ディクソンの襲来①
騎士団の訓練場。午前中に座学を終え、午後の実技訓練。その実技訓練は周回走から始まる。
今日も先頭はミラとラガナス。最初のころこそどうにか二人についていこうと頑張っていたほかの騎士見習いたちも、今では二人に追いつこうとすることを諦め、各自のペースで走るようになった。だいたい、そんなに必死に走ったところで成績や立場が変わるわけではないし、少しでも体力を温存しておくことが重要なのだ。
それに、ミラやラガナスに対して実力に差を感じても、それで彼らを疎ましく思う気持ちはすっかりなくなっている。
ほぼ平民の貴族令嬢ミラと平民のラガナス。彼らは、普段であれば貴族が見向きもしない立場の人間だ。
しかし、ミラは世間知らずなうえに底抜けに明るく天然で、目が離せないかわいらしさがある。ラガナスは淡々としているが内に秘める熱はかなり熱く、裏表がない。
女だ、貴族だ、平民だ、なんてことはそもそも騎士には関係のないことで、ミラやラガナスの人となりを知ってしまえば、彼らを嫌う理由なんてないに等しく、気がつけば同期同士かなり親しくなり、くだらない冗談を言って肩を叩きあう仲になった。一部の人間をのぞいては、だが。
その一部というのは高位貴族の子息だったり、近衛騎士になることを目標に頑張っているものだったり。
彼らはことあるごとにミラやラガナスに嫌がらせや脅しをかけたりしたが、ミラは嫌がらせと気がつかないし、ラガナスにはギロリと睨まれて、脅しているつもりがなんだか脅されている気分になってくるし、というわけで最近はずいぶんとおとなしくなっている。
「今日から、少しずつ実践に向けた練習も取りいれる」
そう告げたのは教官のトーマス。騎士見習いたちは、ようやく剣の鍛錬を本格的に始めることになると知って顔を輝かせた。
「というわけで、さっさと並べ」
これまで基礎体力作りに注力してきたおかげで、一か月たった今では体力作りを終えたあとに地面に座りこむものはいない。
(まだずいぶんと残っているな)
例年なら、一か月もすれば半分近くが辞めていくのに、今期はまだ七割近く残っている。
(さて、ここからどれくらい減っていくことやら)
入団してから一年を乗りきれば、その後辞めるものはほとんどいない。つまりこの一年が騎士見習いたちの分岐となるのだ。
「実戦で使う本物の剣はお前たちが素振りで使っていた模造剣よりずっと重い。では、なぜ重いかわかるか」
トーマスの質問に騎士見習いのマックが手を上げた。
「鉄でできているからです」
「まぁ、そうだな。ほかには?」
「……」
互いに顔を見あわせるが、答えを持つものはいないようだ。
トーマスは騎士見習いたちを見まわしてゆっくりと口を開いた。
「人を殺すためだからだ。あと、剣の重みは命の重み、なんてきれいごとは口にするな。剣が重ければその分相手に与えるダメージも大きくなる。それだけのことだ」
シンと静まりかえる訓練場。先ほどまで実践訓練に入ることに浮かれていた騎士見習いたちからは笑みが消えた。
「剣を振るうということは、人の命を奪うということ。だが逆も然り。我々は盾を持たない。我々が使う剣は片手で振りまわせるほど軽くはないからな。つまり盾で身を守ることは考えていないということだ。剣を握ったときから、お前たちの命も死と隣り合わせになるということを忘れるな」
トーマスの言葉に、騎士見習いたちが緊張した面持ちで返事をする。
「よし、まずは素振り千回。そのあと型錬、最後は軽い手合わせをする」
そう言うと、騎士見習いたちは再び緊張した声で返事をした。
午前中の座学では、軍法、軍事倫理、軍事史や戦術の基本理論。そのほか地形学やそれに伴う戦術判断など学ぶべきことは多岐にわたり、午後は実技訓練。宮に帰れば、淑女教育とミラの毎日はとても忙しかった。
そんな生活が四か月ほど続いたある日。整列させられた騎士見習いたちは緊張した面持ちで、視線を一か所に集中させていた。その中で、後方に並んだミラは、顔を隠すようにうつむいている。
「――君たちが未来の騎士として鍛錬に励んでいることを、俺は誇りに思う!」
壇上に立って騎士見習いたちと向かいあい、労いの言葉を長々と口にしているのは、この国の王子ディクソン。
しかし、鍛錬は終盤で騎士見習いたちが疲れているせいか、せっかく王子が慰問に訪れたというのに、それほど歓迎ムードとはならず、ディクソンの演説が終わっても規則正しい拍手が聞こえるだけ。
「フン……」
明らかに不満そうな顔をしているディクソンだが、本日の目的は演説をすることではない。
騎士見習いたちを見まわし、ふと視線を止めると壇上を降り、一人の騎士見習いの目の前に立つ。ディクソンが自身の目の前に立ったことに気がついた騎士見習いはわずかに肩を震わせた。
「お前がシャンヌとかいう騎士見習いか?」
シャンヌ――ミラはうつむいたまま「はい」と小さく首を振る。
「おい、お前、顔を上げろ!」
ディクソンの側近のスカイが少し大きめの声でミラに言う。
(しっかりお化粧はしているし、髪の色も変えてある。大丈夫、ばれない)
ミラは心臓をドキドキさせながらゆっくりと顔を上げた。すると視線の先にディクソン。
「で、でかいな……」
ミラを見あげる形になったディクソンの第一声はそれだった。しかし、それだけ。目の前の少女が自身の側妃だとは気がついていないようだ。それは当然か。ディクソンは自分よりずっと背が低く、痩せたミラしか知らないのだから。
ミラはホッと小さく息を吐いた。
「お前が久方ぶりとなる女の騎士見習いだな」
「……はい。シャンヌ・ポワトリーと申します。お見知りおきくださいませ」
「フン。聞いたこともない名前だが、男爵家の出身らしいな?」
「はい。領地も持たない名前だけの貴族ですので、平民と変わりません」
「ハハハ、貴族のくせに卑しい平民と同じとは笑い種だ」
ディクソンはわざとらしいくらいに大きな声で笑って、それから含みのある目でミラを見た。
「お前、ルーシェルと仲がいいそうだな。遠い親戚らしいが、俺はお前のことなんか聞いたことがないぞ。本当に親戚か? 以前からの知り合いではないだろう? 正直に言え」
そう言ってディクソンがニヤニヤしながらミラの顔をのぞき込む。
なんだかすごくいやな感じ。
「おい、聞いているのか? 殿下が質問をしているだろ! 早く答えろ」
側近のスカイの鋭い語気に驚いて、ミラが慌てて口を開く。
「い、以前とはいつより前のことを言うのですか?」
「はぁ?」
「昨日も以前に入るのなら、もちろん以前からの知り合いです。私とルーシェルはカサ――」
そこまで言って慌てて口を閉じたミラ。
(これは言っちゃいけないやつだった!)
しかし、ディクソンは聞きのがしていない。
「なに? カサがどうした」
「えっとぉ、カサ……」
「カサ?」
「カサを……傘を借りたのが知りあったきっかけです」
「は?」
「買い物をして店を出たら雨が降ってきて、ルーシェルに傘を借りたのがきっかけで知りあいました!」
「は?」
ディクソンはもちろん、ほかの騎士見習いたちも間抜けな顔をしてミラを見ている。
親戚なのに、出会いのきっかけが雨の日に傘? なんで? ちょっと無理あんじゃね? なんて思っているのだろう。実際、ミラがそう思ってしまったのだから。では、ディクソンは?
「そうか」
納得した。
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