銀色の髪はごわごわべたべたしているし、体はいつから清めていないのか恐ろしく汚れていて、人とは思えない臭いを発している。骨が浮かび上がり呼吸は弱々しく、明日にでも死んでしまいそうなほど衰弱している。ツノは……彼女の容態には不釣り合いなほど、光輝いていた。


読んでくださりありがとうございます。

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